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[標本番号:No.1018   採集日:2010/10/12   採集地:高知県、仁淀川町]
[和名:ナガバサワゴケ   学名:Philonotis lancifolia]
 
2010年12月14日(火)
 
(a)
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(b)
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(c)
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(d)
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(e)
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(f)
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(g)
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(h)
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(i)
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(j)
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(k)
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(l)
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(m)
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(n)
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(o)
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(p)
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(q)
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(r)
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(a, b) 植物体、(c) 標本、(d) 乾燥時、(e) 湿時、(f) KOHと水で湿らせた状態、(g) 葉の背面、(h, i) 葉、(j) 葉の腹面、(k) 葉基部の腹面側、(l) 葉先端の腹面、(m) 葉の背面、(n) 葉先端の背面、(o, p) 葉の横断面、(q) 葉の縦断面、(r) 茎の横断面

 10月12日に高知県仁淀川町の安居渓谷で、支流の小さな沢の脇の岩に小さな黄緑色の蘚類がついていた(alt 500m)。茎は長さ8〜10mm、葉を含めた茎の幅は1mmにみたず、ほとんど枝分かれしない。茎の下部は褐色の仮根に密に被われる。葉が茎に5列に並び、乾燥するとやや茎に密着気味となり、湿るとわずかに葉を開く。
 葉は三角形〜幅広い披針形で、長さ0.8〜1.0mm、葉の基部の少し上部が最も幅広く、基部ではやや狭くなる。葉縁には微細な歯があり、葉の上半部では軽く背面側に反曲する。葉頂は軽く尖る。乾燥すると縦にやや縮むが、明瞭な縦皺はできず、湿時と大きな変化はない。中肋は葉頂に達し、葉背面側に膨らむ。中肋上部の背面には小さな歯がある。
 葉身細胞は長い矩形〜線形で、長さ25〜40μm、幅5〜8μm、薄壁で腹面側上端には明瞭な乳頭がある。背面側では、細胞上部にも下部にも乳頭はなく平滑。葉翼部には方形の細胞があり、腹面には乳頭があるが背面は平滑。葉基部の褐色の方形細胞には乳頭はない。

 朔をつけた個体はなかった。葉は非常に水をはじきやすく、乾燥体を水没させても、なかなか水分を吸収してくれず、10分ほどしてようやく変化がみられた。水で封入すると、葉のプレパラートには多数の気泡が入ってしまう。KOHで封入すると全体が黄褐色を帯びた。葉の腹面、背面などの細胞の観察には、水ではなく消毒用アルコールを用いた。現地で沢の水しぶきや岩からしたたる水に濡れた姿は、葉を5列につけ、とても印象的だった。
 タマゴケ科 Bartramiaceae の蘚類には間違いない。葉を茎に5列につけるように見え、乾いてもあまり姿に変化がないので、サワゴケモドキ属 Conostomum の蘚類ではあるまいかと思った。しかし、平凡社図鑑によれば「葉先は細く尖り」「上部背面のほとんどの細胞は上端が突出する」とある。これは観察結果と異なる。
 すると候補に残るのはサワゴケ属 Philonotis となる。そこで平凡社図鑑の検索表にあたってみた。まず「A. 葉は乾くと」で戸惑った。本標本の葉は乾燥しても「深い縦じわ」はできない。かといって全くしわができないわけでもなく、わずかに縦しわができる。そこで「B. 葉身細胞のパピラ」に移る。エゾサワゴケ P. yezoana は排除できる。ついで「C. 中肋は葉先の直下に達するか突き出す」に移る。「D. 葉縁は平坦,あるいはわずかに背方に曲がる」ので、ついで「E. 葉は細い三角形,あるいは狭披針形。葉先は細く漸尖」とたどっていくと「F. 葉は狭三角状披針形,最下端が最も広い」となってしまう。これは観察結果とは異なる。
 そこで「D. 葉縁は強く背方に曲がる」を選び直してみる。すると、ナガバサワゴケ P. lancifolia とコツクシサワゴケ P. thwaitesii が候補に残る。ここで「E. 葉先は漸尖,中肋は葉先直下に届く」を選ぶとナガバサワゴケ、「E. 葉先は細く尖る」を選ぶとコツクシサワゴケとなる。そこで両者についての種の解説を読んでみた。全体の大きさからはコツクシサワゴケに近いが、葉身細胞背面が平滑であることがひっかかる。一方、ナガバサワゴケとすると、葉の大きさがかなり違う。いずれにせよ本標本の葉は葉縁が強く背方に曲がるとは言い難い。でも、この両者のいずれかである可能性は高い。また、サワゴケモドキ属の可能性も全くは否定できない。
 これまでに観察してきたサワゴケ属の標本と比較してみたが、それらとは明らかに異なるように思える(サワゴケ No.462、カマサワゴケ No.712、オオサワゴケ No.612, No.159、ホウライサワゴケ No.163)。Noguchi(Part3 1989)にもあたってみたが、今一つ納得できなかった。

[修正と補足:2010.12.17]
 ナガバサワゴケと修正した。識者の方々からコメントをいただいた。観察結果の判断ミスや図鑑の読み違いなどについてご指摘を受けた。あらためて再検討した結果ナガバサワゴケとするのが妥当であると判断した。コツクシサワゴケの可能性はほとんどない。
 平凡社図鑑の検索表で最初の項にあるのは、「A. は乾くと」ではなく「A. は乾くと」であった。なぜかこの部分を誤って「葉」と読み込んで考察を進めていた。一度、そう思い込んでしまうと、「朔」という活字を「葉」と読んでいたようだ。あらためて先入観の恐ろしさを痛感した。そこで上記の該当箇所に取消線( 「葉は乾くと」・・ )を引いた。
 植物体の大きさは環境によってかなり変異することは承知しているつもりだが、巨人と小人ほどに違うとやはり面食らってしまう。それでも、葉形や葉身細胞などは、マクロの相違ほどには大きくない。これはきのこでも同じことがいえる。
 葉の尖り方、中肋の突出のしかたはコツクシサワゴケのそれとはかなり異なる。また、コツクシサワゴケの葉の基部は急に方形に移行するという。本標本では、葉の基部の細胞は長い矩形から次第に方形に移行していて、明瞭な区画をなしてはいない。
 ご指摘くださった識者の方々に感謝します。ありがとうございました。