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日( )

2002年4月20日()
 
(a)
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(b)
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(e)
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(f)
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(g)
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(i)
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(j)
(j)
 先日(4/17)持ち帰ったオオズキンカブリタケを顕微鏡でのぞいてみた。全体を縦に切断(a)すると、中空のようにみえる柄の髄(b)は綿状の組織で充たされている。この綿状のものは(c)のような構造をしている。このきのこの顕著な特徴として巨大な 胞子をもっていることがあげられる。100倍でも胞子嚢(d)・胞子(g)の観察は十分できる 。通常のきのこと同じように400倍(e)にすると、視野に胞子嚢は一部分しかはいらず、胞子も数えられるほどしか収まらない(h)。胞子嚢に並んで顕著な側糸(f)がみられる。
 以上は水でマウントしたものだが、これをメルツァー液などでマウントすると、胞子(i)にしろ側糸(j)にしろ、水でマウントしたときよりかえってみにくくなってしまう。
 ちなみに子嚢のサイズは280〜380×19〜25μm、胞子は70〜94×18〜24μmほどだった。これはFungi of Switzerland No.1に記載のサイズより若干大きい。ひとつの胞子嚢に2 つしか胞子を含んでいないのは、あまりに巨大ゆえなのだろうか。なお、中には一つの胞子嚢に奇数個の胞子を含んだものもみられる。

2002年4月19日(金)
 
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(b)
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(i)
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(j)
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(k)
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(l)
(l)
 早朝5:00〜7:00まで見沼地区の桑樹下などをみてきたが、キツネノワン(a, b)は出ているもののキツネノヤリタケはまだ姿を見せていない。ウッドチップからはシロフクロタケ(c, d)、ツバナシフミズキタケ(e)やウスベニイタチタケ(f)、(シワナシ?)キオキナタケ(g, h)などがでている。乾燥のせいでウスベニイタチタケは全体にかなり白っぽい。ヒトヨタケ科のきのこが何種類かでている(i, j, k)が、正確な種名はよくわからない。(i)などはワタヒトヨタケのようにもみえればネナガノヒトヨタケが乾燥してヒダがやや反り返っている姿のようにも思えるが、持ち帰ってもヒダは溶けていなかった。(j)はビロードヒトヨタケのようにみえるがいまひとつはっきりしない。(k)などは(コツブ?)ヒメヒガサヒトヨタケのようにも見えるが傘中央が窪んでいない。梅林にはハルシメジ(l)があちこちにみられたが、ほとんどが乾燥してひび割れていた。

2002年4月18日(木)
 
(a)
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(d)
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(e)
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(f)
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(m)
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(i)
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(j)
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(l)
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 山で大けがをした親族を会津若松市の病院まで見舞いに行ったので、ついでに先週観察したオオズキンカブリタケがどのような状態になっているのか確認してきた。先週観察した場所の個体は多くが背丈の低い状態で成長を終えていた(e, f)。他の数ヵ所の地点では大きく成長しているものもかなりあった。全体としては、(a, b)のようにすっかり成長したもの30数個体、(e, f)のように柄が短いまま成長を終えてしまったもの30数個体、頭だけの幼菌20数個体ほどを見ることができた。数えてみると全体で80数個体ほどあったが、中には(c, d)のように頭部が双子のものなどもあった。
 会津高田町の県道脇にはハンノキの実から(g, h, m)のようなチャワンタケがみられた。白い盤の径は0.5〜1mmほどのサイズで、ワンと柄には無数に白毛が生えている。会津若松市までの道筋ではカタクリ(i)の大群落(j)やら一面にツクシンボウ(l)の生えた場所があちこちにあった。

2002年4月17日(水)
 
 都内の新宿区周辺ではアミガサタケがすっかりしなびて見る影もなかった。例年ならまだ最盛期のはずなのに...。しなびたアミガサタケの周囲にあったのはアシナガイタチタケやヒトヨタケばかりだった。この時期に真夏日になったりとなんともおかしな天候だ。

2002年4月16日(火)
 
(a)
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(c)
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(g)
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(i)
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(j)
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 まだ薄暗い早朝、桑の樹下を自転車で観察してきたがキツネノヤリはまだでていない。帰路、近くの小学校の斜面でアミガサタケ(g, h)を2本採取して戻った。頭部を輪切り(i)にし、ここから切片を作って顕微鏡で覗いた。
 最初メルツァー液で染色して極低倍率の50倍でみた(j)ところどうもわかりにくい。(a)→(b)→(c)と倍率を上げていき胞子サイズなどを計測した。しかし、何とも見にくいので、フロキシンで染色してみた。これだと200倍(d)で既に明瞭に胞子がわかる。(e)→(f)と倍率を上げてみると、メルツァーで染色したときよりも明瞭に見ることができた。
 アミガサタケをフロキシンで染色したのは初めてだった。時には常識とは違った染色剤を使ってみるのもおもしろいことに気づいた朝だった。胞子サイズは非常にバラツキが大きくて18〜28×10〜16μmほどなのだが、十分成熟した個体でも15×10μmほどしかないものから、28×15μmていどの大きなものまでが同じ胞子嚢の中に同居している。むしろ均一な大きさの胞子8個が入っている子嚢の方が少なかった。さあこれから朝食にしよう。

2002年4月15日(月)
 
(a)
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(c)
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(d)
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(e)
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(f)
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(g)
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(h)
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 昨日、昼から高尾山を歩いてきた。裏高尾には梅栽培をしている農家がとても多い。歩きながらあちこちにハルシメジ(a)が見える。撮影は一ヵ所だけにして先を急いだ。沢筋にはニリンソウがかなり広範囲に分布している。ここぞと思うところでそっとニリンソウを掻き分けるとアネモネタマチャワンタケ(b, c)が次々にでてきた。7,8ヵ所で数十個の個体を見ることができた。沢筋にはイチリンソウもあるがその下にもあった(d)。イチリンソウの花の下にはとても小さなMycena sp.(f, g)が何ヶ所にもでていた。
 どんどん登るとモミの斜面になる。シャグマアミガサタケを探しながら歩いているうちに、かなり暗くなってきた。足下にはマツカサチャワンタケ(e)があちこちから出ていたが、残念ながら1個体しか撮影できなかった。胞子嚢(h)の頂部はメルツァー液で鮮やかに染まる。胞子サイズは6〜7×2.5〜4μmでとても小さい。他にはツバキキンカクチャワンタケ、シイタケ、キクラゲ、アラゲキクラゲ、ハナビラダクリオキンなどに出会った。山頂に着くとすでに薄暗くなっていた。

2002年4月14日()
[その2]
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
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(g)
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(h)
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(i)
(i)
(j)
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(k)
(k)
 ヒトヨタケを早朝採取してきたので、溶け出さないうちにヒダ切片を作り覗いてみた。側シスチジアが実に鮮やかにつっかえ棒(支柱)の役割を果たしている。柄を取り去って傘を紙の上に置き、カミソリを垂直に入れ(j)てできた切断面を見た。多数のヒダからなる切断面(k)は真っ黒で、この時点ですでにヒダは縁からかなり溶け出していた。
 切り口をルーペで見ると(a)、ヒダは平行な板状で、隣り合うヒダとヒダとの間にはつっかえ棒がキラキラ輝いて見える。同じ面を実体鏡の下で見たのが(b)だ。顕微鏡で覗くために薄い切片を切り出し、水でマウントしたプレパラートを作った。主に支柱(側シスチジア)に焦点を合わせて(c)〜(e)と倍率を上げてみた。隣同士のヒダが密着しないように、多くの支柱がヒダ面に垂直にたっている。そして支柱の先端は隣のヒダの実質に刺さっている(e)。これをほぐして側シスチジア本体をとりだしたのが(f)だ。
 胞子(g)は7.5〜11.5×5〜6.5μmほど、胞子紋(i)は30分ほどでたっぷりとれ、しみ出した水分で濾紙にシミができた。プレパラートを20分も放置しておくと、ヒダ実質やシスチジアは殆ど溶けてしまい、(h)のような姿になってしまった。こうなると、もはや側シスチジアやヒダ実質はどこにいったのやら全くわからない。朝食前の早朝観測だった。

2002年4月14日()
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
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(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
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(h)
(h)
(i)
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(j)
(j)
(k)
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(l)
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 川口市では学校の校庭や神社の石畳などにアミガサタケ(a)が次々に顔を出してくる。同じような場所にヒトヨタケ(b, c)も見られるようになった。さいたま市見沼地区ではウッドチップ上にビロードヒトヨタケ(d〜g)、ツバナシフミズキタケ(h)などが数多く見られる。ウスベニイタチタケ(i)やキクラゲ(k)、ネナガノヒトヨタケ(l)もまだまだでてくる。足の踏み場も無いほど一面にウスベニイタチタケが出ている様は壮観だ(j)。他にはアラゲキクラゲ、ヒメキクラゲ、タマキクラゲ、シロキクラゲも見られる。

2002年4月13日()
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
 先日山王峠周辺で採取した盤菌類を顕微鏡で覗いてみた。4/11(d, e)の透明感溢れる盤菌の胞子嚢(a)は115〜130×9.5〜11μm、胞子は7.5〜8.5×4.5〜5.5μmだったが、採取個体が1つだけなので、サイズの信頼性は非常に低い。4/11(f)の木の実から出ている白い盤菌(b)は径が0.5〜1.5mmほどだが、碗の縁に150〜450×5〜15μmほどの細長い毛(d)を持っている。胞子(c)は2.5〜4×1〜2.5μmほどだが小さくて詳細はわかりにくい。
 
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
 持って帰った幼菌のオオズキンカブリタケはやはりまだ胞子がほとんどできていない(e, f)が、よく見ると6〜8つの未成熟な胞子を持った子嚢が一部に見られる。また子実層内部を体長0.1〜0.2mmの小さな虫(g)が食べていた。成熟したオオズキンカブリタケの胞子は巨大で1つの胞子嚢に2つの胞子(i)が入っている。最初8つの胞子を作っり6つは成熟の過程で退化・消滅してしまうのだろうか。あるいは最初から2つないし4つの胞子しか作らないのだろうか。(h, i)は昨年(2001年)4/28に現地で簡易顕微鏡とデジカメを使って撮影したものだ。このときのものでは圧倒的に2つの胞子を抱えた子嚢が多く、一部に3つ胞子(h)を持ったものが観察された。

2002年4月12日(金)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
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(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
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(l)
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 さいたま市の見沼地区にもいろいろなきのこがようやく出始めた。コキララタケ(a〜e)が草むらの中の腐朽材から出ていた。ちょっと見たところ黄褐色のオゾニウム(菌糸マット)が見えない。材の裏側を見ると明瞭なオゾニウムがあった。若い菌からヒダの切片を作りフロキシンで染めると鮮やかな色に染まった(e)。その中心部は(f)のように染め分けられた。急激に成長したり溶け出したりする秘密がここにあるのだろう。ヒダの端(g)には担子器も見える。胞子(h)の目盛りは1μmだ。
 ウスベニイタチタケ、ビロードヒトヨタケ、ネナガノヒトヨタケ、ワタヒトヨタケなどは相変わらずでているが、ツバナシフミズキタケ(i, j)が出てきた。ジンガサタケ(k, l)もまだまだ新しい個体がでてくる。昨日は久しぶりに見沼の主Yさん、きのこ屋(高橋)さんと3人で一緒に歩いた。まだキツネノヤリタケは出ていなかった。
 4/11にHygrocybe sp.(p)としたきのこだが、どうやらチャムクエタケモドキTubaria furfuracea (Pers.:Fr.) Gill.あるいはその近縁種のようだ。兵庫きのこ研究会のNさんから指摘を受け、手元のサンプルと文献((Fungi of Switzerland No.4, 1200Pilze, etc.)にあたったところほぼ間違いなさそうだ。Nさんありがとうございました。

2002年4月11日(木)
 
(a)
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(p)
(p)
 昨日、暗いうちに出発して、栃木・福島の県境にある山王峠周辺を歩いて来た。早朝は気温3度以下でみぞれが降っていてすっかり冷え切ってしまった。新緑も全くないまだ完全な冬景色だった。
 そんな中でオオズキンカブリタケ(a〜c)の幼菌が頭を出し始めている。柄を伸ばし成菌となるのは1週間ほど先だろうか。まだ草花の全くない残雪すら残る斜面では菌核菌(d, e)らしきものも出ている。同じところには(f)のような盤菌も発生していたが、ホストが何の実なのかよくわからない。さらに標高100メートルほど下がった野原にはRutstroemia sp.によく似た盤菌(g, h)が無数に出ている。
 塩原温泉で体をあたためてから駐車場脇をみるとアズマイチゲがある。ふと下を探るとアネモネタマチャワンタケ(i〜m)が出ていた。塩原町の遊歩道にはOrbilia sp.(n)と思われる盤菌やら、キクラゲの仲間(o)、Hygrocybe sp.(p)のようなきのこやタマキクラゲ、エノキタケなどいろいろ出ていた。

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