一人だけの寂しい食事:でも自分で作っている | |||||||||||
親しい友人らが残された私の食の心配をしてくださる。というのも、日常の炊事・洗濯・掃除のすべてをカミコン(連れ合い)にやってもらい、私は全く自立できず、何もしてこなかった。皆さんからは私が何も作れず、洗濯もできずオロオロしているのではあるまいかと心配してくれて、いろいろな食料を送ってくださった。本当に頭が下がる。ありがとうございます。 そこで彼女の交通事故死の日(5月26日午後)から6月7日までの食事を写真を添えて報告を兼ねたメモを残すことにした。 5月26〜6月1日:カミコンの事故死(5/26)の夕方から6月2日の昼までは食べ物がまったく喉を通らず、ほぼ1週間食事はとらなかった。この頃には何人かの友人らが一緒に辛い夜を共にしてくた。独りの夜はもっぱら酒を飲んで、辛さ苦しさから逃げていた。
6月2日:この日の夕方、彼女の死後初めて食事を作って食べた。友人から送られたウナギのかば焼きを温め、玉ねぎとえんどう豆の味噌汁を作った。 |
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昨日また長女が来てくれた。しかし彼女の体調が芳しくないため、食事はそれぞれ別々にとっている。今回は数日間の滞在だが、長女がそこにいてくれるだけでこんなにも心が落ち着くものかとつくづく感じる。数日間の滞在で再び戻るが、またやってくるという。 昨日千葉県の御宿に住むTさんご夫妻がやって来てくれた。またウナギをもらってしまった。 |
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