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2025年8月22日(金)  山歩きのこと(7):なぜ同じ山ばかり?
 最近ある知り合いから尋ねられた。
  なぜいつも日光周辺の同じ山にばかり登っているの?
  北アルプスとか日本百名山に登りたいとは思わないの?

以前にも城山の常連から同じようなことを聞かれたことがあった。何と答えたかは覚えていない。面倒なのでおそらく、関心がないとでも答えたのではないか。

 長い空白期間を経て再び山歩きを始めて既に7年(たわごと 2020.11.29)。振り返ってみれば、確かに地元の山にしか登っていない。しかも同じ山ばかり歩いている。理由としては大雑把に以下の5つほどに集約される。

 1 若いころに北アルプスはじめ多くの山に登った
 2 菌類観察を止めて時間が有り余るようになった
 3 机上の学習や室内でじっとしているのは大の苦手
 4 金欠病ゆえ遠出する経済的ゆとりはほとんどない
 5 持病の悪化を遅らせるための抵抗活動としても有効

 1 10代から30代までの頃に北アルプス、南アルプス、中央アルプスはじめ、谷川岳などの山には頻繁に登った。北海道、東北や西日本の名山にも足を伸ばした。いわゆる日本百名山では屋久島の宮之浦岳と北海道の後方羊蹄山(しりべしやま)以外はほとんど登っている。複数回登った山も多く中には四季を通じて登ったり、冬季の困難なルートも登った。それらの大半は単独だったり、しばしば亡妻と二人だけで登った。
 2 2018年5月に妻を失ったことを契機に、菌類観察・研究をやめた。これによりあり余るほどの時間ができた。妻を亡くした当初は何事にも集中できず、数か月ほど酒に溺れて暮らした。その数か月で健康状態は劣悪となり、持病の悪化も急激に進んだ。そのうちに何とかしなくてはという気持ちが湧いてきた。
 3 昔から机の前に腰かけて勉強をしたり、じっと読書をしたりするのは大の苦手だった。終日室内で過ごすことがいやで、屋外で過ごすことが多かった。学校での授業時間は当時最も苦痛の時だった。若い頃は東京に住んでいたので、授業が終わると、そのままスケート場、卓球場、プール等に通いつめた。東京近郊の山にも頻繁に出かけた。
 4 自営業期間が長く、サラリーマン時代が短かったことで自分の年金は僅かだった。亡妻の生存中は彼女の年金と自分のささやかな年金でなんとか普通に暮らすことができた。彼女の死後わずかの期間支払われていた遺族年金が停止され(雑記2022.2.11)、極度の節約生活を強いられるようになった。持病の症状のひとつ激しいレイノー症状のため、職安に行ってもできる仕事は見つからなかった。
 5 生活習慣病に加えて持病が更に悪くなりはじめた。そこで2018年6月から少しずつ近郊の山を歩き始めた。市営のトレーニングルームにも通い、太極拳練習会にも参加したが、これらは3年ほどでやめた。同じ山でも四季折々にいろいろな顔を見せてくれる。また自分の体調の指標にもなる。

 山歩きはもともと好きだったし、若い頃は大半がソロ登山だった。結婚後は妻と二人での登山も増えたが、基本はソロ登山だった。ソロ登山にはいろいろな危険も指摘されるが、メリットも多い。金欠病の身にはありがたいことに、近郊の山登りではガソリン代以外には金銭的出費がない。そして持病の進行を遅らせるにも役立っている。持病は年々悪化しているが、山歩きはその速度をかなり送らせてくれる。