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[標本番号:No.544   採集日:2008/10/25   採集地:奈良県、川上村]
[和名:ヒメコクサゴケ   学名:Isothecium subdiversiforme]
 
2008年12月12日(金)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
 10月25日に奈良県川上村の暗い沢沿い(alt 480m)で、岩を覆う蘚類を採集した(a)。植物体は朔をつけたものが多かった(b)。一次茎は岩をはい、二次茎は立ち上がって先の方で不規則に密に分枝し、乾燥しても葉は展開したままだ。鞭状に長く延びた枝も見られる。朔柄は暗赤色で長さ1cm、朔を傾けてつける(b, c)。葉はやや扁平気味についている。
 茎葉は卵状披針形で、長さ1.8〜2.2mm、葉頂はやや尖り、葉縁には微細な歯がある。中肋は葉長の2/3に達し、先端は牙状にはならず自然に消える。枝葉は茎葉より細く小さめで、長さ0.8〜1.5mm、葉縁の微歯は茎葉よりさらに顕著。葉基部が茎に下延する様子はない。
 茎葉でも枝葉でも葉身細胞の様子はほぼ同様、翼部はあまり発達しない(g)。葉身細胞は、中央部でうじ虫形〜長楕円形で、長さ30〜60μm、細胞壁はやや厚い(h)。葉先端部の葉身細胞はうじ虫形〜紡錘形(i)。翼部には方形や矩形の細胞がわずかに並ぶ(j)。葉の横断面で、中肋にはガイドセルもステライドもない(k, l)。
 
 
 
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
(s)
(s)
(t)
(t)
(u)
(u)
 茎の表皮には毛葉や偽毛葉はなく(m)、茎の横断面で弱い中心束があり、表皮細胞は厚壁の小さな細胞からなる(n)。
 朔は柄に傾いてつき、非相称で、やや尖った蓋、僧帽状の帽をつける(o)。朔柄は長さ1cm前後で表面は平滑、横断面で中心束のようなものがあり、表皮部分は小さく厚壁の細胞からなる(q)。標本の朔はいずれも未成熟で、蓋を楽に外せるものはなかった。外朔歯と内朔歯はほぼ同じ長さ。外朔歯は下部に横条、上部に微細な乳頭がある。写真の朔歯が明赤褐色をしているのは、KOHでマウントしたことによる(r〜t)。朔の基部には気孔がある(u)。

 茎は匍匐し胞子体を側生する短枝につける腋蘚類で、枝葉は茎葉より小さく、中肋は一本で葉の中部以上に達し、葉身細胞は平滑で細長く、翼部はあまり発達せず、茎の横断面で弱い中心束をもち、朔歯は内外ほぼ同長、などからアオギヌゴケ科の蘚類だと思う。
 平凡社図鑑で属への検索をたどると、アオギヌゴケ属 Brachythecium に落ちる。ついで、属から種への検索表をたどってみた。検索の冒頭に「枝葉の中肋の長さ」がある。ここで「葉先または葉先ちかくに達する」選択肢を選ぶと、茎葉には縦しわがほとんどないことから、アオギヌゴケ B. populeum となる。しかし、アオギヌゴケなら、朔は短卵形で朔柄上部にパピラがあるとされる。これは観察結果とは異なる。
 そこでもうひとつの枝である「枝葉の中肋は葉の中部付近で消える」をたどってみる。茎葉は1.5mm以上あり、茎葉は彙状ではないのでアラハヒツジゴケは考えなくてもよい。ついで茎葉の先は毛状ではないから、選択肢はかなり絞られる。観察結果に基づいて検索表をたどると、「H. 茎葉は普通1.8mm以下で縦じわはない。葉身中部の細胞は長さ20〜50μm」にたどり着く。
 そこにはオカヒツジゴケ B. sapporense、ヤリヒツジゴケ B. hastile、ノグチヒツジゴケ B. noguchii の3種の名が並ぶ。いずれも、写真や種の解説はなく、検索表にある短い記述がすべてである。これは翼部の細胞が「明瞭な」区画をつくるかどうかで分けられている。オカヒツジゴケにしては葉身細胞のサイズが異なる。ヤリヒツジゴケとノグチヒツジゴケとは、葉身中部の細胞壁の厚みで分けてある。観察結果からは葉身細胞はやや厚壁であるからヤリヒツジゴケとなる。
 Noguchi "Moss Flora of Japan" で B. hastile と B. noguchii にあたると、枝葉の形や翼部の細胞の様子がかなり違う。むしろ、B. sapporense の方が観察結果と符合する形質が多いが、細胞壁の厚さが違う。要するに決め手になる形質がよくわからない。
 アオギヌゴケ属という判断自体が間違っているのかもしれない。あるいは、観察結果の解釈を誤っているのかもしれない。とりあえず、現時点ではアオギヌゴケ属とだけしておく。

[修正と補足:2008.12.12 pm.4:00]
 識者の方から「ヒメコクサゴケ Isothecium subdiversiforme が非常に近い」とのご指摘をいただいた。あらためて、平凡社図鑑、上記 Noguchi の該当種の解説を読むと、観察結果とほぼ符合する。先入観の恐ろしさをあらためて痛感した。朝令暮改のようだが、ヒメコクサゴケと修正する。ていねいなご指摘ありがとうございます。