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山歩きのこと (2) | |
ここ十年ほど前から中高年の登山者が急増したといわれる。確かに山を歩いていると、若い人たちよりも団塊の世代といわれる人たちの姿が目立つ。特に平日の山では彼らの姿の方が圧倒的に多い。高齢者の単独行も頻繁に見かける。 他人事ではなく、自分でもふだん山を歩くときはたいてい独りだ。いわゆる高齢者の単独行といって、世間では決して好意的な見方をされない行動だ。というのも山での遭難に占める高齢の単独行者の比率がとても高いことによる。 若い頃には妻と二人で毎月2〜3回は山を歩いていたが40歳頃には止めた。その数年あとにはスキーも止め、8セットほどあったスキー板や靴は粗大ごみとして処分した。それ以降ほぼ30年間は山歩きとはほとんど縁がない生活となった。野山を歩くのは山菜採り、きのこやこけの観察くらいで、休日はきのこの会の集まりに出席したり、終日図書館や博物館で過ごすのが常だった。
現在のように頻繁に山を歩くようになったのは妻の事故死のあとからだ。それまでは独りで山を歩くのは年に数回だけだった。ふだん山歩きといえば数ヶ月に1度彼女と二人で歩く程度だった。それも相手の体力とペースに合わせて歩くので、高い山や長時間歩行とは全く無縁だった。そのことに特に不満や物足りなさはなかった。
彼女の死後10日ほど経た頃奥日光に上がり千手ヶ原を歩いた。独りだけでここを歩くのは初めてだった。途中で夫婦連れに出会うと、猛烈に寂しくなり涙がこぼれて仕方がなかった。その後数ヶ月は彼女との思い出の場所ばかりを歩いていた。9月に歩いた鳴虫山が一つの転機になった。この山は埼玉県川口市に住んでいた頃に彼女と一緒に歩いた山だが、日光に転居してからは一度も歩いていなかった。
山を歩いていると少なくとも妻の死のことを一時的に忘れられることに気づいた。酒を飲まずとも適度の疲労感から夜眠れるようにもなってきた。そこで天候が良ければなるべく山を歩いたり、長時間の散歩をするようになった。どこの山を歩くかは全くいきあたりばったりで、早朝の天候と気分で決めてきた。 |
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