2018年6月9日() 一人だけの寂しい食事:でも自分で作っている
 親しい友人らが残された私の食の心配をしてくださる。というのも、日常の炊事・洗濯・掃除のすべてをカミコン(連れ合い)にやってもらい、私は全く自立できず、何もしてこなかった。皆さんからは私が何も作れず、洗濯もできずオロオロしているのではあるまいかと心配してくれて、いろいろな食料を送ってくださった。本当に頭が下がる。ありがとうございます。
 そこで彼女の交通事故死の日(5月26日午後)から6月7日までの食事を写真を添えて報告を兼ねたメモを残すことにした。

 5月26〜6月1日:カミコンの事故死(5/26)の夕方から6月2日の昼までは食べ物がまったく喉を通らず、ほぼ1週間食事はとらなかった。この頃には何人かの友人らが一緒に辛い夜を共にしてくた。独りの夜はもっぱら酒を飲んで、辛さ苦しさから逃げていた。

 6月2日:この日の夕方、彼女の死後初めて食事を作って食べた。友人から送られたウナギのかば焼きを温め、玉ねぎとえんどう豆の味噌汁を作った。
 1週間何も食べなかったところに一気に一人前の食事をしたので、食後すぐに胃痙攣のような症状がでて全身に震えと悪寒が走り、その日はほとんど動けなくなった。
 6月3日:胃の違和感と随時湧き起こる痙攣様の症状が続いていたが、友人が調理して持ってきてくれた料理を昼に少し食べた。夕食は肴なしで焼酎を少し飲んだ。
 6月4日:まだ胃が変で、朝昼食はとらず、夕方に炒め物と味噌汁を作ってビールの肴にした。胃の違和感はほとんど消えて、何でも食べられそうな気がしてきた。
 6月5日:朝食と昼食を作って食べた。調理らしい調理はせずに、簡単な食事とした。夕方には肴は作らず、送られてきた焼酎をコップに四盃ほど飲んだ。
 6月6日:三食作って食べてみようと考えて、朝と昼に調理して食べた。夕食は昼の残りうどんとビールになった。やはり三食すべて作るのはしんどかった。
 6月7日:朝は冷凍保存してあった米飯をチンし、味噌汁と納豆にキムチで食べたが、飯は半分ほどしか喉を通らなかった。残りは再び冷凍した。この残りの飯を昼と夜に食べた。夜は6月2日に友人から送られた残りのウナギかば焼き(1/2)を使ってうな丼にした。
 

(6/2 夕)
(6/2 夕)
(6/4 夕)
(6/4 夕)
(6/5 朝)
(6/5 朝)
(6/5 昼)
(6/5 昼)
(6/6 朝)
(6/6 朝)
(6/6 昼)
(6/6 昼)
(6/6 夕)
(6/6 夕)
(6/7 朝)
(6/7 朝)
(6/7 昼)
(6/7 昼)
(6/7 夕)
(6/7 夕)
 昨日また長女が来てくれた。しかし彼女の体調が芳しくないため、食事はそれぞれ別々にとっている。今回は数日間の滞在だが、長女がそこにいてくれるだけでこんなにも心が落ち着くものかとつくづく感じる。数日間の滞在で再び戻るが、またやってくるという。
 昨日千葉県の御宿に住むTさんご夫妻がやって来てくれた。またウナギをもらってしまった。


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