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[標本番号:No.523   採集日:2008/10/11   採集地:群馬県、草津町]
[和名:アラハヒツジゴケ   学名:Brachythecium brotheri]
 
2008年10月22日(水)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
 今月10日に草津白根山に向かう途中で、標高1,800m付近の針葉樹林帯の腐植土や周辺の岩の上を、若い朔をつけたややツヤのあるコケがマットを作っていた(a)。植物体ははい、茎の長さは8〜15cm、不規則に分枝し、茎の途中から赤色の柄をもつ朔を出している(b)。
 葉を含めた枝の幅は2〜2.2mm、乾燥すると葉は展開して反り返る(c)。茎葉は、広卵形の基部から次第に細くなって尖り、長さ2.5〜3.2mm、先端付近で捻れたものが多い。葉縁には全周にわたって微歯があり、中肋が葉長の3/4あたりに達する(e〜g)。枝葉はやや小振りで、茎葉より細めのものが多く、全周に微歯の様子や中肋は茎葉とほぼ同様(e, h)。
 茎葉でも枝葉でも、葉身細胞は線形で、長さ70〜90μm、幅6〜10μm、やや薄膜(i)、葉頂部でもほぼ同じ形(j)、翼部ではやや薄膜で方形の大形細胞からなる(k)。翼部はやや下延する(d)。葉の横断面をみると、中肋にはステライドはない(l)。茎の横断面には中心束があり(m)、表皮細胞はやや厚膜の小さな細胞からなる(n)。
 
 
 
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
 多数の朔をつけていたにも関わらず、全てが未成熟で蓋を外すことができるものは一つもなかった。朔は非相称で、傾いてつき、僧坊状の帽をかぶる。赤色の朔柄の表面は、上部から下部まで明瞭な乳頭に被われている。朔基部近くでは乳頭が疎になる(o〜q)。朔を横断面を切り出してみると、全く胞子はできておらず、朔の外皮と内壁は明瞭に分化していた。

 フィールドで見たとき、ヤノネゴケではないかと思った。ルーペでみると朔柄の全面に乳頭があり、葉縁の全周に微細な歯があり、葉身細胞背面の上端がわずかに突出しているように見えたからだ。葉身細胞を見たとき、ヤノネゴケだろうという推測は全く外れていることを知った。
 ヤノネゴケがいかに変異の多い種だとはいえ、葉身細胞がこれほどまで異なることは無いだろう。あらためてアオギヌゴケ科 Brachytheciaceae の検索表をたどると、平凡社図鑑でも保育社図鑑でも、ともにアオギヌゴケ属 Brachythecium に落ちる。
 種への検索表をたどると、アラハヒツジゴケ B. brotheri に落ちた。保育社図鑑では検索のキーとして、朔柄の乳頭の有無を最初に持ってきている。一方、平凡社図鑑では、朔柄の乳頭は検索キーとしては全く使われていない。本標本は朔をつけていたので、保育社図鑑の検索表から、比較的楽にアラハヒツジゴケにたどり着いた。しかし、朔をつけていない場合には、平凡社の詳細な検索表の方が使い勝手はよさそうに感じた。この図鑑の検索表でも、楽にアラハヒツジゴケにたどり着ける。
 両図鑑のアラハヒツジゴケの解説、Noguchi "Moss Flora of Japan"(1991) の記載に目をしてみると、間違いなさそうだ。なお、アオギヌゴケ属の検索表だが、平凡社図鑑では Noguchi(1991)に準じているようだ。保育社図鑑の検索表は高木(1955〜56)に準じているのだろうか。残念ながら、服部植物研究所報告の該当号(14〜16)の持ち合わせがないので、確認することができない。

 アラハヒツジゴケといえば、昨年(2007)1月に標本No.62をアラハヒツジゴケではあるまいかと思い、それにしては齟齬が多すぎるため、やむなくアオギヌゴケ属としてアップしたことがあった。識者からの適切なアドバイスを得てヤノネゴケにたどり着いたという経緯があり、妙な因縁のある蘚類だ。今回の同定が正しければ、自ら確認できたのはこれが初めてとなる。