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ぷろふぃいる

開設日 2017年1月1日 日々の雑記としてリニューアルオープン
2001年4月24日 きのこ雑記としてサイトオープン
運営者 浅井 郁夫
浅井 淑子 (2018年5月26日交通事故に遭い死亡)
居住地 栃木県日光市 (今市地区)
趣 味 低山歩き、野草・菌類・蘚苔類の鑑賞
所属団体 日本菌学会、日本菌学会関東支部、千葉菌類談話会、菌類懇話会、
日本蘚苔類学会、岡山コケの会
主な行動先 2018年6月〜:栃木県日光周辺、栃木県北部
2015年7月〜2018年5月:栃木県全域、関東地方北部
2012年〜2015年6月:いわき市、福島県浜通り、東北地方南部
2000年〜2011年:埼玉県南部、栃木県日光周辺、関東地方北部
日常の撮影 SONY SLT-A33+18-55mm/3.5-5.6 SAL1855、iPhone 12mini
顕微鏡など [顕] BIOPHOT (Nikon)[実体] SZ-PT (Olympus)
顕微鏡撮影 [顕] NFK2.5xLD+EOS Kiss X8i (Canon)[実体] NY1S+EOS Kiss X8i

MONOLOGUE

 昨年の初秋頃から持病の全身性強皮症の悪化が急速に進んでいる。秋の頃からは右指に力が入らなくなり、特に親指にその傾向が強い。右足でも思い通りの動きができないことが多くなった。その結果、歩く速度がますます遅くなった。山を歩いていて梯子や鎖、ロープを張られた斜面などの登高に支障をきたすようになっている。幸いありがたいことに車の運転には今のところ全く支障はでていない。それでも念のために、日常的に左足でブレーキを踏む練習もしている。
 だからといって岩壁や急斜面などの多い山を歩くことを諦めたくはない。そこでいろいろ工夫をしている。しばしば補助ザイル [使用例]、自作の簡易ハーネス [使用例] やとび職の使う補助具 [長い梯子の途中で休むのに使用] を利用する。これらのおかげで急斜面での滑落や足場の悪い場所での長い鎖場、急で長い梯子などでの墜落防止に役立っている(雑記2024.2.25同2018.11.15、etc.)。
 悪いことばかりではない。山歩きでは以前にも増して慎重になった。少しでも無理かもしれないと思えば、それなりの対処をするようになった。まき道があればそちらを利用する。下りが不安ならば補助ザイルを利用する。基本的に困難と思われる場所には近づかない。かつて楽に登れたからといって過信することはなくなった。
 動ける限りは今後も野山を歩き続けたいと思っている。一緒に歩ける仲間を得ることはほぼ諦めているが、それでも可能であれば仲間を得たいと思う。 (2024.4.25)

 つい最近まで日常的に使っていたカメラは NIKON1 J5 だった。小型で扱いやすかった。しかし、最近になってはるか以前に使っていたSONY α33(SLT-A33)に変えた。ミラーレスではなく、デジタル一眼レフなので嵩張って重い。
 ここ数年、にわかに体の自由がきかなくなってきた。持病の悪化が主因だ。寒さを過敏に感じるようになった。特に手の指は慢性的に冷たく、気温が摂氏18℃でも指が蒼白になって自由に動かせなくなることもある。だから常に手袋を持ち歩く。
 ただでさえ指先での細かな操作が困難な上に、手袋をした状態での操作は更に難しい。小型のミラーレスカメラでは電源ボタンやダイヤル操作などに難儀するようになった。昔のデジタル一眼レフはボタンやダイヤルが比較的大きい。また、必ずファインダーが着いている。カメラ本体の重量は仕方ないとして、しばらくはミラーレスカメラから離れて、一眼レフを主体に使ってみることにした。 (2023.4.30)

 生物顕微鏡の撮影専用に使ってきたCanonの一眼レフEOS Kiss X7iが半年ほど前から色々な不具合が連発するようになってきた。キャノンのサービスセンターでの修理見積りでは2万円以上になる。結局そのため半年ほど放置してきた。
 さらにリモート撮影をするためのソフトEOS Utility Ver3は以前のVer2に比べて圧倒的に使い勝手がよくなっている。しかし、この新機能はEOS Kiss X8iから後の機種でしか使えない。X7iで起動すると旧来のVer2と同じものが立ち上がる仕組みになっている。要するに新たな新機能はX7iでは利用できない。
 そこでX7iを修理して使い続けるよりも、X8iを入手して利用する方が賢明だと感じるようになっていた。Ver3の使い勝手については実体鏡で使用しよくわかっている。おりしもコロナウイルス対策のための緊急対策特別給付金が5月21日に振り込まれた。これで中古のX8iを入手した。ミクロ撮影はX8iに一本化された。 (2020.6.16)

 この「ぷろふぃいる」に少し手を入れた。といっても「趣味」のところに若干の表現の変更を加えだけだが、意味するところは決定的に違う。浅井淑子のいない毎日を過ごすうちにいつの間にか一年と三ヶ月ほどが経過した。彼女がいなくなって以降、きのこを詳細に観察・記録したり研究することに対する意欲が急速に失われてきた。この何年間もの間、精神的に如何に彼女に支えられていたのかを痛感する。

 今後はきのこについては「観察」ではなく「鑑賞」して楽しむだけになるだろう。今後も顕微鏡は使うがミクロの姿を楽しむためだ。コケについても「鑑賞」とした。また、彼女の知識レベルに近づくために「野草の観察」を加えた。さらに「秘湯探訪」や「蕎麦探訪」は独りでは意味がないので位置づけを変更した。 (2019.8.14)


 2018年5月26日午後、自転車で近くのスーパーマーケットに買い物に出たきり浅井淑子は帰らぬ人となってしまった(あの日のこと:悲しみのどん底へ)。この直後からしばらくは絶望感と孤独感から精神ばかりではなく体も変調をきたした。食べ物は勿論のこと、水や酒を飲んでもすぐに嗚咽して戻してしまう有様だった。結局この一週間ほどは、何も食べられず何も飲むことができなくなり、結果的に5〜6Kgほど体重も減ってしまった。一時はこのサイトも閉鎖し、生きることもやめようかとさえ思った。しかしゆえあって、もうしばらく生きてみようと思うようになり、もともとが自分たちの覚書だったこの雑記も当面継続していくことにした。 (2018.6.26)

ASAI Ikuo

 気が付けばいつのまにか71歳を超えてしまった。かつて豊かだった髪もいまや「おけがなくって良かったね!」と言われる。歳相応にカラダもオツムもヨレヨレだが、医者と薬は昔から大嫌いなのですべては自家治療だ。
 最近とみに記憶力の衰えを痛感する。これはアルツハイマーの始まりだろう。きのこやこけを目の前にしても、出てくる言葉は「あれ、あれだよ」。種名が分かっていても口から出てこない。すると周囲から、ほんとうはわからないんだよ、という小声が聞こえてくる。まさにその通りで、実はきのこについても、こけについても何も分かっていない。
 月に1〜2回ほど東京に出かけるが、コンクリートとビルの群れの中にいると落ち着かない。都会を後にしてまわりに田園風景が広がり始めるとようやくほっとする。

(2018.2.11)
(故) ASAI Yoshiko

 定年からあっという間に9年もたってしまった。主婦が嫌がる3食提供する生活もなんとかクリアしている。日光に引っ越してからは手ごろな値段で美味しい外食のできる店がけっこうあり、まだまだ開拓の余地があるのでこれも楽しみの一つとなっている。
 そしてアラゲコベニチャワンタケの仲間に出会って最高の暇つぶしを手に入れたと思っている。ひとつのことを追いかけていると実に色々な事に出会う。苦手なカメラ撮影、パソコンの操作、顕微鏡、そしてもっとも苦手な文献の検索と英語文献などと続くのである。その為の時間を捻出するために大好きな時代小説、推理小説を読むことをこの9年間ずーっと封印してきた。ボケ予防は着実に実行しているのだが症状は間違いなく進んでいる。
   [2018.5.26 交通事故に遭い死亡]

(2018.2.11)

 長いこと使ってきた一眼レフカメラE-620(Olympus)をやめてミラーレス一眼カメラを使うことにした。今年からはメインのシステムをα6000(Sony)とOM-D E-M10 MarkII(Olympus)とし、マウントアダプターを介してフィルムカメラ用など手持ちの古いレンズも利用することにした。ミラーレスのボディーは両社製品とも中古の型落ちだ(雑記2018.1.16)。コンデジはSTYLUS TG-4を使うことにした。顕微鏡撮影にはあらたに一眼レフEOS Kiss X7i(Canon)をあてた。GXR及び専用レンズ2本と一眼レフはKiss X7iを覗いてすべて処分した。 (2018.1.16)

HOME PAGEを日々の雑記とし、きのこ雑記はそのサブページに変更
 16年目にして「きのこ雑記」の幕を引くことにした。「きのこ雑記」という名称でサイトを起こしたのは2000年11月23日。通算16年間以上続けてきたことになる。2001年4月24 日には「今日の雑記」を、同年5月31日には「キノコのフォトアルバム」を開設した。こ れらは少なくとも週に1回以上、時にはほぼ連日更新を続けてきた。「きのこ雑記」は今 年から「日々の雑記」のサブページとして残し、主たるページは「今日の雑記」となる。 (2017.1.1)

 2015年6月25日に3年半ほど住んだ福島県いわき市を離れて、26日から栃木県日光市に転居することになった。いわき市時代と違って庭も畑もない環境の狭い一軒家なので、自宅の庭を実験区にしての観察などは全く不可能となった。また、気候風土もいわき市と比較すると、冬はずっと寒く夏は気温も湿度も高い。ただ、私達にとっては、日光市は「きのこの原点」ともいえる場所なので、新たな発見も期待できそうだ。 (2015.6.26)

 2012年1月25日に30年間近く住んだ埼玉県川口市を離れて、26日から福島県いわき市に転居することになった。川口市在住時代には、主に埼玉県南部と西部の自然公園や雑木林、千葉県房総半島や静岡県遠州灘の海浜、日光の山などを定点観測してきた。今後は海浜生のきのこ観察は棚上げして、自宅周辺から始めていわき市の里山や福島県浜通り、会津地方などのきのこを観察していくことになりそうだ。 (2012.1.24)

 コケ世界に首を突っ込んでほぼ1年半が経過した。最近ややおっくうになっているのが写真撮影だ。同定が主目的ならば、観察結果をメモ用紙に書き留め、文献にあたるだけでよい。肉眼とルーペだけで種名まで分かれば、そこで作業完了である。よほどのことがない限り日常的同定作業の場においては、個体の単体写真、乾湿時の比較写真、葉や凾ネどの写真、葉身細胞や剋浮フ写真、葉や茎の横断面の写真撮影などといった作業は一般には行われない。

 画像だけで形質状態が分かるようにするには、プレパラート作成段階での配慮が必要だ。あまりに封入液が多すぎたり、試料が歪んでいたり、捻れていたり、途中から断面が倒れていれば、それは使えない。したがって、[よいプレパラート] を作る必要がある。これは、結構神経を使う作業といえる。[きれいな画像] よりも [形質状態を捉えた画像] が重要となる。

 昨年(2007)は、かなりのペースで次々に多種にわたるコケの観察覚書をアップしてきた。今年は、このようなペースでのアップはできそうにない。すでに始まっているが、きのこ関連の仕事で、この一年はかなり忙殺されそうないやな予感がする。いや、予感ではなく、分かっていてその場から逃避しているというのが現状だろう。 (2008.2.10)


 3年ほど前からは、主たる関心がきのこからコケに移りつつある。きのこと違って、寒い冬でもコケは身近にある。コケの世界には、未知種との出会いや常識を覆すような発見はほとんどない。でも、一年中その姿を愛でたり観察して楽しむことができる。きのこと比べると、標本の作製や管理はとても楽だ。それはさておいて、コケにしろきのこにしろ、関心があるのはその生き様だけなので、属名までわかればそれで充分だと思っている。 (2006.7.1)

 ホームページの運営にはパソコンが必須である。でもパソコンは大嫌いであり、関わり合いを持ちたくなかった。パソコンに限らず機械は苦手であり、総じて好きではない。ビデオやらオーディオ類のリモコンは未だにうまく操作できない。何度教わっても人並みの操作をすることはできず、今ではすっかり諦めの境地である。いわば先天性の機械音痴なのだ。そして大のマニュアル嫌いでもある。したがって何を購入しても説明書やらマニュアルを読むことはまず無い。

 きっと天邪鬼なのだろう、きのこも傘と柄をもったものにはほとんど関心が無い。関心が薄いから名前もなかなか覚えられない。見ただけで同定できるきのこといったら数えるほどしかない。だから、手に取っただけでそのきのこの名前がわかる人には無条件降伏である。とてもそのような芸当(?)は死ぬまでできそうにない。もともと分類や菌類地理分布などにはほとんど関心がないから、それもよいだろう。 (2000.11.28)


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