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[標本番号:No.526   採集日:2008/10/11   採集地:群馬県、嬬恋村]
[和名:ムラサキミズゴケ   学名:Sphagnum magellanicum]
 
2008年11月11日(火)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
 手元に溜まっているミズゴケを少しずつ見始めた。今日は10月11日に群馬県と長野県の県境付近に位置する万座温泉周辺の高層湿原(alt 1670m)で採集したものを観察した。
 笹や背丈の低い草の生える湿原に赤紫色のミズゴケが広がっていた(a)。何となくボテっとした感触がある(b)。茎は高さ5〜10cmで暗褐色(g)。茎の表皮細胞には弱い螺旋状肥厚があり(h)、横断面で4層をなしている(i)。この表皮部分は非常に剥がれやすく、茎葉を取り外すにあたって、注意深く操作しないと、すぐに一緒に剥がれてしまう。
 開出枝と下垂枝とはほぼ同じ長さか、下垂枝が若干長い(d, e)。茎葉は舌形で長さ1.2〜1.5mm、葉縁には基部付近に弱い舷があり、葉頂は総状にさける(f, j)。茎葉の葉身細胞は、上部背面に双子孔や三子孔などがみられ(k)、上部腹面には糸状の区切りや弱い孔があり(l)、中央部〜下部の葉身細胞には孔や区切りなどはあまりない(m)。
 
 
 
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
(s)
(s)
(t)
(t)
(u)
(u)
(v)
(v)
(w)
(w)
(x)
(x)
 枝の表皮細胞には螺旋状の肥厚がありレトルト細胞はみられず(n)、横断面で大形の表皮細胞が3〜5列ある(o)。(開出枝の)枝葉は、深く凹み、広卵形で葉頂部は僧帽状、長さ1.5〜1.8mm、先端近くの葉身細胞背面に小さな突起がある(f, p)。
 (開出枝の)枝葉の葉身細胞には、背面上部に双子孔や三子孔があり(q)、背面中央部には貫通する大きな孔もある(r)。腹面上部には双子孔などは少なく(s)、腹面中央部には偽孔などもみられる(t)。枝葉の横断面では、葉緑細胞は楕円形で透明細胞に完全に包み込まれて中央にあり、背腹両面には出ない(u, v)。
 植物体から枝を取り除いて茎と茎葉だけにした状態(w)、さらにサフラニンで染めてから茎葉を取り除いた状態(x)を掲げておこう。また、下垂枝についても、簡略に記しておくことにする。
 
 
 
(ya)
(ya)
(yb)
(yb)
(yc)
(yc)
(yd)
(yd)
(ye)
(ye)
(yf)
(yf)
 下垂枝の横断面は、開出枝のそれとほとんど変わらない。下垂枝の葉については、開出枝の葉と比べてずっと細身で、長さは1.2〜1.8mm(ya, yb)。葉身背面上部の細胞(yc)、背面中央部の細胞(yd)、腹面上部の細胞(ye)、腹面中央部の細胞(yf)を掲げておこう。

 ミズゴケ類の観察は確かに面倒だ。他の蘚類と比較すると観察ポイントがとても多い。ただ、同定のためだけであれば、最初に茎や枝の表皮細胞をみてミズゴケ節 Sect. Spagnum か否かを判定し、節の見当をつけた後、節や種の同定に重要とされる形質の状態を観察していけば、かなりの精度で節までは同定できそうだ。
 採集標本が比較的典型的な形態であれば、ハリミズゴケ節 Sect. Cuspidata、スギバミズゴケ節 Sect. Acutifolia、ユガミミズゴケ節 Sect. Subsecundaなど多くの種を含む節でも、ていねいに観察しさえすれば、なんとか種名にまでたどりつけように感じる。
 今日観察したミズゴケは、茎や枝の表皮細胞に螺旋状肥厚があるから、ミズゴケ節のものとなる。平凡社図鑑の検索表に従って、ミズゴケ節をたどると、「枝葉の横断面で葉緑細胞は楕円形、透明細胞によって閉じ込められたようになって表面には現れない」ので、ただちにムラサキミズゴケ S. magellanicum となる。同図鑑の種の解説はあまりにも簡単で詳細は不明だ。たしかに、観察ポイントだけに絞れば、同定に必要な画像は、茎表皮(h)、枝表皮(n)、枝葉横断面(u)の3枚で十分、ということになる。
 オオミズゴケ(標本No.319)の茎の表皮細胞における螺旋状肥厚は非常に顕著だった。そのため、ミズゴケ節の蘚では、いずれも顕著な螺旋状肥厚があるのだとばかり思っていた。最初このミズゴケの茎の表皮細部をみたとき、螺旋状の肥厚がないように見えた。じっくりよく見れば肥厚があるのだが、非常に弱く見落としやすい。そのため、茎の表皮をみた時点では、ミズゴケ節以外を疑っていた。ところが、茎の横断面での表皮細胞の層の状態が異なる。(開出枝の)枝葉を切り出した時点では、キダチミズゴケではあるまいかと思った。ところが、他の形質状態がキダチミズゴケとはあまりにも違っている。
 他の多くの形質はムラサキミズゴケとよく合致する。そこで、あらためていくつもの個体の茎をじっくりと観察してみた。いずれも非常に希薄で弱いが、確かに螺旋状肥厚があることを確認できた。そこであらためてミズゴケ節であると確信を持てた。それにしても、ムラサキミズゴケはミズゴケ節の他の種と比較すると、ずいぶんと変わり者に見える。一般にそうなのかどうかは知らぬが、茎や枝の表皮細胞の螺旋状肥厚は非常に弱いし、枝葉横断面で葉緑細胞が背腹両面に全く開いていない。今後、ムラサキミズゴケに出会った場合には、楽に同定できそうだ。