2008年10月17日(金)
 
脆くて小さなきのこ:イヌセンボンタケ
 
 今日の雑記はダラダラととても冗長で内容も退屈だ。

 ヒトヨタケ科のきのこを検鏡するのは、一般に思いの外難しい。ヒダ実質だとか傘表皮の構造を正確に確認しようとすれば、どうしても組織の薄片を作らねばならない。ところが、触れただけですぐに崩れてしまうため、なかなか薄く切り出すことができない。
 今の時期、あちこちでイヌセンボンタケが見られる(a)。肉眼的観察と胞子を見れば楽に同定できるとされ、ヒダ実質、シスチジアやカサ表皮などを確認する人はいない。だから、複数の信頼性が高いとされる図鑑に、相矛盾する記述があってもなかなか気がつかない。
 

(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
 とりあえず胞子紋(d)をとり、胞子を水道水(e)と濃硫酸(f)で封入した。特徴的な大きな発芽孔がある。濃硫酸で封入すると、発芽孔から内容物が突出する。さらに長時間放置しておくと、たいてい内容物が風船のように膨らんでくる。同定のためならこれで観察終了となる。
 
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
 面倒な作業をせずとも簡単に同定できるのだから、ヒダ切片を切り出すなど物好きの冗長な作業とされる。とりあえずヒダを一枚取り外してスライドグラスに載せ、縁をみた(g)。縁シスチジアとは言い難いが、縁には類球形の組織があるようにみえる。
 そこで、スライドグラスに載せたヒダを横断面で切り出した(h)。多量の胞子が邪魔をして、ヒダ先端や側面の様子をはっきり捉えられない。ヒダの縁には類球形の組織がある(i, j)。複数個体から、何枚ものヒダをチェックしてみたが、そのどれにも側シスチジアはなかった(h〜k)。ヒダ実質は類並列型(k)。念のために担子器を確認した(l)。
 
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
 一般にヒダ実質を確認するためには、ヒダを一枚スライドグラスに寝かせてそれを実体鏡の下で切り出す。あるいは、ヒダを一枚ピスに挟んで徒手なり簡易ミクロトームを使って切り出す。しかし、イヌセンボンタケでこれを行うのはとても難しい。
 そんな場合には、複数のヒダを傘と一緒に切り出すと楽だ。多少厚めでも切片が倒れにくい。さらにこの方法ではカサ表皮も同時に観察できる。最初に実体鏡を使わず目見当で何枚かスライスした(m)。これらの中から薄目のものを選んで検鏡した(n, o)。
 さらに薄く切りたければ、実体鏡の下で切り出せばよい。今度は実体鏡30倍で切り出してフロキシンで染めた(p)。やはり、ヒダを一枚だけ寝かせて切ったもの(h)よりもずっと楽に切れ、プレパラートもしっかりしている。一枚だけをうまく切り出せても、カバーグラスを被せると、大半はその重みで潰れたり倒れてしまう。しかし、傘と一緒に複数のヒダを切り出せば、カバーグラスの重みも分散するので、組織が潰れにくい。
 傘表皮は類球形の細胞が柵状に並んでいるようだ(q)。カサ表皮には放射状に条線がはいっているが、その条線の凹部には傘表皮と同じ構造が見られる(r)。

 上記の観察結果から、保育社『日本新菌類図鑑』で節の検索表(I: p.163)を忠実にたどると、イヌセンボンタケ節とはならず、ヒメヒガサヒトヨタケ節など別の節に落ちてしまう。というのは、カサ表皮には類球形細胞が単層で柵状に並ぶからだ。検索表を作るのは難しい。
 肉眼的にはどうみてもイヌセンボンタケにみえるので、保育社図鑑のイヌセンボンタケの記述をみる。すると、Coprinus disseminatus (Pers.:Fr.) S.F.Gray の学名があてられ、「傘および柄のシスチジアはともに長首のフラスコ形で長さ150μmにたっする。縁シスチジアもほぼ同形で長さ約100μm」とある。肉眼的特徴や胞子は記述とほぼ一致する。
 スイスの菌類図鑑で Coprinus disseminatus (Pers.:Fr.) S.F.Gray にあたると、"Cheil- and pleurocystidia not seen."、つまり縁シスチジアも側シスチジアもないと記されている。傘シスチジアについては、"pileocystidia with a cylindrical neck"、柄シスチジアについては、"Caulocystidia similara to the pileocystidia" とある。
 今回採取したイヌセンボンタケ?では、柄シスチジアはスイス菌類図鑑に記されたものとほぼ同じだが、傘シスチジアは無い。また縁シスチジアはないともいえるし、類球形のものがあるともいえる。側シスチジアはない。でも、肉眼的にはどう見てもイヌセンボンタケだ。原記載の書かれた1801( or 1821) といえば、数行の非常に簡単なものだろうから、シスチジアなどには全く触れていないのかもしれない。当時の顕微鏡といえば、現在の小学生用単眼顕微鏡程度の性能だったろう。ミクロの詳細に触れていたとしても、たいした情報は得られそうもない。


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