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[標本番号:No.545   採集日:2008/10/25   採集地:奈良県、川上村]
[和名:ツツクチヒゲゴケ   学名:Oxystegus tenuirostris]
 
2008年12月15日(月)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
 10月25日に奈良県の川上村で、沢の飛沫を浴びる岩の上に小さな群落を作るコケを採集した(a)。植物体はとても小さく、茎の長さは5mm程度で葉先まで含めても1cmにも満たない(b)。乾燥すると葉が不規則に管状に巻縮する(c)。
 葉は披針形〜線状披針形で、長さ3〜6mm、全縁で強い中肋が葉頂にまで達し、葉頂は鋭く尖る。葉の基部は透明で明るく、やや鞘状になる(g)。KOHに浸すと黄褐色に変わる(f)。葉身細胞は、葉の大半で方形〜多角形で、長径6〜8μm、表面には5〜8個の小さなパピラに覆われ金平糖のようにみえる(h, i)。葉の基部に近い部分の葉身細胞は矩形で、長さ8〜20μm、表面は平滑でパピラなどはなく(j)、それに続く基部から鞘部では透明となり薄膜で大型となる(k)。茎の横断面で中心束はなく、表皮は未発達の大型薄膜の細胞となる(l)。
 
 
 
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
 葉の横断面を切り出してみると、中肋はいずれもガイドセルがあり、背腹両側にステライドがみられる(m〜o)。さらに葉の中ほどから上の横断面で、中肋の腹面側の表皮細胞には葉身部の細胞同様に小さなパピラがある(m, n)。中肋の背側の表皮細胞は厚壁で小さく表面は平滑(o)。葉を切り出すことなく、中肋付近の腹面(q)、背面(r)をみてもその様子はよくわかる。

 茎葉直立し、葉は披針形、強い中肋があり横断面にはガイドセルとステライドがあり、葉身細胞が方形でパピラに覆われる、などからセンボンゴケ科 Pottiaceae の蘚類だと思う。最初、保育社図鑑の検索表を使って属の見当をつけようと思った。しかし、この標本には朔をつけた個体はひとつもない。保育社図鑑では、センボンゴケ科の検索表は基本的に朔の観察が前提となっている。それに対して、平凡社図鑑では朔の観察は必ずしも必須事項ではない。
 そこで、平凡社図鑑の属への検索表をたどってみた。葉基部の透明細胞群はV字形にならず、葉は乾くと筒状になり、葉身細胞には多くのパピラがあり、茎に中心束がないから、ツツクチヒゲゴケ属 Oxystegus となる。同図鑑には、当該属について「日本産1種」とあり、ツツクチヒゲゴケ O. tenurostris だけが解説されている。観察結果と比較しながら読み進むと、いくつか気になることがある。Noguchi "Moss Flora of Japan" の O. cylindricus (=O. tenurostris ) に目を通してもやはりしっくりこない。思い違いの恐れも大きいが、とりあえずツツクチヒゲゴケとしておこう。

[修正と補足:2008.12.15 pm6:00]
 識者の方から、「ツツクチヒゲゴケに間違いない、ほかの可能性はほとんど考えられない」との趣旨のコメントをいただいた。そこでメモを付加しておくことにした。
 

 
 
(s)
(s)
(t)
(t)
 本標本は滝つぼ近くの岩から、皮切りナイフの角で削り取るようにして採取したもので、もともと採集量は非常に少なかった。持ち帰ってから、混生していた苔類などを取り除くとさらに少なくなった(s)。平凡社図鑑の種の解説を読んで違和感を感じたのは以下のような点だ。
  1. 葉の大きさに非常に大きなバラつきがあること。成熟した葉で、短いものは2mm程度、長いものでは8mmにも達する。上記(d)は中心的なサイズのものだ。
  2. 茎の横断面に中心束が見られる部分があること。上記の横断面(l)は茎の上半部のものだが、下部の横断面には弱い中心束がみられるものがいくつもある(t)。
  3. 葉身のKOH反応が黄色とはいい難いこと。平凡社図鑑には「黄色」とあるが、本標本では明るい茶褐色に近い(f)。何枚もの葉でやってみたがいずれも同じだった。

[修正と補足:2008.12.16]
 昨日の補足に対し、さらに追記することにした。[葉の中下部の境界面] と [茎の横断面] についての補足となる。あらためてプレパラートを作って再度確認してみた。いまさら後の祭りだが、昨日夕方の再確認の時、標本をいくつも潰しすぎた。
 
 
 
(u)
(u)
(v)
(v)
(w)
(w)
(x)
(x)
(y)
(y)
(z)
(z)
 数少ない標本から3本を選んで、それぞれから葉を数枚ずつ取り出し、葉の中部から基部付近を集中的に観察した。いずれも「大型で薄壁の透明細胞は葉縁に沿ってせり上が」るとはいい難い(u〜w)。葉上部から中部を占める金平糖状の細胞と基部の透明薄壁の細胞との境界面は、色こそ違うが、さほど明瞭ではなくV字状とは言いがたい。
 この3本の茎の1本だけに、横断面に「弱い中心束(t)」が見られるものがあった。そこで、その茎からさらに20片ほど横断面を切り出してみた。20片のうち、「弱い中心束」をもったもの3片、それに近い横断面(z)が2片あった。しかし、残りの15片には中心束はまったくない(x, y)。結局、中心束様のものが見られた確率は5/20となる。ほかの2本の茎の横断面には中心束はない。
 最初の観察の時とほぼ同じ結果である。これから「中心束はない」と判断した。ただ、腑に落ちないので、「弱い中心束」が見られるものについて、昨日の補足で記した。

 KOHによる変色の色味は、昨日と同じだった。朔をつけた個体がないので、朔歯が16枚なのか、32枚なのか確認できない。さらに、標本が少なすぎた。まったく切り刻んでいない標本は、残り5本もない。後日、どこかで類似の蘚類に出会ったときに再度確認するしかなさそうだ。いずれにせよ、典型的なものではないのだろう。ここではツツクチヒゲゴケのままとしておこう。