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久しぶりにクセノポンのアナバシスの対訳書を手に取った。ところが、ギリシア語が断片的にしか理解できない。英文を手がかりに文脈はたどれたものの、たった一ページを理解するのに半日もかかってしまった。物語の内容を楽しむどころではなくなっていた。 昨年は西洋古典にもいくつか目を通したが、いずれも英語との対訳書ばかりだった。活用された動詞や派生語を原型に遡って辞書にあたることはほとんどしなかった。その結果動詞の活用形をほとんど忘れてしまい、まともに辞書を引けなくなっていた。頻出する菌類用語については由来するギリシア語が脳裏に浮かぶようにはなったが、単にそれだけのことだった。 生命科学はもちろん、近代科学の専門用語の70〜80%はギリシア語に範をとっている。表記こそラテン文字化されているが、大半の用語はラテン語辞書には掲載されていない。そこで理解を深めようと思えば嫌でもギリシア語辞書にあたるしかない。辞書には膨大な変化形は掲載されていない。いやでも基本形を導出しなくてはならない。そのためには基礎的な文法ルールを知らねばならない。ところが、これがすっかり頭から抜け落ちている。 そこで池田黎太郎『古典ギリシア語入門』(白水社)を再び学習し直すことにして、薄汚れた教科書を引っ張り出した。表紙裏を見ると自分自身の筆跡で「2010.12.1 学習開始; 2011.6.6 第一回目読了」「2011.8.29 第二回目読了」と記されていた(雑記2011.6.8)。 この教科書について学ぶのは三度目となる。しばらくは、諦めて毎日30〜40分ほどは各課の練習問題に取り組むことにした。それにしても、あ〜ぁ、情けない。 |
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