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この原稿は、菌学教育研究会会誌「菌教通信創刊号」に投稿したものに手を加えたものです。


 
コウボウフデにまつわる話


 コウボウフデというと、名称だけは聞いたことがあっても見たことはなく、その分類学的位置についてもご存じない方が多いことと思う。多くの図鑑では担子菌のケシボウズタケ目コウボウフデ属に配置され、たいていは記述の最後に「まれ」と書かれている。コウボウフデという和名は川村清一博士による命名であり、実によい名だと思う。学名の Battarrea japonica (Kawam.) Otani は、川村博士が Dictyocephalos 属の菌としたもの (1954, 原色日本菌類図鑑 第7巻 p.723-725) を、後に大谷吉雄博士が Battarrea 属に変更 (1960, 日本菌学会会報 第2巻4号 p.11-13) したことによる。なお、原色日本菌類図鑑は川村博士の没後に発刊されたものである。
 2004年3月に発行された Bulletin of the National Science Museum Series B (国立科学博物館研究報告B類) 第30巻第1号に、興味深い2編の論文が掲載された。

・ Asai,I., Sato,H. and Nara,T. 2004.3. Pseudotulostoma japonicum, comb. nov. (=Battarrea japonica), A Species of the Eurotiales, Ascomycota
・ Masuya,H. and Asai,I. 2004.3. Phylogenitic position of Battarrea japonica (Kawam.) Otani

 これらによれば、コウボウフデは担子菌ではなく、ユーロチウム目の Eulotiales 属する子嚢菌であるするのが妥当だという。前者では新たな学名として Psedutulostoma japonicum が新組み合わせの形式 (comb. nov.) で提唱されている。

 なぜ、長いこと誰も疑うことなく、担子菌として通ってきたのだろうか。GenBank には Battarrea 属、Tulostoma 属などについて、何点ものDNA分子系統解析データの蓄積がある。しかし、日本のコウボウフデについてのデータはない。過去に誰かがコウボウフデの分子系統解析に手をつけていれば、その時点で、Tulostomatales とするのは不自然だといった疑念が出ていたはずである。また、有性生殖器官を確認した人がいれば、消失性の子嚢があることが明らかにされていたはずである。しかし、この40数年間そういったことは起こらなかった。なぜなのかを考えると、最終的には以下の4点に帰着することになるのではあるまいか。
○希菌とされ、全国的に採取される標本がとても少ない
○有性生殖器官を確認するのがかなりむつかしい
○川村博士、大谷博士という偉い菌学者が担子菌だという
○日本特産とされ、海外でもDNA分析はされていない

 川村・大谷博士といった権威が担子菌だとしているので、誰も疑問を抱かない。また、たとえ疑問を感じたとしても、そう簡単にはコウボウフデ自体が見つからない。うまく見つけたとしても、それは成熟した菌である。一般に、腹菌類にあっては幼時しか担子器を確認することはできないとされる。実際、成熟したコウボウフデには有性生殖器官は既に消失しており、観察することはできない。理屈としては、幼菌を見つければそれを確認することができるはずである。
 しかし、大谷博士が「担子柄 (原文ママ) は円筒形」と明快に記述しているのに、今さらその担子器を確認するだけのために経費と時間を割いて、幼菌探しに血道を上げるなど愚の骨頂である。そうなるとプロの研究者が手を出すことは考えにくい。アマチュアにしても、希菌ゆえ一度は出会いたいとは考えても、大谷博士の説に疑念を抱くまでにはいたらない。アマチュアにとっては希菌との出会いそのものに価値はあるからである。

 コウボウフデの若い菌を見るたびに、マユハキタケの姿が彷彿と湧き上がってきた。そして、いつの頃からかマユハキタケとコウボウフデには何か類似の要素があるのではあるまいか、そう考えるようになっていた。そんなこともあり、川村博士や大谷博士の論文には何度も目を通した。そして、いつしかコウボウフデは Battarrea でも Dictyocephalos でもない別属の菌かもしれないと考えるようになっていた。まさか子嚢菌だとは考えてもいなかったが、きっと思いがけない担子器をみせてくれるのではないかと思っていた。それゆえ、何年もの間ずっとコウボウフデの幼菌を追いかけてきた。
 こういう発想と行動はアマチュア菌類愛好家ゆえのものだろう。アマチュアでも研究者であれば、このような馬鹿な考えを起こすことはなかったのではなかろうか。昨年、いわき市の佐藤 浩氏の事務所で顕微鏡を覗いた時に、長年の疑問が氷解したような気持ちになった。担子菌説はその場で、何の抵抗もなく直ちに訂正された。「そうか、そうだったのか」といった気持ちであった。
 「子嚢がありました」だけでは、新知見として発表することもできない。それを掘り下げた議論と実証が必要である。となると、プロの研究者との共同作業が必須となる。誰と共同作業をすべきか、どの学術誌に投稿すべきか、いろいろと考えた。日頃の土居祥兌博士の理念に賛同していたこともあり、最終的に土居博士に相談した。その中から、アマチュア菌類愛好家とプロの菌類研究者との共同作業の結果として生まれてきたのが、上記の論文であった。

 アマチュアの菌類研究者は全国に多い。そこに眠っている多くのデータが公になれば、国内の菌類フロラ解明には非常に大きな力となる。しかし、学術論文の作成には多くの修練が必要である。科学的文章を書き慣れないアマチュアには非常にハードルが高い。学術誌に何度も投稿してみたが、その壁の高さにあきらめてしまったという話をよく聞く。そこに発表されるはずだったデータは、個人のメモとして死蔵されたままになる。それらのデータに陽の目を与える作業をどこかの機関・団体などが行う必要があるのではあるまいか。
(2004年4月20日記)