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コケカッターなるものを購入した。使用説明書には「双眼実体顕微鏡の下で、コケの茎や葉など、微小な植物の一部の横断切片を切り出すのに使用」し、「保育社の原色日本蘚苔類図鑑、p.370-380 に詳細されている『コケの葉の切片のつくりかた』に基づいて考案したもの」とある。ちなみに、同書には柄付き針の先端をつぶして平らにしたような器具で試料を押さえて両刃カミソリで切る様子が図示されている(雑記2006.8.17)。 実体鏡さえ使えば、誰にでも簡単に薄片を切り出せると思ったら大間違いである。実体鏡の下で薄片を切り出すのは思いの外難しく、かなりの熟練が必要である。そこで、その作業を少しでも楽にできることを目的に考案されたのがコケカッターである、と推測される。したがって、あくまでも、双眼実体顕微鏡の下で薄片を切り出すための補助器具である。   |
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届いた製品は、本体・両刃カミソリ・スライドグラス・使用説明書などからなっている(a)。コケカッター本体は、透明アクリル板上に固定されたブロックにネジ釘で両刃カミソリを装着しただけの単純なものだ(b)。カミソリは上下に動かせるようになっていて、ぐらつきにくいようにブロックには薄板状の磁石が貼り付けられている(c)。
使用法であるが、まず、刃の下に薄手のスライドグラス(0.8〜1.0mm厚)を置き、その上にポリ袋などのマットを敷いて、そこに試料を置く。薄片切り出しは、左手で試料を押さえ、右手でカミソリの端をつまみ、「大根を輪切りにするように」押し下げて切る、と説明書にある(d〜f)。 |
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すぐにでも、きのこで試用してみたいところだが、きのこの切片作りは植物とはかなり相違がある。そこで、まずは使用説明書に忠実にしたがって、コケを切ってみることにした。まずは、コケカッターを使わず実体鏡の下でスギゴケ科の蘚類(セイタカスギゴケ Pogonatum japonicum)の葉を切り出してみた。このコケは、蘚類の中ではとても大きくて、しっかりした大型の細長い葉を持っている。まずはやさしくて楽な素材で、薄片切り出しをやってみた。 |
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大きくてしっかりしている葉とはいえ、慣れないと実体鏡下での切り出しは意外と難しい。実体鏡の倍率を20倍に設定して、5〜6枚切り出し最も薄いものを選んだ。10〜12μmほどの厚さと思われる(a)。指先で葉を押さえて、半分に割ったカミソリ(炭素綱・刃厚0.1mm)を使った。条件を同じくするために、両刃カミソリはコケカッターに装着されているものと同一製品を使った。 次にコケカッターを使っての切り出しを試みた。まずは説明にしたがって、刃の下に同梱されたスライドグラスを置いた。ここにわずかの水をたらして、その上に同梱のポリ袋片を置くとスライドグラスに張りついた。刃先が直接スライドグラスにぶつからずにポリエチレンがクッションの働きをするので、試料の切り残しが減るとの配慮らしい。 まずは、試料を切る位置の確認をした。試料の切れる場所は、カミソリの刃端近くの*マークのついたところである。指先でカミソリ端の中程を掴み、まっすぐ静かにに下におろした。確かに、*マークのあたりに軽くカミソリ傷がついた。これで準備完了である。
コケカッターを実体鏡に対して、やや斜めの位置に置いた。*位置付近に試料の葉を載せ指先で押さえた。反対の指先で刃先を摘んで、マットに軽く食い込むまで一気に押し下げた。「大根を輪切りにするように」と説明にある。いわゆる「押し切り」ないし「菜っぱ切り」である。
さて、その結果である。10〜20枚ほど切り出してみた。なかなか納得できる切片をきるのは難しい。切り出したものから2枚を並べてみた(b, c)。最初に切りだしたもの(b)と、少し慣れてきてそれよりやや薄く切れたもの(c)である。25〜40μmほどの厚みだろう。
実体鏡を使って切片を切る作業に不慣れな者にとっては、素手とカミソリだけでは写真(b, c)の程度の厚みですら、かなり難しいと思われる。もちろん、写真(a)のような薄片を切り出すことはまず不可能だろう。そういったことを考慮すると、実体鏡初心者にとっては、コケカッターは大きな福音であるといえる。ただし、コケなど植物切片の切り出しに限っての話である。脆くて柔らかいきのこについては、まだ試行していなので何とも言えない。 |
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コケカッターのキャッチフレーズには「コケカッターを使用して作ったミズゴケの切片:*気楽にばさばさ切れます」とあり薄片写真が掲載されている。ミズゴケは一般に大型でしっかりしているので、[コケカッター (2)] に記したセイタカスギゴケなどと同じように、蘚類の中では、薄片切り出しが楽な方だと思う。では、はたして小型の蘚類ではどうなのだろうか。 |
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どこにでもあり入手の楽なギンゴケ Bryum argenteum をコケカッターで切り出してみた。ギンゴケの葉は長さ0.5〜1.0mmでとても小さい。この葉の横断切片を作成するのは、微小なクヌギタケ属 Mycena のきのこのヒダ切片を作るのに匹敵する難しさがある。 長さ1mm未満とあまりにも葉が小さいので、セイタカスギゴケの場合と違って指先で一枚の葉を押さえることはできない。押さえ用に特殊なジグを工夫するか、茎についた状態のまま切断するしかなさそうだ。押さえ用ジグとして、柄付き針の先を潰して少し曲げたものを使った。
最初にコケカッターを使わず、実体鏡の下で切りだした(a)。葉がとても小さいので押さえにくくて、なかなか上手く行かない。次に実体鏡を使わず、ピスに葉を挟んで切り出してみた(b)。厚さは15〜18μmほどだろう。これは、微小菌類の切り出しよりもずっと楽だった。きのこと違って、コケの葉では、ピスを強く掴んでも簡単には潰れないからだ。 |
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コケカッターで切り出している姿は、実体鏡の接眼部からは写真(a, b)のように見える。二つの写真は倍率を変えた場合の見え方の相違を示している。左上から右下にかけて見える斜めの線は、カミソリの刃先の部分である。カミソリにコケが写っている。コケカッター土台のアクリル板上につけられた径約2mmの*マークがとても大きく見える。 |
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これまではコケ(蘚類)ばかりを切り出して使い勝手などを記してきた。大小数種類のコケの横断切片を切ることによって、多少なりともコケカッターの操作には慣れてきた。さらに、その特性や癖についても少しずつわかってきた。 では、コケカッターはきのこのヒダなどの薄片切り出しに有効なのだろうか。まずは、コケカッターをきのこの切片作りに利用するにあたっての問題点を洗い出してみた。以下に記すことは、購入・使用前には分からなかったことだ。
コケの葉はたいてい細胞が一層に広がっただけでとても薄い。コケの葉の厚みは葉身細胞の厚みであるといってよい。検鏡に耐える横断切片の厚みは、10〜15μmとなる。しかし、きのこと違って植物であり、菌糸に比べると構造的にしっかりしている。刺身を切るように「引き切り」をせずに、大根を切るときのように「押し切り」をしても簡単には潰れない。 これらの要件を満たすように作られているために、コケカッターは基本的に「引き切り」はできず、「押し切り」をすることになる。また、刃先は下に置くスライドグラスに対してやや傾いた形で試料にあたることになる。つまり刃先と試料との接触部分は刃全体の何十分の一程度の狭い幅になる。これは、細長いコケの葉や茎を切るには全く支障がない。しかし、きのこのヒダは、コケの葉などと比較すると結構な幅がある。さらに、植物と違って菌糸から構成されるきのこはとても脆い。ちょっとの圧力で簡単にペシャンコに潰れてしまう。きのこの切片を作る場合、基本的に「押し切り」は馴染まない。そっと支えて「引き切り」をするのが原則だ。 したがって、このままでは幅が3〜5mmほどあるきのこのヒダを切ることは難しい。幅の広い試料を切るには、スライドグラスを厚手のもの(1.2〜1.5mm厚)に変更するなり、二枚重ねをして使うことになる。また、スライドグラスの上に敷くポリエチレンマット(写真の赤色部分)を厚手のものにするなどの工夫が必要となる。ただ、マットをあまり厚くすると、試料がいっしょに変形したり潰れやすくなるので、これも限界がある。 |
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これまでの「コケカッター (1)〜(4)」で明らかになった問題点などを考慮した上で、コケカッターで生のきのこを切ってみた。大型のきのこには使えないので、小さなきのこが対象となる。写真(a〜c)で赤色の部分は、ポリエチレンのマットを示している。緑色は、カミソリの刃がマットに食い込んで試料を切れる幅である。 |
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所沢で採取した小さな落ち葉分解菌(d)のヒダを切ってみた。ヒダのサイズは、幅0.3〜1mm、長さ3〜5mmで、コケの葉より少し大きい。しかし、きのこのヒダは、コケの葉と違って非常に脆い。ヒダを1枚だけ寝かせて切ったところ、ヒダ実質がペシャンコに潰れてしまった(e)。何度か新しい刃に交換して切り出しを行ってみたが、いずれも同じ結果であった。カミソリの刃の寿命はせいぜい数回である。それでも、側シスチジアのあることは分かる(f)。 同じきのこのヒダををコケカッターを使わず、実体鏡の下で直接カミソリを手前に引きながら切ってみた。やや厚めではあるが、ヒダ実質は潰れていない(g)。このやり方だと、数十枚のヒダを切ることができた。脆い菌糸に対する「押し切り」と「引き切り」の差なのかもしれない。 | |||||||
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次に新しい刃に交換して、数枚のヒダを一緒にしてコケカッターの刃を押し下げたところきれいに切れた(h, i)。ただし、ヒダ実質が潰れないように切り出すためには、やや厚めの切片を作らざるを得ないようだ。切り出す幅がやや広くなるので、写真(b)の方法を使った。同じ刃先で切れるのは数回までである。刃を次々に交換しては数回試みたが結果は同じである。 引き続き、同じように数枚のヒダを含めて、コケカッターを使わずに、実体鏡の下でカミソリを向こう側から手前に引くように切ってみた。(j, k)。この方法だと、さらに薄い切片を作れることがわかる。そして、カミソリの刃は、数十回の使用に耐えた。 |
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次に、傘径40〜50mmほどあるフミヅキタケ属のヒダを切ってみた。落ち葉分解菌に比較するとヒダはかなり大きく、比較的しっかりしている。上記(a)、(b)の位置では、ヒダの切り残しができてしまって上手く切れない。ヒダの縁付近だけを細長く切り出したものを作るか、あるいは別の工夫をしなくてはならない。後者を選び、スライドグラスを2枚重ねにして(c)、ヒダ薄片を切りだしてみた。刃先が鋭利なうちは「押し切り」でも、なんとかきれいな切片が切り出せた。 コケカッターでキノコのヒダなどの切片を作るのであれば、一気にカミソリを下ろすことだ。ゆっくり下げるのは禁物である。さもないと、ヒダが潰れてしまう。また、2回ほど切ったら、刃先を交換することである。 コケカッターを使って、いろいろ試みてきたが、キノコのヒダや傘表皮などの切片を作るのであれば、実体鏡の下で「引き切り」をするか、ピスなどを使った方が楽であった。コケカッターは、幅の狭い試料を切り出すのに有効だが、幅広の試料やきのこのように脆い試料を切るのは苦手である。コケカッターをきのこに流用するために悪戦苦闘するよりも、やや幅広の試料を「引き切り」で切り出せるような「キノコカッター」を考案するのが現実的だろう。 |
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ここしばらく、コケカッターに慣れるべく連日10〜20回ほど使ってきた。コケカッターを頻繁に使うと、何が大きな負担になるかというと、カミソリの消耗量だ。いろいろなテストに両刃カミソリを30枚ほど使った。両刃カミソリは結構高価であり、経済的はかなりこたえる。 切断に使うのはカミソリの端だけである。数枚切ると急激に切れ味が落ちる。そうなったら、先ずカミソリを天地逆にする。次に支点位置を変える。更に天地逆にして使う。都合四ヵ所使えるわけである。ここまで使ったらコケカッターにはもはや使えない。 コケカッターで使用済みのカミソリは四つに割って、ピスを使って切るために使うことができる。ピスを使う場合、カミソリの四つの端は使わず、もっぱら刃の中程を使う。コケカッターとは使用位置が違うので、共存可能となる。 ピスを使って切片を作るにも、コケカッター同様に一定の慣れと習熟が必要だ。だが、ピスによる切り出しは、実体鏡を必要としない、カミソリの持ちも良い、というメリットがある。簡易ミクロトームを使うと楽だが、使い捨ての注射器を利用するという手もある(同2003.6.16、同2004.7.9)。 コケカッターを使うには実体鏡が手元にあることが前提となる。狭い場所に顕微鏡と実体鏡の両者を並べて作業をするのは結構つらい。薄切りの横断切片を作るのは意外と難しく、練習無しにすぐにできるわけではない。せっかく購入したコケカッターであるが、どうやらお蔵入りになるおそれが大きい。 |
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