2018年3月2日(金) 改めて読んで面白かった池田『分類という思想』
 20年ぶりに池田清彦『分類という思想』(1992, 新潮新書)を読み直してみた(a)。この本が出版されたのは26年前で、「構造主義」の観点から分岐分類学を徹底的に批判したものだ。池田らの構造主義分類学は現代の主要な生物分類学とはかなり異質なものだが、生物分類学の枠を超えて科学哲学の書として読むと非常に面白いことを再確認した。
 この本で主張されていることは、最終章にいみじくも記されているように「分類はいずれにせよ、人間が行う営為のひとつである。ということだ。すなわち、すべての分類は人為分類である。従って、すべての分類は本来的に恣意的なものである」ということにつきる。
 専門家相手ではなく一般向けの内容で、しばしばとんでもない脱線やらかなり強引な論理展開もあり首を傾げたくもなるが、「分類行為とは何か」について考えさせられる。論理展開には疑問も多いが「すべての分類は本来的に恣意的なものである」という結論には同感だ。

 池田が批判している(b)「種生物学研究13」掲載の三中信宏の論文(c)は分岐分類学の全体像を手っ取り早く把握できて一読の価値がある。この論文は池田の上期書より2年ほど前に書かれたものだが、8ページの本文に対して詳細な注釈が16ページにも及ぶ(d, e)。この注釈が面白い。Willi Hennigに始まる分岐分類学を積極的に評価しながら、問題点をも含めて学派の進展を門外漢にもわかりやすく述べていて、これまたとても興味深い。
 三中の一般向け新書として2008年と2009年に講談社現代新書として刊行された『系統樹思考の世界』と『分類思考の世界』は生物学に限らず、系統樹と分類という古くて新しい問題を広く渉猟したもので、これまたとても面白い(f)。新たな視野が広がることは確実だ。

 一昨日と昨日にかけて、これらの書と池田『進化論の最前線』(2017、集英社)や「種生物学研究No.13」の三中論文などを一気に読み通した。すくなくとも、分類とか分類学を考える上で、専門家だけではなくアマチュアにとってもこれらの文献は必読文献の一つだと思う。
 

(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
 これから三重県に向けてプリウスで出発。上信越道−国道142号-中央道−東名阪道で行くことにした。今晩と明日の晩は三重県泊まり。帰宅は日曜日(3/4)の夜になる予定だ。


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