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[標本番号:No.733   採集日:2009/10/10   採集地:岩手県、八幡平市]
[和名:トサカホウオウゴケ   学名:Fissidens dubius]
 
2009年10月21日(水)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
(a, b) 植物体、(c, d) 乾燥標本、(e, f) 水で戻した標本、(g, h) 茎上部の葉、(i) 葉の上半、(j) 葉上部の重鋸歯、(k) 葉身細胞:葉上部、(l) 同前:葉腹翼の中央、(m) 葉背翼の縁、(n〜q) 葉の横断面、(r) 茎の横断面

 今月10日岩手県八幡平市の安比高原(alt 1090m)で採集したホウオウゴケの仲間を観察した(a, b)。採集時は雨で、現地でルーペで観察したところ、葉縁上部に重鋸歯があるのでホウオウゴケ Fissidens nobilis かトサカホウオウゴケ F. dubius だろうと思った。
 ところが、ルーペでみたところ、葉縁の細胞層が葉身細胞と比べて明るくもなければ暗くもなかった。ホウオウゴケなら葉縁は暗く乾いて軽く縮み、トサカホウオウゴケなら葉縁は明るく乾いて強く巻縮する、と理解していたがそのいずれにも該当しないように感じていた。

 持ち帰った標本は、葉先が内側に巻き込むように縮れていた(c, d)。水に浸してもすぐには元に戻らず、10分ほどして葉を広げた(e, f)。あらためて葉縁をみると、やはり葉身細胞と比較して、特に明るくもなければ暗くもない(g〜i)。中肋は強く葉先に達し、葉縁に舷はない。
 茎の上半についた葉の縁をみると、何となく葉身細胞と比較して明るいが、特に顕著に差があるわけでもない(j, k, m)。葉身細胞は不規則な六角形で、長さ8〜18μm、上翼と背翼では両面に明瞭な乳頭があり(o, q, w)、腹翼では外側に膨らみがあり内側は平滑(p, q)。
 葉の横断面で、上翼と背翼の葉身細胞はともに2細胞層からなり(o, q, w)、腹翼の葉身細胞は1細胞層からなる(p, q)。葉縁の細胞は厚壁で、多くは1細胞層だが、部分的に2細胞層(u, v)。 葉の横断面では、中肋にガイドセルとステライドがよく発達している。茎の横断面には中心束があり、表皮細胞は小さくて厚壁(r, v)。
 

 
 
(s)
(s)
(t)
(t)
(u)
(u)
(v)
(v)
(w)
(w)
(x)
(x)
(s) 乾燥時の姿:ホウオウゴケと比較 、(t) 同前:トサカホウオウゴケと比較、(u, v) 葉の縁の細胞、(w) 上翼[左]と背翼[右]の縁の横断面、(x) 腹翼に舷はない

 乾燥時の縮み方と、葉縁の細胞層の様子を別途あらためて確認してみた。葉縁の細胞層については上述した。乾燥時の葉の縮み方については、平凡社図鑑にも保育社図鑑にも、ホウオウゴケでは「乾いてもあまり縮れない」とあるが、トサカホウオウゴケについては何も触れていない。そこで過去の両者の標本を引っ張り出して、本標本と比較してみた。ホウオウゴケ(No.582)では、葉先の縮れ方が弱い(s)。いっぽうトサカホウオウゴケ(No.22)では、葉先が強く巻縮している(t)。本標本は葉先がやや強く巻縮しているといえる。

 葉縁の明るい帯が不明瞭なこと、また葉身細胞の乳頭が非常に大きいこと(n〜q, w)、葉縁に2細胞層の部分がかなりあること、などが若干気になるが、トサカホウオウゴケなのだろう。なお、腹翼にも舷はない(x)。図鑑にはトサカホウオウゴケについて「雄植物は小さく,雌植物の葉の上で生育する」とあるので、標本を片っ端から覗いてみたが、矮雄は見つからなかった。

[修正と補足:2009.10.23]
 識者の方からコメントをいただいた。それによれば、「上翼部分の中肋の表皮細胞が、F. nobilis は整った短矩形が並んで整然としているが,F. dubius は長い線状の不規則な形の集合でごちゃごちゃに見える」という。さらに、「トサカホウオウゴケは背翼基部が丸く終り流れない。ホウオウゴケは楔形に終りやや流れる」傾向があるという。
 これまでに観察してアップしたホウオウゴケ F. nobilis (No.582)とトサカホウオウゴケ F. dubius (No.82、No.81、No.55、No.22)の標本をすべて再点検した。そして、これらの中肋の表皮細胞(上段)と背翼基部(下段)を本標本(No.733)と比較して以下に列挙した。
 

 
 
No.733 No.582 No.82 No.81 No.55 No.22
(No.733) (No.582) (No.82) (No.81) (No.55) (No.22)
(No.733) (No.582) (No.82) (No.81) (No.55) (No.22)
 
 これらをみると、上翼部分の中肋の表皮細胞は、確かにホウオウゴケ(No.582)とトサカホウオウゴケ(No.82〜No.22)とで指摘のような差異があるといえる。指摘を受けた直後には、たまたま標本No.81だけをみたので、大きな差異があるとは思えなかった。さらにトサカホウオウゴケだろうとした本標本のそれと、ホウオウゴケとも差異は感じられなかった。
 あらためて再度、これまでにトサカホウオウゴケと同定した標本をすべてみた。標本No.81についても、念のために他のいくつかの個体を観察してみると、多くが「長い線状の不規則な形の集合」であることもわかった。つまり、「上翼部分の中肋の表皮細胞」の形質状態は、ホウオウゴケかトサカホウオウゴケかの判定に使えるといえるようだ。ただ、これらの標本からは、背翼基部の形質状態について指摘のような傾向は見いだしにくい。
 振り返って本標本No.733はどうだろうか。上翼部分の中肋の表皮細胞を見る限り、ホウオウゴケに分がある。本標本はトサカホウオウゴケではなく、ホウオウゴケかもしれない。