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今朝は、5月7日にさいたま市の秋ヶ瀬公園で採取したサケツバタケの胞子を、マウント液を変えて覗いてみた。それぞれ400倍と油浸1000倍で見たものを並べた。水でマウントしたときには赤紫色(a, b)をしているが、KOHでマウントすると黄金色(c, d)になり、アンモニアでは緑褐色(e, f)を帯びた。このように、胞子はアルカリよってかなり変色するのだが、シスチジアでは色の変化はほとんどない。特に黄金色になるものは全くみつからなかった。なお、濃硫酸でマウントすると全体が丸みを帯びて色も淡くなった。さらに見ている間に胞子が次々と破裂していった。 5月8日に取り上げたサケツバタケだが、傘の色などからキサケツバタケとした方が適切ではあるまいかというご指摘があった。この両者はほとんど同一で、学名上でも「品種」程度の差異しかない。サケツバタケもキサケツバタケも同一種としてよいのではないかと考えているが、とりあえず、傘表皮が幼時から黄色っぽいものがキサケツバタケで、幼時赤褐色のものをサケツバタケとして扱っている。ここでとりあげたものは、幼時赤褐色だが成熟すると黄褐色になってしまう。 |
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昨日、房総半島中央部の山中で林を観察した後、大多喜町を経て九十九里浜の砂地生きのこを観察してきた。相変わらずタブノキにはマユハキタケ(a〜c)が多数でていた。その近くの倒木にはアラゲキクラゲがビッシリとついていた。大多喜町では千葉菌類談話会の斎藤さんの案内で公園を観察した。ヒロハシデチチタケが出始めていた。 その後外房九十九里浜にでて砂地生のきのこを観察した。長生村で久しぶりにコナガエノアカカゴタケ(d, e)にであった。昨年12月に愛知県渥美町で出会っていらいの再会である。今年新たに発生したケシボウズの仲間はまだなく、蓮沼村では昨年7月頃に発生したナガエノホコリタケがミイラ(f)となって、すっかり白くなり干からびた姿をさらしていた。しかしさすがに残存個体数は発生時の百分の一もなかった。ドングリタケの仲間もいくつも見られた。この日はコナガエノアカカゴタケ以外は全く採取などはしなかった。 |
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昨日仕事の帰り道に、さいたま市の秋ヶ瀬公園を覗いてみると、あちこちにサケツバタケが出ていた(a〜h)。傘が大きく開いたもの(a)ではヒダは暗紫色(b)だが、開いたばかりのころ(c)はヒダも白色〜淡紫色(d)をしている。傘の開かない若い菌(e)を切断してみるとヒダはまだ白い(g)。周囲をみると背丈3cmにも満たない小さな幼菌が多数みられた(h)。 モエギタケ科の脆いきのこのヒダ切片作成は難しい。ヒダの側を見ると担子器が多数みられ、ヒダ実質は錯綜しながら概ね並行に走っている(i)。今朝は担子器(j)、縁シスチジア(k)、胞子(l)だけを取り上げた。アンモニアとKOHを使っていくつもの個体でクリソシスチジアを探したが、どの個体にもKOHやアンモニアで変色する組織は見つからなかった。 保育社の原色日本新菌類図鑑1によればサケツバタケにはクリソシスチジアがあると記されている(p193)。KOHやアンモニアなどのアルカリで黄金色に変色するものをクリソシスチジアというならば、秋ヶ瀬公園や見沼地区、川崎市生田でみられるサケツバタケはクリソシスチジアをもたないことになる(雑記2002.10.2、同2003.5.18、同2003.12.1)。 スイスの菌類図鑑Vol.4 p.354の Stropharia rugosoannulata(No.459=和名のサケツバタケに相当) では縁シスチジア、側シスチジアともにKOHでは変色しないと記述され、「クリソシスチジア」とは断定せずに、"chrysocystidia?" と記述されている。ちなみに "chryso-" とはギリシャ語由来のラテン語で「黄金の」という意味である。 |
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どうも今年はウメウスフジフウセンタケの成長が芳しくない。今年最初に発生を確認したのは4月後半だった(雑記2004.4.27)。しかし、その後はほとんど成長しないままに色あせたり萎縮し姿を消しつつある。昨日午後さいたま市の数ヶ所で確認したところ、紫色の抜けた白っぽい小さな個体をかろうじて何株か確認できた(a, b)。他にはハルシメジやキクラゲ、アミスギタケがみられたが、いくら探しても紫色をしたフウセンタケの姿はどこにもみられなかった。 とりあえずヒダ切片を切り出した(c)。ヒダ実質は並行型で所々にクランプがみられる(d)。途中からフロキシンを加えて観察した。ヒダの縁には小さなシスチジアもみられる(e)。落下胞子からではなくヒダ実質部に付着している胞子をみた(f)。表面には微細な疣のようなものが見える。一昨年観察したときとほぼ同じである(雑記2002年4月30日)。なお胞子紋は茶褐色をしている。 |
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3日に日光まで出向いたもう一つの目的は、オオシャグマタケの成長具合を確認することだった。雨不足がもろにたたって、やっと顔を出したばかりのものが多く、全体に小さいものばかりであった(a〜f)。大きな個体でも頭部の長径が5〜6cmである(a)。 しかし面白いものを見ることもできた。ごく若い幼菌である(f)。それより少しだけ成長した幼菌もみられた(e)。これら幼菌は意外としっかりしており、多少の圧力では潰れない。また、あらためてしみじみと感じたのは、シャグマアミガサタケとオオシャグマタケは外見だけからでは同定困難なものがとても多いという事実である。この両者をいとも簡単に識別できるかのように記された図鑑もあるが、現実はそう甘くない(雑記2003.5.9)。だが、幾つか持ち帰ったオオシャグマタケもすべて未熟状態で子嚢のできている個体は皆無だった。 この日の日光では、例年ならぼつぼつ見られるはずのタモギタケ、ホシアンズタケ、スッポンタケの仲間などは全くみることができなかった。ヒダキクラゲもカラカラに乾燥していた。 |
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一昨日持ち帰ったシャグマアミガサタケはよく数えてみると20個ほどあった。食用に回す分だけを笊に盛って撮影し(a)、サンプルとし保存する個体はこれらとは別にした(b)。しっかりして新鮮な若い菌を食用に、形が整ってなおかつ熟している個体を標本用にする予定で、採取の折りに選んだつもりである。標本には若い菌と熟した菌の両者が必要である。 子嚢盤を切り出してみると側糸ばかりしかない(c)。あらためて別の個体から切り出してみるとかろうじて子嚢が見えた(d)。どうやら全体に未熟気味だったようである。側糸の分岐の仕方に特徴があって面白い(e)。幾つかの個体から何度も切片を切り出してやっと胞子をもった子嚢を見つけることができた(f)。しかし未熟ゆえサイズの計測などはやるだけ無駄だった。いくつかをいったん標本用に分けたが、結局すべてを食用に回すことにした。
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昨日の朝、日光まで行ってきた。さすがにゴールデンウイークの真っ只中である。華厳の滝周辺の渋滞はすさまじいものがあり、1km進むのに車で15分〜20ほどかかる有様だった。しかし、払暁出発、昼前帰宅というパターンでの行動だったので、華厳周辺で多少もたついたものの、往復の東北自動車道などでは、車の渋滞には全く巻き込まれずにすんだ。 この連休の渋滞する日光にわざわざ出向いたのはほかでもない。シャグマアミガサタケ、オオシャグマタケを観察するためである。多数のシャグマアミガサタケ(a〜f)に出会うことができたが、昨年ほど美しくない(雑記2003.5.9)。これは雨不足のためと推測される。頭部の径7〜8cmほどのもの(a)から、20cm以上という大きなもの(f)まであったが、今が最盛期らしく数日以内には干からびたり潰れてしまうのだろう。食用として10本ほどを持ち帰った。 [補足] 朝シャグマアミガサタケの子嚢盤を1cm四方くらいに切り出して、そのまま生で食べた。約2時間から3時間後に胃がムカムカしてひどい吐き気を催し、軽い下痢をした。微量でも侮ると危険なきのこだ。 |
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日本菌学会長崎大会(第48回大会)の一般講演(口頭発表)の形式をみると「使用される図表,写真などは全てOHPを使用」となっている。一方、日本菌学会関東支部の年次大会(平成16年度)では「MS PowerPointで作成した図表」を「パソコンと液晶プロジェクタを用いて映写」とされた。両者ともにポジフィルムによるスライド映写は許可されていない。 OHPシートは普及型のプリンタでも簡単に作成できる。ただ、プリンタで印刷するには、前提としてパソコン上にファイルとして作成しなくてはならないので、パソコンに不慣れな人にはやや敷居が高い。しかし、切り貼り原稿でも簡単に作成できるというメリットがある。 一方、PowerPointはOHPと比較するとかなり変化に富んだ表現が可能である。しかし、pptファイルの作成には、OHP作成よりも高度なスキルが要求される。さらに専用アプリ(PowerPoint)も購入せねばならず、利用できるOSにも制約がある。 スライド映写機からOHPへ、OHPから液晶プロジェクタへといったプレゼンテーション形式の変化は、時代の流れなのだろう。菌類以外の学会ではどうなのだろうか? |
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昨日千葉県内房の海浜に定点観察に行ってきた。昨年6〜7月に発生したと思われるナガエノホコリタケのミイラを観察することが主要な目的の一つである。去る3月28日(雑記2004.3.29)に出向いたときに比べても、残存ミイラの数は極端に少なくなっていた(a〜e)。 残存個体には頭部が球形を保ったもの(a, b)は非常に少なく、大部分は(c)の右側のような潰れた紙フウセン状〜ペチャンコな白い紙袋のような姿をさらしていた。風で砂が吹き飛ばされて潰れた頭部と柄をさらしたもの(e)も幾つか見られた。(a)〜(c)を掘り出してみたのが(e)である。 地表にさらされた柄は平滑で白色だが、そうでないものは赤褐色の鱗片が残っている(e)。4月11日の茨城県ひたち海浜公園では数週間ほど前に発生したとおぼしき個体が幾つか見られたが(雑記2004.4.12)、ここ内房ではそういった個体はひとつも見つからなかった。 ナガエノホコリタケ以外にも、ヨモギ類やコウボウムギなどの根から発生するハラタケ目のきのこを期待していたのだが、他には海浜砂地生きのこは全く見られなかった。さすがに、ゴールデンウイークを思わせる車の数には圧倒された。午前中には帰宅していた。 |
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先週(4/24)日本菌学会関東支部の年次大会でコウボウフデがらみの話をした。その中で、コウボウフデの若い菌とマユハキタケとの形態的類似のことに触れた。身近な友人・知人には既に何度かこのことは話してきたが、他ではあまり話したことはなかった。 数日前、栃木県のT.S.さんの口から「マユハキタケとコウボウフデとはよく似た姿をしていると感じていた」と聞いて驚いた。T.S.さんとはこれまで面識がなく、関東支部年次大会には出席していない。まさか、マユハキタケという名が氏の口から出るとは思ってもいなかった。 菌類研究者のT.S.さんがこういった感覚でコウボウフデを見ていたということは、過去にも同じように感じていた人が他にもきっといたはずである。それでも半世紀近くも担子菌として通用してきたのには、いろいろと理由があろうが、ここで指摘したいのは以下の点だ。 学問的に大きな意味があるにもかかわらず、自分が知り得た事実の重大性に気づかないままに、単なる仲間内の話題で終わらせてしまっているケースがかなりあるのではないか。 |
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