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[標本番号:No.362   採集日:2007/10/12   採集地:奈良県、上北山村]
[和名:エダツヤゴケ   学名:Entodon flavescens]
 
2007年12月6日(木)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
 10月に奈良県上北山村で登山道を歩いている途中、標高1480mあたり道脇の半日陰地で、転石や樹幹基部に光沢のあるコケが群生していた(a〜c)。一部の群では柄に直立した朔をつけている(c)。茎はわずかに分岐しながらはい、不規則に羽根状に分枝し、長さ5〜8mmの枝を出す(d, g)。密に葉をつけ、乾燥すると、枝先が上に大きく湾曲する(e, h)。写真(f)の朔をつけた個体は、左側が湿時、右側が乾燥した状態だ。
 茎葉と枝葉は位置によってかなり大きさが異なる(i)。茎葉は、長さ1.2〜1.6mm、卵状披針形で、ほぼ全縁、二叉する短く弱い中肋がある。茎葉の葉身細胞は線形で平滑、葉の中央部では長さ50〜65μm(k)、葉先付近では長さ25〜50μm(j)。翼部がよく分化し、翼細胞は大形で、方形〜矩形で、幅15〜25μm、長さ25〜50μmでやや厚壁である(l)。
 枝葉は基部と枝先では、大きさに倍以上の差があり、長卵形〜長楕円形で、長さ0.6〜1.2mm、ほぼ全縁で、はっきりした二叉する中肋があり、翼部がよく発達している(m)。葉身細胞は茎葉とほぼ同様であり(n, o)、翼部には方形〜矩形でやや厚壁の細胞が並ぶ(p)。枝葉の基部付近と中央部付近の横断面を切り出た(q, r)。中肋部にはステライドはない。
 
 
 
(s)
(s)
(t)
(t)
(u)
(u)
(v)
(v)
(w)
(w)
(x)
(x)
(y)
(y)
(z)
(z)
(aa)
(aa)
(ab)
(ab)
(ac)
(ac)
(ad)
(ad)
 茎の横断面をみると、中心束があり、茎の表皮細胞は厚壁で小さい(s)。観察する前、もしかしたらクサゴケではあるまいかと感じていた。クサゴケはいまだに、よく分かっていないし、まったく自信がもてない。しかし、朔の形をみて、どうもクサゴケにしては変だと思った(t)。クサゴケならば、朔は傾き、湾曲し、非相称のはずだ(標本No.220標本No.176等)。翼部の細胞が厚壁であることや、葉身細胞が身近すぎることもクサゴケではないことを示唆している。
 朔は柄の先に真っ直ぐにつき、僧帽状の帽と、嘴状に尖った蓋をもち、ほぼ相称で、朔柄は平滑である(u)。雌苞葉は卵状披針形で、葉先はクサゴケのようには長く尖らない(v)。朔を上面からみると、これまで見てきた蘚類の朔とちょっと違う(w)。
 朔歯は内外の二列あるようにも見えるし、外朔歯だけのようにも見える。持ち帰った標本が少なかったこともあって、朔をつけた個体は3つしかなかった。そのうちの2つとも、内朔歯は明瞭には外朔歯と分離していない。朔を内側から見ると、外朔歯の裏側に、内朔歯の歯突起などが付着し、先の方だけが外朔歯と離れているようにみえる。
 あらためて、外朔歯をよくみると、外側の中央部から先にかけて、左右に突出する幅広の横条が左右交互に並んでいる(x, y)。口環はよく発達している(z)。朔の壁には気孔もみられる。朔柄の横断面をみると、表皮は厚壁平滑で小さな細胞が並ぶ(aa)。朔壁の横断面をみると、壁は4〜6層の細胞からなり、表皮は厚壁(ab, ac)。胞子は、径16〜20μmの球形(ad)。

 当初、クサゴケかもしれないと思って観察を始めたが、どうやら違うようだと感じたので、茎葉と枝葉を少していねいに見ることになった。さらに、朔をみて、確実にクサゴケでないことは分かったが、外朔歯の形態が非常に特徴的なことに気づいた。
 いくつもの朔を観察するには、標本として採集する個体数を再検討しなくてはならないことを感じた。今回持ち帰った標本は少なく、そのうち、朔をつけたものは3つしかない。そのうち2つを観察のため切り刻んでしまった。残った朔付き標本はひとつしかない。もうすこし多くのサンプルを採集しておけばよかったと思ったが、あとの祭りである。

 さて、この蘚類は何だろうか。シトネゴケ目の蘚類であることまでは間違いなさそうだ。図鑑などの配置でいえば、ツヤゴケ科〜イワダレゴケ科までのいずれかだろう。科の特徴を観察結果と照合していくと、残るのはナガハシゴケ科とハイゴケ科だけになった。
 無性芽もなく、茎に毛葉や偽毛葉なども見られないことから、さらに絞っていくと、ナガハシゴケ科の可能性は薄くなる。観察結果をもとにハイゴケ科の検索表をたどると、キヌゴケ属 Pylaisiella が残った。平凡社図鑑と Noguchi "Moss Flora of Japan" の両者の検索表にあたってみた。
 観察結果は、両図鑑ともにトサカキヌゴケ Pylaisiella cristata に落ちる。確かに、外朔歯の特異的な形状はトサカキヌゴケを示唆している。しかし、トサカキヌゴケについての記述を読むと、いくつもの相違点がある。
 まず、発生環境が違う。トサカキヌゴケは樹木に付着するとある。本標本は転石や樹幹につく。次に茎葉と枝葉の形状が微妙に違う。トサカキヌゴケの茎葉は葉先がやや芒状に伸びているようだ(Noguchi)。さらに、胞子のサイズがかなり違う。トサカキヌゴケの胞子径は26〜35μmとある(Noguchi)。本標本では16〜20μmと一回り小さい。
 この程度の違いは、トサカキヌゴケの変異の範囲なのだろうか。あるいは、変種ないし亜種と考えた方がよいのだろうか。トサカキヌゴケとするにはいくつも問題がある。現時点では、キヌゴケ属として記録しておくしかなさそうだ。
 もしかすると、外朔歯の形状にとらわれて、判断を誤り、全く別種の蘚類を思い違いしているのかもしれない。

[修正と補足:2007.12.6 pm16:50]
 識者の方から、エダツヤゴケ Entodon flavescens のように見えるとの見解をいただいた。先にエダツヤゴケと同定した標本No.241と比較してみた。標本No.241には、朔をつけた個体はなかったが、全体の形状や茎葉、枝葉の形、葉身細胞の形状など、ほぼ一致する。本標本の観察結果は、Noguchi "Moss Flora of Japan" の記載ともほぼ一致する。エダツヤゴケと同定するのが妥当と思われる。図らずも懸念があたっていた。ご指摘ありがとうございました。
 なお、エダツヤゴケの学名は Iwatsuki "New Catalog of the Mosses of Japan" や、平凡社図鑑では、E. flavescens を採用しているが、ここでは標本No.241同様 E. rubicundus を採用した。

[修正と補足:2009.02.20]
 標本No.588で学名を平凡社図鑑などに準拠して E. flavescens としたので、それにあわせてここでも E. rubicundus から E. flavescens と修正した。