まだきのこにほとんど関心のないずっと昔、寒さに震えながらポケットに両手をつっこんで、冬の海辺を歩いていたときのことだ。砂粒が強い風にとばされて顔にあたりとても痛い、ふと足下に目をやるとウサギの糞のような丸いかたまりがいくつも転がっていた。野ウサギの糞がいくつも転がっているのだろうと思った。しゃがみ込んでよくみると丸いかたまりの中央部には小さな口があり、指先で突っつくとそこから黄褐色の粉を吹き出した。まさかこれがきのことは考えてもみなかった。これがケシボウズとの最初の出会いであった。それ以来ケシボウズタケという名称だけがしっかり脳裏にやきついていた。
ケシボウズタケ属(Tulostoma)のきのこは、その大部分が石灰岩質の荒地やら乾燥しきった砂地に発生する。その中でも寒い時期に海辺の砂地に出るものが圧倒的に多い。そして日本産のケシボウズタケ属として知られているものはわずかに4〜5種くらいしかなく採取例も少ない。それもそのはずである、誰が好きこのんで寒い冬の海辺にきのこ探しに行こうか。晩秋といえばナメコ、クリタケなどを求めて歩く人はいても、きのこを求めてわざわざ海辺に赴く人などいない。
きのこに関心を持つようになってから、何度か冬の海辺にケシボウズを探して歩くようになった。すぐにでも見つかるだろうと考えている内に何年もが経過していた。この間には冬場も他のきのこを追いかけていたこともあり、なかなか出会うことはままならなかった。再び真剣にケシボウズを探して動くようになったのは3〜4年前のことだったろうか。多くの場所を捜し歩いたがいっこうにケシボウズは現れてくれなかった。
2002年12月7日にようやく出会えたのが表紙のケシボウズだった。その場所は3年程まえから何度も探し歩いたところだった。この日は新鮮な個体がいくつも見られた。縦に裂いてみると黄褐色のグレバとまだやわらかい柄が印象的だった。てっきりナガエノホコリタケかアラナミケシボウズタケだろうと考えていた。ところが胞子を見るとその表面には予期していたものとはまったく違った模様が見えた。刺か疣で被われていると思っていたのだが、肋骨のように大きく隆起した条線が走っていた。
胞子の他にも、外皮(exoperidium)、内皮(endoperidium)、孔口(stoma)、弾糸(capillitium)などの特徴を詳細に検討していくと、どうやらTulostoma striatumという種名が浮かび上がってきた。胞子の表面模様に大きな特徴をもっていて、学名の由来も「(胞子に)条線のある(striatum) Tulostoma」というところから来ている。ただ、国内では未知種ということになっているので和名はまだ無い。仲間内ではこのケシボウズに対して、ウネミケシボウズタケと呼んでいる。
国立科学博物館には松田一郎氏によって新潟で採集されたケシボウズタケ属の標本が収蔵されている。いわゆる松田コレクションである。J.E.WrightはそのうちのひとつをT. striatumとして1987年刊のモノグラフで記述している。松田氏が1965年の日本菌学会会報第6巻に発表したのはナガエノホコリタケとアラナミケシボウズタケの2種であった。当時、アラナミケシボウズタケは日本新産種でありこの和名は松田氏による仮称であった。また、氏による「新潟県のキノコ(1981)」に取り上げられているのは、菌学会会報第6巻で報告した2種だけである。さらに新潟きのこ同好会の会誌「どうしん 3号(1993/12)」の記事「きのこ漫筆.その2 思い出の砂丘のきのこ」でもやはりナガエノホコリタケとアラナミケシボウズタケの2種しか取り上げられていない。菌学会会報第7巻以降1987年までにはケシボウズタケの日本新産種についての記事はない。
2003年9月に筑波の国立科学博物館標本庫を訪れて、松田コレクションを調べたり、T. striatumの国内産標本がないかどうかを調べてみた。しかし、松田コレクションにも国内産標本にもT.striatumは一つも存在しなかった。また、標本の一覧にも掲載されていない。J.E.Wrightが科博標本をT. striatumと指摘したサンプルはどれだったのだろう。そしてそのサンプルはいったいどこに消えてしまったのだろう。なお、科博標本のケシボウズタケ属の大部分はかつて故吉見昭一氏が一度借り出して返却されている。各標本に添付のアノテーションノートからもこのことははっきりわかる。
最終的な種の同定にはSEM(走査型電子顕微鏡)による胞子観察が欠かせない。SEMでみると実に鮮やかなウネが見える。日本新産種として発表するつもりで、過去の文献類の調査を進めると問題点が多々あることがわかった。1999年8月に吉見氏がT. striatumを国内産ケシボウズとして一度スジケシボウズタケの名でリストアップされたことがある。しかしその後2001年6月には訂正・削除されている。この間の事情ははっきりしない。故吉見氏が解決のカギを握っていることは確かだが、今となってはどうにもならない。(2003/3/18。2003/10/18追記)
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