片手運転に至った経緯 | |
事故にあった20日の午後(雑記2021.6.21)、車に戻ったとき運転席に腰掛けてしばらくは茫然としていたが、この状態で運転して帰ることはまず無理だろうと思えた。何もせずとも猛烈な痛みと胸の苦しみと疲労感で意識を失いそうだった。30分ほどすると落ち着きを取り戻し、考えるゆとりができてきた(同2021.6.22)。 そしてどうやって自宅に帰るかいろいろ思いを巡らせた。最初に思い浮かんだのは運転代行を依頼することだった。そしてスマホで検索を試みたが圏外となって全く検索できなかった。そこで国民宿舎のある登山者用駐車場まで恐る恐る片手で運転してみた。 国民宿舎でタクシー会社の電話番号はわかったので、そのうちの一つに電話してみた。なかなか通じない。今にして思えばたいした時間ではなかったのだろうが、あきらめて電話を切った。そして別のタクシー会社に電話するかどうか迷った。 短い距離だったが、左手だけの運転でなんとか帰れるように感じたので、タクシー会社に電話するのはやめた。そしてゆっくりと走って帰ることを選んだ。左手が使えるとはいえ、打撲と出血があったのでこれまで通りとはいかず、非常にもどかしかった。国道に降りるまでの狭い山道では幸い対向車はまったくなかった。 国道では制限速度マイナス10〜20Kmほどの速度で走り、後ろに車の姿が見えると直ちに左に寄って追い越してもらいながら走った。細谷大谷橋までに何十回追越しを受けたことだろう。この先は一般道を離れて自動車専用の日光宇都宮道路に入った。ここではほぼ直線で右左折はなく一定速度で走ればよい。のろのろ運転にいい加減くたびれていたので、この路線に入ってほっとした。最後に自宅の車庫に入れるのに難儀した。 玄関を開けて部屋に入るとどっと疲れが押し寄せた。全身が脂汗にまみれて衣類はグシャグシャだった。生きて帰れたことに感謝した。 |
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