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2002年9月10日(火)
 
(a)
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(b)
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(c)
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(d)
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(e)
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(f)
(f)
(g)
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(h)
(h)
(i)
(i)
 ここ数日雨が降っているのでキノコも多少は出ただろうと思い、数ヵ所を見たが一部のベニタケ科、アセタケ属などわずかな種類しか見られない。ただ、ナラタケモドキばかりはあちこちに多数発生している。
 9月4日に日光で採取したカラハツタケを顕微鏡で観察した。カラハツタケの傘表面は綿毛状の軟毛で一面におおわれている。そして、縁部は若い菌では強く内側に軟毛ごと巻き込まれている(i)。この軟毛を低倍率(a)、やや高倍率(b)で見た後、ヒダを1枚切り出して切片(c)を作った。全体が褐色を帯びて見えるのはメルツァー液のせいだ。縁を拡大すると側シスチジア(d, e)が多数見える。縁シスチジアはヒダによってあったり無かったりだが、形は側シスチジアと同じだった。
 一般にベニタケ属、チチタケ属の胞子表面には綺麗な網目模様がある。ヒダから胞子をカバーグラスに落とし、メルツァー液で染色して胞子(f)をみた。少し胞子の量が多すぎた。ミクロメータ入りの接眼レンズに交換して撮影したのが(g)だ。胞子を伴った担子器(h)はなかなか良い状態のものが見つからず、適当なところで妥協することになった。
 9月7日「雑記」の(c, d)はアカヒダカラカサタケ、(g, h)はツバムラサキフウセンタケではあるまいかというメールを数ヵ所からいただいた。多分そうなのだろうが今となっては確認するすべがない。採取したサンプルは現地で捨ててしまったからだ。したがってこれらは「キノコのフォトアルバム」には掲載することはできない。ご指摘下さいました皆様、ありがとうございました。

2002年9月9日(月)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
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(e)
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(f)
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(g)
(g)
(h)
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(i)
(i)
(j)
(j)
 先日の日光では各種のチャダイゴケにであった。ここしばらくはパソコンの顔も見たくないので、コチャダイゴケを顕微鏡で覗いて楽しんだ。一緒に採取したツネノチャダイゴケはまだ覗いていない。
 コチャダイゴケのペリジオール(小粒塊)にはヘソの緒(粘着性のひも)はない。茶碗の中に無造作に小さな褐色の碁石が詰まったような姿をしている(j)。その碁石(ペリジオール)をひとつつまみ出して薄切り(a)にしてみた。この切片はやや厚かったが、胞子は完全に内部に包み込まれている。少し押しつぶして碁石の外被膜を破ると(b)、たちまち無数 の胞子がはみ出して外にでてきた(c)。この碁石の外被膜はまるで籠のような構造(d)をしている。胞子(e)は厚い膜におおわれていて内部はよく見えない。スケールの1目盛りは1μmだ。チャダイゴケの仲間を覗くときはいつもそうなのだが、撮影に堪えるような担子 器はなかなか見つけられない。
 茶碗の壁、つまり殻皮(f)はタマハジキタケなどと違って、意 外と単純な構造をしている(g)。その外側は白い粗毛(h)におおわれ、内側は寒天質で碁石を包んでいる。寒天質の中をはい回っている部分の組織(i)は大きく膨らんだクランプを 持ちとても細長い。
 腹菌類をみていると、いつもなんとも不思議な自然の妙を感じさせられる。傘と柄をもったキノコからは感じられない感動的な何かがある。

2002年9月8日()
 
 迂闊だった。取り返しのつかない結果をまねいてしまった。帰宅して久しぶりにノートパソコンからデジカメ撮影データをサブマシンに転送しようとして驚いた。LAN上にサブマシンの姿がない。おかしいなと思って、チェックしてみるとシステムがすっかり空っぽになっている。別パーティションを切って格納しておいたデータも全くない。過去2年間のきのこ関連の撮影データ約4000点がすべて失われていた。内蔵ハードディスクが完全にフォーマットされている。このうち約2000点はCD-Rに焼いてあったが、残り半分は永久に失われてしまった。
 旅行中の1週間、自宅のサブマシンである卓上小形PCの電源を入れインターネットにつなぎっぱなしにしていた。ふだんの習慣で電源を切るのを忘れたまま旅行に出てしまったのが原因だ。
 この機械は80GBのハードディスクを内蔵しているので、おもにきのこ写真、それも検鏡データを中心に撮影データを格納するのに使用していた。最近再びトロイの木馬型のウイルスが頻繁にやってくるようになっていて、多少は気にしていたがまさかハードディスクをフォーマットされてしまうとは考えてもいなかった。多分知人のうちの誰かがウイルスに感染し、知らぬ間にアドレス帳から勝手にウイルスをばらまいているのだろう。
 今日は早朝からもっぱらハードディスクの消失データ復活をいろいろ試みてすべてが徒労に終わってしまった。夕方からは諦めてOSのインストールから開始してPCを再び使用できる状態にすることで一日が終わってしまった。非常に消耗した一日だった。PCは未だ単にOSが入ったのみで必要なアプリケーションはまだ全く導入していない。導入しなくてはならないアプリケーションはかなりある。あ〜ぁ気が重い。

2002年9月7日()
 
(a)
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(b)
(b)
(c)
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(d)
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(e)
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(f)
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(g)
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(h)
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(i)
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(j)
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(k)
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 この1週間、東北地方を回ってきたが、とても印象深いきのこに多数であった。それらの中でも特に印象的なものを写真だけでも載せておくことにした。これらのきのこについては標本として残してもいないし、顕微鏡データを撮影したりスケッチしたりもしていない。したがって、データとしては全く意味をなさない。いずれも同定できなかった。
 (a, b)は8月29日に下北半島の恐山の北側で出会ったベニタケ属のきのこだ。傘にヌメリは無く、特に変わった匂いもない。胞子は大きくて、メルツァーで染めなくても明瞭な網目模様がみられた。KOH、FeSO4では何の反応もない。
 (c, d)も同日に同じ場所で見たものだが、ヒダの色が暗赤紫色をしており、傘のフチにはフリンジ状にツバの破片が残っている。ツバは早落性で柄の上部はヒダと同じような色を帯びている。胞子は見ていない。
 (e, f)は8月31日に八甲田でみたもので、キツネノカラカサ属のきのこだろうが、成菌の姿は見られなかった。ブナの落ち葉の下に厚く広い菌糸マットを作っている。青森きのこ会のメンバーの中にはこの菌の存在を知っている人もいた。
 (g, h)は9月1日に八甲田で多数みかけたフウセンタケなのだが、手持ちの資料からは同定できなかった。真綿を思わせるようなツバをもっている。ヒダは若い菌では淡紫色が鮮やかだ。胞子の表面は細かい突起に覆われている。
 (i〜k)のきのこはアカヤマタケ属に近いのだろうが、ロウ細工的感触は全くない。ヒダの色が強烈で触れたり傷つけるとゆるやかに青変する。写真は若い菌(j)、成菌(i)、それらに老菌を並べて撮影(k)したものだ。幼菌では柄の色はさほど赤くないが、成菌になると柄・ヒダともに鮮やかになる。老菌では全体に退色して帯赤茶褐色となっている。傘表面は一面ササクレに覆われている。胞子はアカヤマタケに酷似している。

2002年9月6日(金)
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
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(d)
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(e)
(e)
(f)
(f)
 今回青森に行き、青森県きのこ会の鑑定員検定を見学する機会を得た。青森県きのこ会は幹事会員ばかりではなく、一般会員のきのこを同定する資質がとても高い。つまり会員の層が厚い。その理由のひとつに [きのこ鑑定員検定] という制度をもっていることが挙げられる。これはB級鑑定補助員から始まって鑑定員まで4ランクに別れているが、非常にシビアでレベルの高いものである。
 出題されるきのこはすべて数日以内に青森県内で採取されたきのこばかりである。そして各種基本種が適切な比率で出題されるように配慮されている。受験希望者は [鑑定員認定申請書] に必要事項を記述して試験に臨む。実技検定は [食基本正解率]、[毒基本正解率]、[同定正解率]、[分類正解率] などを総合的に判断して合否が決まる。そしてこの試験への合格はいわば「仮免許」である。その後、3回以上の実技判定を経てようやく資格が与えられる。
 試験会場には番号をふされたキノコがずらっと並んでいる(a)。検定試験がはじまると受験者は一定時間内にきのこの名称を解答用紙に記述していく(b, c, d)。図鑑は何を見てもよいし、必要なら顕微鏡で観察をしてもよい(e)。しかし、検鏡したり図鑑で探し回るには、制限時間はあまりにも短い。少数の全く分からないものだけを図鑑で検索する程度の時間しかない。日頃の知識の積み重ねがものをいう非常に難しい試験だと感じた。
 今回はNHKも取材に来ていた(f)。ちなみに、試験の始まる前に出題された百数十問のキノコを眺めたが、名前のわからないものの方が多かった。試験終了後に長沢先生による解答を見たが、出題された問題のうち、半分以上は「××かな?」と思っていたものとは全く違っていた。受験していたら60%以上が不正解だ。当然、B級鑑定補助員にすら不合格である。改めて如何に自分がきのこを知らないか、を思い知らされた一日だった。

2002年9月5日(木)
 
 8月28日夕方に出発してから今日まで、遅い夏期休暇をとって青森県下北半島から岩手、秋田、宮城にかけて旅行に出かけていた。先ほど(9月5日pm) 帰宅したので、この1週間分の「今日の雑記」をたった今アップした。
 今回の旅行の宿舎では携帯電話も殆ど圏外となってつながらない場所ばかりだった。PHSを利用したインターネット接続も全く不可能だったので、日々のきのこ観察結果は持参のノートパソコンに記録しておいた。この間の「雑記」はメモから抽出して簡略化したものだ。8月29〜31日の「雑記」は最下段の「過去の雑記」[8月下] をクリックすると見ることができる。
 今回は青森県きのこ会の皆さん、長沢栄史先生には非常にお世話になりました。ここで改めて感謝しお礼申し上げます。ありがとうございました。

2002年9月4日(水)
 
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(b)
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(c)
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 早朝、栗駒山の須川温泉をでて日光に向かった。予想はしていたが、日光も地肌がカラカラに乾いている。きのこの姿もとても少ない。しかし、そんな中でもニカワウロコタケ(a〜c)を数ヵ所で30個体ほど見ることができた。今年のニカワウロコタケは色がとてもきれいだ。マスタケ(d)、ヌメリニガイグチ(e, f)、スギタケモドキ(g)、ヒメベニテングタケ(h)、カラハツタケ(i, j)、アオゾメタケ(k)などを観察できた。タマチョレイタケがあったので菌核を掘り出した(l)。久しぶりに日光に一泊することにした。夜になって激しい雨が降り出し、夜通し降り続いていた。

2002年9月3日(火)
 
(a)
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(b)
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(c)
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(j)
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 栗駒山の山頂は岩手・秋田・宮城の3県にまたがっている。昨夜宿泊したのは岩手県側の須川温泉だったので、今日は宮城県側に回って、栗駒町の湿原を歩いてみた。
 ここでも再びセンニンタケ(a〜c)、シュイロガサ(d, e)に出会った。センニンタケが発生していたのはミズナラ・ブナ混じりの広葉樹林であり、下北半島の恐山で採取したものと同じような樹林である。クラガタノボリリュウ(f)、ムカシオオミダレタケ(g, h)、ツキヨタケ(i)、ニセアシベニイグチ(j)、アケボノアワタケ(k)、コガネヤマドリ(l)をはじめ、多くのイグチ類やテングタケ類が多数見られた。午後には再び岩手県側の須川温泉まで戻った。高所はやはり涼しい。
 東北には低額で宿泊できる湯治客用の自炊宿が多い。顕微鏡を持ち込んでキノコを広げ、好きなときに食事をとるという生活をたっぷり楽しめた。

2002年9月2日(月)
 
(a)
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 菌懇会合宿も青森県きのこ会の採集・鑑定会も終わったので、残りの休暇を気楽に楽しむことにして、八甲田山から八幡平を経て栗駒山に向かった。よく晴れ上がってドライブにはもってこいの一日だった。
 十和田湖畔ではヤマイグチ(a, b)を、八幡平ではワカクサタケ(c)、アキヤマタケ近縁種(d, e)などを見た。栗駒山中腹ではヒメベニテングタケ(f)、カバイロツルタケ(g)、ナラタケモドキ(h)、カラカサタケ(i, j)、ワタカラカサタケ(k)などを観察できた。おもしろい姿をしたオオキツネタケ(l)などをはじめ、ほかにも多くのきのこを見ることはできたが、青森県に比べて全般的に乾燥気味で、きのこの姿は少なかった。

2002年9月1日()
 
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 菌懇会合宿の3日目は、午前中に宿舎の蔦温泉周辺できのこ採集をした後、解散となった。午後からは青森県きのこ会の鑑定員試験が行われた。菌懇会員有志も7,8名が残って受験した。鑑定員試験の様子は別途取り上げたいと思う。
 午前中のブナの森では、各自それぞれに関心を持っているきのこを採集して歩いた。タケリタケ(a〜c)がよく発生していた。ホソヤリタケ(d)、カバイロツルタケ(e)、クロラッパタケ(f)、ナガエノチャワンタケ(g)、マメザヤタケ(h)、オオキツネタケ(i)はよく出ていた。ハナヤスリタケ(j)、サナギタケ(k, l)なども何ヶ所かで見られた。なお、採集参加者の多くが、傘と柄を持ったきのこを多種にわたって採集していた。
 夕方には長沢栄史先生による「最近のきのこ分類体系」というテーマの講演をきくことができた。菌懇会からも5名ほどが参加した。この日も蔦温泉に宿泊したので、夜は例によって遅くまで2次会、3次会となってしまった。

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