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2006年10月4日(水)
 
身近な場所、それとも
 
 蘚苔類初心者にとって、自分の力だけで、採取してきたコケを同定するのは至難のワザである。いずれも小さく、どれをとっても皆同じように見えてしまう。図鑑を拡げても、あれにも似ている、これにも似ている、いったいどの仲間なのだろうか、いくら眺めてみても分からない。
 コケを嫌いにならずに、この先、長くコケと親しんでいくためには、最初が肝心である。そのためには、最初の頃にどんな場所で、どんなコケを採取・観察すればよいのだろうか。

 かつての古典的名著、井上 浩, 1962,「コケ類 研究と採集・培養」, 加島書店 には、「初めてコケの採集をしようとするなら、まず我が家のまわりのコケから始めるのがよい。少なくとも10種類位のコケ類が生育している。」とある。
 また、写真を豊富に使った、中村・古木・原田, 2002,「野外観察ハンドブック 校庭のコケ」, 全国農村教育協会 では、言外に「身近な(校庭の)コケから観察しよう」との主張が読みとれる。もっともこの書物については、シリーズの趣旨から、そうならざるを得ないのだろう。
 さらに、ネット上をみると、岡山理科大学のコケ研究室の [コケをいかに学ぶか・教えるか] では、[コケ植物入門] の Lesson5. で「身近な場所に生育する,分かりやすい種類を探してみよう」と提案している。
 一方、最近の著名な教養書、秋山弘之, 2004,「苔の話 小さな植物の知られざる生態」, 中公新書 では、「最初はちょっと足を伸ばして山沿いの谷から観察を始めるのがよいでしょう。一番のおすすめは、お寺か神社の境内に行くことです。」とある。

 ここには正反対の二つの主張がみられる。両者ともに、それぞれ合理的な理由があろう。秋山氏は上記文面に先立って、同著で以下のように記している。
 「苔を見るにはどういった場所に出かければよいか、始めたばかりの頃一番悩むところでしょう。どうしても、家の周りの公園などから始めてしまうことが多いと思います。しかしそういった場所には大型で目に止まりやすく、そして初心者にも名前が調べやすい種類はあまり生えていないもので、逆に小さくて同定のきわめて難しいものが多いのです。(中略) このような場所から観察を始めるとすぐ嫌になってしまうことでしょう

 こられの文面をみると、ついきのこのことと比較してしまう。きのこに関しては、研究が進んでいないこともあり、いまだ名前を持たないものがとても多い。採取してきたきのこの半分は新種やら新産種であった、などといったことは日常茶飯事である。
 特に身近な小さなきのこについては、おそらく多くが新種やら、新産種だろう。要するに図鑑をいくらみても、どこにも掲載されていない。それに対して、特定の樹種や地域、標高などを選べば、そこには図鑑に掲載されている同定のやさしいきのこを比較的楽に見つけやすい。
 食毒の対象としてキノコを覚えたいという話は別として、きのこについてより深く知りたいと思えば、やはり最初の頃に代表的な目、科、属の特徴を知り、それらの代表的なきのこに親しむことは重要だろう。そのためには、身近な場所で採取、観察というわけにはいかない。

 コケ世界のことは全く分からないが、きのこに関する経験から、コケについて最初に採取したり調べてみようとするとき、上記の秋山氏の提案が説得力を持つように思えた。おそらく、都会で身近に見られるコケの種類といえば、かなり限定されるのだろう。ある程度コケについて分かってくれば、これらの同定は比較的楽にできるのかもしれない。しかし、初心者にとっては、それらの多くは同定困難な種だろうと想定される。
 身近なところから採取、観察すると、結局どの種に落ちるのか分からない状態が続くのではあるまいか。そのうちに、コケそのものを知ろうとする意欲は薄れ、コケから離れていってしまうのではあるまいか。秋山氏は他の著書「コケの手帳」2002, 研成社 でも、上記と同様の趣旨を述べておられる。この主張の裏には、苦い経験があったのであるまいか。

 本サイトの「コケの観察覚書」で取りあげたものは、今日現在のところ、身近なところで採取したものは少ない。外出した際に見かけるコケの中でも、何となく他と違うと感じたもの、これなら同定できるのではあるまいか、そう感じたものばかりである。実は、これ以外にもかなり持ち帰って乾燥標本のまま放置してあるコケがある。
 また、なかには、さんざん調べたが結局どの属に落ちるのかすら分からないため、「覚書」には取りあげなかったものがいくつもある。それらは乾燥標本の形で保管してある。後日、多少なりとも経験を積んだら同定できるだろう。そう考えて一応データと観察結果、標本だけは保存してある。家の近くの身近のところで採取したものほど分からない。