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[標本番号:No.1027   採集日:2010/10/12   採集地:愛媛県、久万高原町]
[和名:キテングサゴケ   学名:Riccardia flavovirens]
 
2010年12月30日(木)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
(a, b) 植物体、(c) 標本、(d, e, f) 植物体の部分、(g) 表皮細胞、(h) 縁の細胞、(i) 粘液毛、(j) 茎の横断面、(k) 茎の横断面:中央部、(l) 茎の横断面:縁

 四国の面河渓で水流に浸った岩盤に着いていた苔類を観察した(alt 750m)。長さ1〜3cm、幅0.5〜2mm、規則的に高頻度で側面から分枝し羽状となる。粘液毛が葉状体の縁やら腹にある。葉状体の表面はほぼ平滑。葉状体の表皮細胞は薄壁で、表面からみても、横断面をみてもトリゴンはない。茎は6〜7細胞の厚さ。葉状体の翼部は広く、単細胞層は1〜5細胞幅だが、多くは2〜4細胞幅。表皮細胞の大きさは、葉状体中央部でやや大きく、翼部や縁ではやや小さいが、極端な違いはない。表皮を構成する葉身細胞は葉状体内部の細胞より小さい。表皮細胞には油体が一つ含まれる。油体は微粒の集合で、大きさは6〜12μmに及ぶ。仮根は茎の腹の部分にわずかにあるが目立たない。

 スジゴケ属 Riccardia の苔類のようだ。保育社図鑑の検索表をたどるとナミガタスジゴケ R. chamedryfolia に落ちる。しかし種の解説を読むと、油体の数や大きさがまるで違う。そこで、平凡社図鑑の検索表にあたってみた。保育社図鑑掲載種と比較して圧倒的に多くの数が掲載されている。検索表からはキテングサゴケ R. flavovirens に落ちる。種の解説を読むと、観察結果とほぼ符号する。

[修正と補足:2011.1.3]
 クシノハスジゴケのようだ、とのコメントをいただいた。理由として、翼部が明瞭なのが著しい特徴だとのこと。一方、キテングサゴケの翼部は inconspicuous と記されているという。さらにキテングサゴケの表皮細胞にはほとんど全てに油体があるとされるが、写真(g)ではそのようには見えない。ぼけて見えている油体は内部細胞のものではないかという。

 そこであらためて再検討してみた。順番は逆だが、表皮細胞のほとんどすべてに油体があるか否か。残念ながらこれを正面から検証することはできない。手元の乾燥標本にはもはや油体はない(o〜s)。先の観察時すでに採取から80日ほど経過している。標本はチャック付きポリ袋に入れた状態で室内に放置してあったが、観察時植物体はまだ生きていると思われた。この時点で油体をもっていると思われた細胞は表皮細胞か否か、を検討することから始めた。
 実体鏡下では油体の様子はよくわからない(d, e)。一方顕微鏡でみると、多数の油体が明瞭に捉えられた(f, m, n)。問題は、油体を持っている細胞が果たして表皮細胞のものなのかどうか。合焦位置を変えながら観察するかぎりでは、ほとんどの表皮細胞に油体が一つ含まれているように見えた。そこで、合焦位置を変えながら何枚か撮影した。写真(g)は表皮部分に合焦したもの。ボケて写る油体は、表皮細胞の底に位置する油体なのか、内部細胞の油体なのかは分からない。写真(h)は縁の細胞に合焦したものだ。ここで大形の細胞は内部の細胞。大形の細胞内にボケて見える油体は、内部細胞のものか、裏側の表皮細胞のものか、分からない。
 再び水で戻した個体の細胞をみた(p)。いったん乾燥させてしまったのでもはや油体は一つもない(q, r)。植物体が全体に凸レンズ状なので、表皮細胞に合焦すると縁はボケる(s左側)。縁の細胞に合焦すると中央部は内部細胞に合焦する(s右側)。これから分かることは、表皮細胞の大きさは、茎中央の表面と翼部の縁であまり変わらず、縁細胞がやや小さいことだ。
 一方内部の細胞は表皮細胞に比較すると径で2〜3倍の大きさがある。先に観察したとき、表皮細胞内部にあるように見えた油体は、いずれも小さな細胞の中のものだった。油体を持った大きな細胞もあるが、そこに合焦すると小さな細胞に含まれていた油体はさらにボケて周辺をやや暗くする。その場合の油体の見え方は写真(i)のようになる。そこで、写真(g, h)に写るボケた油体は、表皮細胞のものである確率が高いと考えられる。
 

 
 
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
(s)
(s)
(t)
(t)
(u)
(u)
(v)
(v)
(w)
(w)
(x)
(x)
(m, n) 12月30日の画像、(o) 1月3日の乾燥標本、(p) 同左を水で戻したもの、(q, r) 顕微鏡下の姿、(s) 表皮細胞、(t〜x) 各部の横断面

 次に葉状体の各部で、あらためて横断面を切り出してみた。単細胞層の幅は1〜3細胞ほどのものが多く、一部に4〜5細胞と広い部分もあった。他に比較できるスジゴケ属があればよいのだが、手元にはない。したがって、画像(d, e, p)や横断面の様子などから翼部が明瞭といえるのかどうかはよくわからない。

 本属については、T.Furuki "A taxonomical revision fo the Aneuraceae(Hepaticae) of Japan", J.Hattori Bot. Lab. 70:333 ,1991 にあたる必要があるのだろうが、残念ながら手元にない。いずれ参照したいと思う。井上『続・日本産苔類図鑑』1976 にはナミガタスジゴケ R. chamedryfolia について、興味深い次述があった(p.130)。
「乾燥標本にした場合は(ナミガタスジゴケは)クシノハスジゴケなどと区別がつかない。一般にRiccardia属においては,葉状体の形質での分類はほとんどあてにならない。また,胞子体の形質も,種間差がほとんどない。」

 平凡社図鑑の検索表には上記 T.Furuki 論文の結果が反映されているものと考えられる。その検索表にしたがえば、本標本はクシノハスジゴケにではなくキテングサゴケとなる。主たる根拠は「油体は各表皮細胞にある」こと。また、種の解説で、クシノハスジゴケでは「油体は表皮細胞にふつうなく,内部細胞と翼部細胞に1〜3個あり」となっている。一方、キテングサゴケでは「大きな油体が各細胞に1個含まれる」とある。これらにもとづいて、本標本はキテングサゴケとしてよいと思う。コメントありがとうございました。

 12月30日の観察時に感じたことだが、この苔類の油体は少し圧力を加えたり刺激を与えると簡単に微細な粒となって消えてしまう。したがって、葉状体の横断面を切り出すとき、厚い切片を作ると油体は残るが、全体が暗く細胞の境界面も不鮮明となる。一方、薄い切片を作ると、油体はわずかにバラバラになった微細な気泡となって残るか、全く消えてしまう。その結果、横断面の画像(j, k, l)には油体は写っていない。