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[標本番号:No.0889   採集日:2010/05/01   採集地:岡山県、高梁市]
[和名:ハリガネゴケ   学名:Bryum capillare]
 
2010年6月9日(水)
 
(a)
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(b)
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(c)
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(d)
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(e)
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(f)
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(g)
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(h)
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(i)
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(j)
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(m)
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(n)
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(p)
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(q)
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(r)
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(a, b) 植物体、(c) 標本:乾燥時、(d) 標本:湿時、(e, f, g, h) 葉、(i) 葉の上部、(j) 葉身細胞、(k) 葉下部の葉身細胞、(l) 葉上部の縁、(m) 葉の横断面、(n, o) 中肋の横断面、(p) 葉面の横断面、(q) 茎の横断面、(r) 仮根

 5月1日に岡山県高梁市の市立自然公園の遊歩道脇で(alt 270m)、コンクリート製の大筒の断面にハリガネゴケ科 Bryaceae と思われる小さな蘚類が群生していた。赤みを帯びた姿は小さいが、よくみるとカサゴケモドキをさらに小さくしたような姿をしている。
 茎は長さ0.5〜1.0mm、下部は密に仮根で覆われ、上部に集まるように傘状に葉をつける。下部の葉は茶褐色で崩れやすく、基物の表面を這う茎はない。乾燥すると葉は軽くねじれて縮まり茎に接着気味になる。葉は湿ると横に展開して中途半端に傘を広げたようになる。
 葉は茎下部より上方で大きく、長さ2.0〜3.5mm、狭い基部をもった長卵形で先端は鋭頭となり中肋が長く突出する。葉縁は反曲し、3〜4列の細長い細胞からなる明瞭な舷がある。葉中部から下部では舷は赤みを帯びる。葉上部の縁には非常に目立ちにくい微細な歯がある。中肋は赤みが強い。
 葉身細胞は狭い六角形で、長さ45〜65μm、幅18〜22μm、薄壁で平滑。葉の基部では矩形状の六角形で長さもさらに長い。葉縁の舷の細胞は1細胞層からなり、壁がやや厚い。葉の横断面で、中肋背側にはステライドがよく発達している。茎の横断面には中心柱があり、表皮細胞は小さく薄膜。仮根には大小2タイプがあり、いずれも表面は小さな乳頭に覆われる。

 ウリゴケ属 Brachymenium あるいはハリガネゴケ属 Bryum と思われる。ウリゴケ属ではキイウリゴケ B. nepalense が候補にあがる。図鑑で種の解説を読むと観察結果と実によく符合する。ただ、樹上生でよく朔をつけるとあり、これは観察結果とは違う。キイウリゴケは直立する朔を持つというので、現地で朔をつけた個体を探したが全く見あたらなかった。
 そこでウリゴケ属ではないと判断して、平凡社図鑑でハリガネゴケ属の検索表をたどってみた。候補として残るのは、チシマハリガネゴケ B. mayrii、コハリガネゴケ B. amblyodon、シダレハリガネゴケ B. algovicum の3種となる。保育社図鑑にはこれらは非掲載であり、平凡社図鑑でも写真もなければ種の解説もない。ただ、検索表に簡単な特徴が記されているばかりだ。
 検索表の特徴によれば内朔歯を観察しないと種まではたどり着けない。そこで、Noguchi(Part2 1988)と Crum & Anderson "Mosses of Eastern North America" (Vol.1 1981) にあたってみた。どちらにも B. amblyodon は掲載されていない。Iwatuski "New Catalog of the Mosses of Japan"(2004) によれば、B. amblyodon (コハリガネゴケ)は疑問種とされているので、これは除外した。残る2種について、前記2文献にあたって、両者の記載と図版を観察結果に照合すると、どうやらシダレハリガネゴケに近いように思える。Noguchi (op. cit.)には、チシマハリガネゴケもシダレハリガネゴケもともに "very rare" とある。

[修正と補足:2010.06.10]
 識者の方から「ハリガネゴケ B. capillare にそっくりと思い」ますとのコメントをいただいた。過去にハリガネゴケと同定した標本(No.83, No.140, No.847)とも比較して再検討した結果、ハリガネゴケと訂正した。判断を誤った経緯などを以下に記しておきたい。
 

 
 
No.83 (083a)
(083a)
(083b)
(083b)
(083c)
(083c)
(083d)
(083d)
(083e)
(083e)
No.140 (140a)
(140a)
(140b)
(140b)
(140c)
(140c)
(140d)
(140d)
(140e)
(140e)
No.847 (847a)
(847a)
(847b)
(847b)
(847c)
(847c)
(847d)
(847d)
(847e)
(847e)
 現地でハリガネゴケに似ているとは思ったが、葉の付き方と群生の仕方がまるで異なり、カサゴケモドキなどに近い種のように感じた。そこでたまたま持参していた平凡社図鑑をみると、内朔歯の間毛がキーワードとなっている。そこで朔をつけた個体を探したが見あたらなかった。この時点で、ハリガネゴケではない別種であろうとの思い込みが生じていた。
 持ち帰った標本を開いたのは採取から既に1ヶ月以上経過した6月9日だった。標本はすっかり茶褐色となり、葉は軽く捻れあまり縮まることもなく茎に接着していた。念のため過去にハリガネゴケと同定した標本3点を取りだして、目視とルーペで比較したところ(083a, b; 140a, b; 847a, b)、乾燥標本の姿はこれらとはあまりにも違っていた。この時点でハリガネゴケの可能性はないと考え、別の種を検討することにした。その結果辿り着いたのがシダレハリガネゴケだった。
 今朝あらためて、ハリガネゴケ標本3点から数本ずつ(083c, d, e; 140c, d, e; 847c, d, e)を水で戻して再検討したところ、本標本と有意差を感じられなかった。葉の形、葉身細胞、中肋断面、茎の横断面などをそれぞれの標本ごとに再確認したが、過去にアップしたデータと特に変わりない。それにしても本標本(No.889)の乾燥時の姿は、他のどのハリガネゴケの乾燥時の姿とも全く異なる印象を与える。ご指摘ありがとうございます。