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[標本番号:No.283   採集日:2007/07/07   採集地:栃木県、日光市]
[和名:ヒメミズゴケ   学名:Sphagnum fimbriatum]
 
2007年7月12日(木)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
 奥日光の標高1500m、硫黄泉の源泉周辺には小湿地が広がっている(a)。水温50〜65度の湯が流れ込む場所に、ミズゴケの仲間が群生していた(b, c)。暖かい湯の中で朔をつけた個体もある(d)。現地で白い紙の上に何本かの茎を並べてみた(e)。乾燥した状態で茎の長さを分かるよう脇に物差しを置いた(g)。多くの茎は長さ8〜12cmほどあり、茎の上部では4〜5本の枝が、中部から下部では3本の枝が束になってつく。
 
 
 
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
 茎の表皮細胞には螺旋状の肥厚はみられない(g)。茎葉はほぼ平坦で舌形〜扇状に広がり、先端が広くささくれる(h)。ささくれは側面まで広がり、葉縁には基部から中程まで数細胞列からなる舷がみられる(i)。茎葉の長さは1mm前後。
 枝葉は卵形で、長さ1〜1.2mm、先端は尖り、中央部は凹状となり、乾燥しても葉縁が波打つことはない。枝葉の腹側の細胞には孔がなく(k, l)、背側の細胞には中型の孔が、1細胞あたり3〜5つみられる(m, n)。葉先付近の写真(k, m)は背腹の間違いを防ぐために撮影した。
 枝葉の横断面を切りだした(o)。凹んでいる側が腹側で、写真(o)では右上が腹側、左下が背側となる。葉緑細胞は腹側にも背側にも開いており、横断面でほぼ台形〜卵形で、底辺は腹側にある。底辺が腹側にあるのか背側にあるのかの判定は、かなり微妙で、全く別の個体の別の位置の枝葉を含め、何枚もの横断面を確認する必要があった。
 運良く朔をつけた個体に出会うことができたので、とりあえず、丸い蓋を被った朔(p)と、胞子をほとんど放出したらしい朔(q)をルーペで見た状態を載せておくことにした。胞子体そのものの観察は、また別の機会に行いたいと思う。たまたま、薄膜状のカリプトラを確認できたので、この写真だけを載せておこう。なお、(r)は小枝の横断面である。

 ミズゴケの分類は難しいとされる。初心者のうちは手を出さないのが無難なのだろうが、そうもいかない。無謀を覚悟で種名の同定を試みた。まずは、節の判定である。
 茎の表皮細胞に螺旋状の肥厚がないから、ミズゴケ節(Sect. Sphagnum)ではない。つぎに、枝葉の先端が尖っていて、葉の横断面で葉緑細胞が背腹両面とも表面にでているから、キレハミズゴケ節(S. Insulosa)、キダチミズゴケ節(S. Rigida)ではない。
 枝葉の透明細胞の背側には中型の孔が少数ならぶから、ユガミミズゴケ節(S. Subsecunda)ではない。さらに枝葉は大型ではなく、横断面でみた葉緑細胞は樽型とはみえにくいからウロコミズゴケ節(S.Squarrosa)ではない。
 残る節は二つだが、枝葉は乾いても波打たず、横断面で葉緑細胞の底辺が腹面側にあるからハリミズゴケ節(S. Cuspidata)ではない。となると、おのずとスギバミズゴケ節(S. Acutifola)となる。この節についての説明を読むと、観察結果とは矛盾しない。

 節まで落とせば気が楽になる。節以下の検索表にあたると、茎葉が舌状〜扇状 であるから、さらに絞られる。茎葉の透明細胞は側壁しか残っていないから、種の候補はかなり絞られる。茎葉の形、舷の様子から残るのはヒメミズゴケ Sphagnum fimbriatum となる。

 余談だが、ミズゴケ類の同定作業は実体鏡下での解剖作業に終始する。先端の細いピンセットを2本使って、茎や枝から形を壊さず葉を取り外す作業など、手際よくやるにはかなりの慣れが必要そうだ。さらに、枝と枝葉の薄切りは、思いの外面倒だ。葉の横断面切り出しの楽なスギゴケ科、チョウチンゴケ科、ホウオウゴケ科などとはあまりにも対照的だ。