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[標本番号:No.532   採集日:2008/10/11   採集地:長野県、山ノ内町]
[和名:アオモリミズゴケ   学名:Sphagnum recurvum]
 
2008年11月25日(火)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
 10月11日に万座温泉に泊まって志賀高原の小湿原(alt 1800m)を訪れたときに出会ったミズゴケを観察した(a, b)。茎の下部は強く固まっていて引き出せなかった。採集したわずかの標本はいずれも茎の上部だけしかなく、全体の長さはよくわからない(c)。
 枝は下垂枝が開出枝より若干長い(d)。葉は卵状三角形の茎葉と卵状披針形の枝葉からなる(e)。茎の表皮細胞は矩形で表面には孔も螺旋状肥厚もなく(f)、横断面で表皮細胞は1〜2層あるようだが木質部との境界は不明だ(g)。枝には頸の短いレトルト細胞が2〜3列あり、横断面をみると大形細胞が2〜3ある様子がわかる(h)。
 茎葉は長さ0.8〜1.2mm、卵状三角形で葉頂はわずかにささくれる(e, j, k)。葉縁の舷は葉先付近では狭く、葉の基部では葉幅の1/3ほどに達し、中央下部で最も広がっている(j)。茎葉背面の透明細胞上部には、部分的に糸がみられ(k)、中央部では隔膜様のものがある(l)。茎葉腹面の透明細胞には糸も孔も偽孔もない(m, n)。茎葉の横断面で葉緑細胞は、背腹両面に開いているが、背側(o:下側)により広く開いたものが多い(o)。
 
 
 
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
(s)
(s)
(t)
(t)
(u)
(u)
(v)
(v)
(w)
(w)
(x)
(x)
(m) 茎葉の腹面上部、(n) 茎葉の腹面中央、(o) 茎葉の横断面、(p) 開出枝の葉、(q) 開出枝の葉背面上部、(r) 開出枝の葉背面中央、(s) 開出枝の葉腹面上部、(t) 開出枝の葉腹面中央、(u) 開出枝の葉横断面、(v) 下垂枝の葉背面、(w) 下垂枝の葉背面上部、(x) 下垂枝の葉背面中央

 開出枝の葉は長さ1.1〜1.4mm(e, p)、卵状披針形で、透明細胞には背腹両面とも全体にわたって、少数の貫通する孔がみられる(q〜t)。(開出枝の)枝葉の横断面で葉緑細胞は丸味を帯びた三角形〜台形で、腹面に狭く、背側に広く開いている(u)。
 下垂枝の葉は長さ0.8〜1.2mm、卵状披針形〜卵状楕円形で、背面の透明細胞には先端や側に、貫通する孔があり(w, x)、腹面の透明細胞には偽孔らしきものもある(y, z)。下垂枝の葉の横断面でも、開出枝同様に、葉緑細胞は背側に広く開いた三角形である(aa)。
 
 
 
(y)
(y)
(z)
(z)
(aa)
(aa)
(ab)
(ab)
(ac)
(ac)
(ad)
(ad)
(ae)
(ae)
(af)
(af)
(ag)
(ag)
(ah)
(ah)
(ai)
(ai)
(aj)
(aj)
(y) 下垂枝の葉腹面上部、(z) 下垂枝の葉腹面中央、(aa) 下垂枝の葉横断面、(ab) 変則的な茎葉、(ac) 枝葉と変則的な茎葉、(ad, ae) 変則的な茎葉、(af) 変則茎葉背面上部、(ag) 変則茎葉背面中央、(ah) 変則茎葉腹面上部、(ai) 変則茎葉腹面中央、(aj) 変則茎葉横断面

 ここまでで観察は一段落で、種の同定作業にかかれるはずだった。ところが妙な形の茎葉をつけた茎がある(ab)。形は卵状披針形で葉先は尖り、葉縁の舷は上から下まで非常に狭い(ac〜ae)。別の種類のミズゴケが混生しているのだろうと思い、あらためて、茎表皮と横断面、枝表皮と横断面、開出枝の枝葉、下垂枝の枝葉を観察した。結果は、茎葉を除いて、上記の形質状態とほぼ同一であった。この個体が他の個体と違うのは、茎葉だけであった。この変則的な茎葉の透明細胞は、開出枝の葉の透明細胞とよく似ている。

 とりあえず、変則的な茎葉をつけたものは記録だけにして、考察からは除外することにした。まず、茎や枝の表皮細胞に螺旋状肥厚はなく、枝葉の横断面で葉緑細胞は三角形で背腹両面に開き底辺が背側にあり、枝葉の透明細胞背面に小穴の並列はなく、茎葉の舷は下部で広くなっていることから、ハリミズゴケ節 Sect. Cuspidata の蘚ということになる。
 平凡社図鑑で、ハリミズゴケ節から種への検索表をたどるとアオモリミズゴケ S. recurvum あるいはコサンカクミズゴケ S. recurvum var. tenue が候補に上る。コサンカクミズゴケは「下垂する枝の先端部〜中央部で、透明細胞の先端にある孔は長大で、その後端は隣接するいずれかの透明細胞の後端に達する」とあり、これは観察結果と異なる。
 滝田(1999)には、コサンカクミズゴケについて「下垂枝透明細胞の背面の上端に大きな貫通する孔があるのはこの種の特徴」と記されるが、本標本ではそういった形質状態は観察されない。アオモリミズゴケについては「開出枝の葉は(中略)透明細胞には背腹両面とも貫通する孔が少数ある。(中略)下垂枝葉中央の透明細胞の背面で、先端にやや大きく貫通する円い孔があるがコサンカクミズゴケの様に大きくはない」とあり、これは観察結果とほぼ一致する。

 変則的な茎葉をつけた個体を観察するハメになったことから、今日の観察はふだんの倍以上の時間と手間がかかってしまった。こういう形の茎葉をつけたハリミズゴケは滝田(1999)には見あたらない。広義のアオモリミズゴケの変異の範囲にあると考えるにはちょっと無理がありそうだ。奇形ないし変種、亜種なのだろうか。

[修正と補足:2008.11.26]
 変則的な茎葉について少し補足しておくことにした。こういう二等辺三角形〜舌状三角形の茎葉をもった種としてスギバミズゴケ S. capilifolium とコバノホソベリミズゴケ S. junghuhnianum ssp. pseudomolle があるという。滝田(1999)によればスギバミズゴケは「(茎葉は)長さ1.0〜1.3mm、先端に2〜3個の歯がある。茎葉の透明細胞には全体に隔壁があり、中央部より上で糸と孔があるが、糸のみの場合もあり、しばしば茎葉が広卵形となり基部まで糸と孔があり枝葉に似る場合もある」という。この記述は観察結果とピッタリ符合する。観察時はアオモリミズゴケにスギバミズゴケが混生していたのだろうと思った。しかし、スギバミズゴケであれば「枝葉の横断面で葉緑細胞は二等辺三角形で腹面に広く開き、背面にも達する」はずである。ところが、観察結果は、葉緑細胞は背面により広く開いている(u, aa に同じ)。さらにスギバミズゴケあるいはコバノホソベリミズゴケであれば、茎の横断面で表皮細胞は2〜3層で、木質部とは明瞭な区画をなしているとされる。これも観察結果とは異なる(g に同じ)。
 

 
 
(ak)
(ak)
(al)
(al)
(am)
(am)
(an)
(an)
(ao)
(ao)
(ak) 茎と枝、(al) 茎葉、(am) 茎の横断面、(an) 開出枝の葉横断面、(ao) 背腹の確認

 あらためて再確認した結果、約30数個の標本個体のうち、1/3ほどは変則的茎葉を持っていることが分かった(ak)。また、1/3は両者の中間的形態の茎葉をつけている。茎葉の舷も両者の中間的な形のものがある。茎の横断面をみるといずれも、表皮細胞と木質部との境界は不明瞭であり、この点でも明らかにスギバミズゴケとは異なる(am)。変則的茎葉をもった枝から、枝葉の横断面を再度切り出してみた。やはり葉緑細胞は背面に広く開いている(an)。過って混入していたスギバミズゴケの枝葉を切ったのではなかった。いずれにせよ、アオモリミズゴケとしてはかなり非典型的な姿をしている。

 ミズゴケ類の枝葉は、ほとんどの種において背面側は凸面となっており、腹面側は凹面となっている。したがってこの特徴を踏まえた上で透明細胞の様子を確認したり、葉の横断面を切り出せば、背面と腹面とを間違えることはないはずだ。
 葉の背面や腹面の透明細胞を観察するにあたっては、まずスライドグラスに薄く水をはる。ついで、そこに枝葉を背側を上にして載せ、カバーグラスをかけずに低倍率で観察・撮影する。ついでカバーグラスを載せたのち、倍率を上げて撮影している。腹側についても同様である。こうすることで、後日でも、いずれの側が背側なのかを誤ることはない(ao)。葉をスライドグラスに載せて直ちにカバーグラスを被せてしまうと、背腹いずれの面を観察しているのか分からなくなりがちだ。また、後日検鏡写真から背腹を確認することがむずかしい。
 枝葉の横断面も、検鏡画像には横断面全体を低倍率で撮影したのち、高倍率にして撮影している。こうすることによって、後日でも、葉の湾曲方向をみれば、いずれが背側なのかを誤ることは避けられる。


◎滝田謙譲 1999, 北海道におけるミズゴケの分布およびその変異について. Miyabea 4 (Illustrated Flora of Hokkaido No.4 Sphagnum): 1-84.