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[標本番号:No.468   採集日:2008/07/19   採集地:長野県、松本市]
[和名:キシッポゴケ   学名:Arctoa fulvella]
 
2008年8月22日(金)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
 7月19日長野県乗鞍岳の標高2,600m付近で、石ころ上についていた小さなコケを持ち帰っていた。茎は高さ4〜8mm(b)、葉を密につけ、乾くと軽く茎に密着気味になり(c)、湿ると葉を展開させる(d)。後の観察に備えて、胞子体だけを取り外した(f)。
 葉は弓形に曲がり、長さ3〜4mm、卵形の基部をもち、基部の肩からやや急に細くなり漸尖し、先端は微細な歯を持った針のようになる(e, g, h, i)。葉の翼部は褐色を帯び、他よりも大きな細胞がみられる(j)。中肋は薄く、やや幅広の基部から葉頂にまで達する(g, h)。
 葉身細胞は長い矩形〜線形で、幅4〜6μm、長さは場所により変異が大きく、20〜80μm(k)、翼部には大形で褐色の矩形細胞が並ぶ(l)。いずれの部分でも葉身細胞表面は平滑。 茎の横断面には弱い中心束があり、表皮細胞は髄部と明瞭には分化していない(m)。葉の横断面をみると、中肋に顕著なガイドセルはあるが、ステライドはない(m, n)。
 
 
 
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
(s)
(s)
(t)
(t)
(u)
(u)
(v)
(v)
(w)
(w)
(x)
(x)
 朔はほぼ相称で直立し、僧帽状の帽、長い嘴状の蓋、16枚の単列の歯があり、全体の形は卵形〜鐘形(o〜q)。乾燥すると、朔表皮の部分に弱い縦皺が現れる。朔歯基部には口環があり(r)、朔表面の基部付近には気孔がみられる(s)。
 朔歯は鮮やかな赤色を帯び、披針形の朔歯は中程から二裂し、先端は白色の細い芒状になる(q, t)。朔歯の表面は小さないぼに覆われ(u)、そのすぐ内側には顕著な縦状が見られる(v)。合焦位置を変えてみると興味深い。胞子は大きさにかなりのバラツキがあり、径12〜20μmに及ぶ。中心的な大きさは18μmあたりだ(w, x)。

 キシッポゴケ属 Arctoa にたどり着くのに、かなり迷走した。現地で見たとき、てっきりシッポゴケ科 Dicranaceae のススキゴケ属 Dicranella だろうと思っていた。朔を観察した当初、口環があるのは分かるが、気孔は見つからなかった。このため、ススキゴケ属の検索表で「朔に気孔を欠き、口環はある」グループをたどることになった。すると次の検索分岐は、中肋の幅と朔柄の色となっている。そこに掲げられた種の解説は、すべて観察結果と矛盾するものだった。
 そこで、改めて朔を観察し直してみると、朔柄に近い部分に疎らに気孔があることがわかった。改めてススキゴケ属の検索表をみると、いまひとつの大きな分枝は「朔に気孔はあるが口環はない」グループとなっている。要するに、気孔もあって口環もあるグループは、検索表には現れてこない。そういうことはしばしばあるので、こちらのグループの種についての解説をすべて読んでみたが、やはり観察結果とは合致しないものばかりだった。

 ここに至ってはじめて、ススキゴケ属であるとした前提が誤っていることに気づいた。改めてシッポゴケ科の検索表をたどってみた。ススキゴケ属とキシッポゴケ属とはずっと上の段階で「葉の翼部の細胞の分化の度合い」によって全く別グループの属であることを知った。
 ススキゴケ属は「翼部の細胞は小型でほとんど分化しない」グループであり、キシッポゴケ属は「翼部の細胞はよく分化し、大きくてふつう薄壁」のグループとなっている。「よく分化」するグループをたどると、残る選択肢はキシッポゴケ属だけとなった。  キシッポゴケ属は日本産1種とあり、検索表は当然なく、キシッポゴケだけが解説されている。観察結果は概ね一致する。
 思い込みにとらわれずに、素直にシッポゴケ科の検索表をたどっていれば、すぐにでも種にまで達することができたろう。このため、Noguchi "Moss Flora of Japan" や、他のモノグラフまで総当たりするハメになった。結果としては、保育社の図鑑だけで解決のつく、比較的単純な蘚類だったことになる。