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[標本番号:No.221   採集日:2007/05/04   採集地:栃木県、那須塩原市]
[和名:コクサゴケ   学名:Dolichomitriopsis diversiformis]
 
2007年7月2日(月)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
 2ヶ月ほど前に採取して観察したのだが、どうあがいても種名にまでたどり着けなかった。先に観察した折りは検鏡データは未撮影だったので、今朝あらためて撮影した。
 塩原温泉の標高600m、沢沿いのやや陽当たりのよい岩についていた(a)。茎は岩をはい、長さ4〜8cm、不規則に数回分枝し、長さ2〜3cmの枝を直立気味にだす。湿っていても乾燥しても、葉は茎に接着気味で、開くことはない(b, c)。
 茎葉は卵形〜卵状披針形、長さ1.2〜1.8mm、縦皺の目立つ葉もあり、先端にはわずかに微歯があるが(e)、ほぼ全縁で、中肋が葉長の3/4ほどある(d)。翼部は特に分化していない(f)。葉身細胞はウジ虫形〜線形で、長さ25〜50μm、幅3〜6μm、位置によって大きさの変異が大きく、平滑(g)。葉頂では短い楕円形(e)、翼部ではやや大きい(f)。
 枝葉は、茎葉とほぼ同じ形で、長さ1〜1.5mm、葉身上部に微歯がみられるが、ほぼ全縁、中肋も茎葉とほぼ同じ程度の長さ(h)。葉身細胞も茎葉のそれとほぼ同じ(j)。葉の中程で横断面を見ると、中肋は弱く、顕著なガイドセルなどはみられない(k)。茎の横断面をみると、表皮は厚膜の小さな細胞からなり、中心束の発達は悪い。

 採取した直後に一度観察したのだが、その折りはどの科であるかもよくわからなかった。何度かいろいろな検索表にあたったが、結論が出せずにしばらく放置してあったものだ。最近になってアオギヌゴケ属ではあるまいかと考えるようになった。
 検索表からハネヒツジゴケの可能性を考えてみたが、湿っても葉が開かない。次に、ナガヒツジゴケの可能性を検討すると、葉先の形が異なるし、葉身細胞の長さも短い。葉の形はタニゴケを思わせなくもないが、葉身細胞の形や大きさが異なる。せめて胞子体がついていればもう少し手がかりは多くなるのだろう。アオギヌゴケ属との判断が誤っているのだろうか。

[修正と補足:2007.07.02 pm3:50]
 この蘚類をコクサゴケ Dolichomitriopsis diversiformis と修正することにした。
 識者の方から、コクサゴケではないか、とのご指摘をいただいた。コクサゴケといえば、以前にトラノオゴケと誤同定した蘚である(標本No.199)。アオギヌゴケ属ではなくイヌエボウシゴケ属 Dolichomitriopsis である。あらためて、先入観を捨てて、観察結果に基づいて、別の検索表をたどってみることにした。関根雄次『日本産蘚類の検索』1982, 豊饒書館に準拠して検索をたどってみた。前提として、中肋の長さを3/4か2/3と読み替えた。

 まず「生育型および葉の形態によるグループの検索」をあたった。茎が匍匐し腋蘚類であり、舷がなく、中肋が単生であり、葉長の2/3程度であるから、グループ「K」となる。
 次に、グループ「K. 腋蘚類、中肋は単生で、葉の長さの2/3以下」の検索をたどった。葉身細胞は線形で、葉縁先端部にわずかに鋸歯があることから、一気に分岐の中ほどまで飛ぶ。葉身細胞は平滑、中肋は葉長の1/2以上、葉は卵状披針形で短く尖るから、ササバゴケ属 Calliergon とイヌエボウシゴケ属 Dolichomitriopsis の二つが残る。次に、翼細胞で二つに分かれるが、翼部は方形であって、大きく透明ではないから、残るはイヌエボウシゴケ属となる。
 この検索表出版時(1982)当時は、イヌエボウシゴケ属は国内では6種が知られていたらしい。属内の検索表をたどると、「葉頂は鋭頭、中肋は強く、概ね葉長の1/2以上」となり、そこに挙げられた種名にはコクサゴケ Dolichomitriopsis diversiformis とあった。

 あらためて、Noguchi "Moss Flora of Japan" p.728で、Dolichomitriopsis diversiformis (Mitt.) Nog. にあたってみた。いくつか数値の幅に齟齬はあるが、おおむね記載と近い。隣ページにある検鏡図は、観察結果とよく似ている。
 次に平凡社図鑑のコクサゴケをみた。葉身細胞の大きさがやや小さめの数値となっているが、観察した標本の葉の中には、図鑑にあるような短い葉身細胞をもみられる。保育社の図鑑でも、葉身細胞はかなり短めにかかれている。

 今回属レベルが分からず、いくつかの検索をたどって別の属に到ったには、いくつか要因が考えられる。一つは、中肋の長さに対する判定だ。3/4とみるか、2/3とみるか。今ひとつは、葉身細胞の長さである。属の見当をつけようと最初にあたったのは、野口『日本産蘚類概説』1976, 北隆館だった。この書の「1. 日本産蘚類の類別」によれば、トラノオゴケ科 Lembophyllaceae となるのだが、属レベルまでの判定はできなかった。また、トラノオゴケ科に該当する属を見つけられなかった。
 余談だが、今回調べてみて、コクサゴケはイヌエボウシゴケ属であって、コクサゴケ属 Isothecium ではないことを知った。コクサゴケ属には、よく似た和名のヒメコクサゴケ Isothecium subdiversiforme というものがあることを知った。また、関根『日本産蘚類の検索』が、思いがけず、よく考えられた検索表であることも知ることができた。
 最後になってしまったが、ご指摘ありがとうございます。再検討の過程で、新たにいくつかのことを学ぶこともできました。