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日( )
2010年2月10日(水)
 
あぁ蔵書の処分
 
 手元の山岳図書数百冊を図書館に寄贈しようとして断られた。予算・人員不足のため、受け入れられないのだという。やむなく、古典的名著として定評のある230冊ほどをリストにして、数ヶ所の古書店に買取見積りを依頼した。50冊ほどには蔵書印が押してあった。
 ある山岳図書専門店は「蔵書印を押した書籍が多いので見積もりを遠慮させていただきます」とのことだった。一方、ていねいにひとつひとつ値付けをしてくれた専門店が出してきた価格は、230冊で23,000円だった。平均すると1冊100円ということになる。
 いくつかの山岳関係の古書店で販売価格をみた。見積もりを依頼したある全集は1セット15万円だった。見積書ではこの全集の買取価格はたかだか1,000円。全般的に買取価格と販売価格の差は15〜150倍ほどの開きがある。これが古書というものの相場なのだろうか。
 標本や蔵書を処分するという行為は、自分を切り売りしているようで気分がよくない。しかし、狭いスペースのなか、新たな関心事に対応するには、これも致し方ないことなのだろう。

2010年2月9日(火)
 
「雑記」の効用
 
 昨日、郵便受けに北海道札幌方面中央警察署からの書状がはいっていた。差出人は交通第二課。昨年11月に発生した轢き逃げ事故について捜査協力の依頼文書だった。
 それによると、平成21年11月3日午前1時35分ころに札幌市内の交差点内で轢き逃げ事故が発生した。目撃情報から逃走車両は、車体色が [シルバー色系] の [スバルフォレスター] で、車両ナンバーは下四桁のみ判明しているとのことで、その番号が記されていた。車両ナンバーはもちろん、これらの特徴はわが家の車と同じものだ。
 北海道内で当該ナンバーを交付されている車両を調べた結果、轢き逃げ容疑が認められなかったので、捜査の範囲を全国に広げることにしたのだという。そういった説明書と一緒に、回答するための書類と返信用封筒が同封されていた。回答内容を検討して、さらに確認したい事項があれば、再度照会するとも記されていた。
 それにしても、世の中には同じ車両番号で、車種や色まで同じような車があるものだと、なんとなく感心してしまった。理屈を考えれば、下四桁が同一番号の車両は1,500〜2,500台はあるはずだ。しかし、そのうち同一車種で色も同じとなると、一割以下になるだろう。
 回答書類は、昨年11月3日はどこで何をしていたのか、そのとき車はどういう状態だったのか、に答えることを要求する。以前の「雑記」をみると、11月3日は午前中奈良県川上村、午後は大阪市立自然史博物館で多くの人と会っている。回答欄を埋めるのはとても簡単だった。

2010年2月8日(月)
 
標本の整理
 
 今月に入ってから毎日少しずつ標本の整理をし始めた。部屋が狭いため、収納スペースが充分に確保できない。防湿剤と防虫剤を入れた特定の密閉ケースはどれもすでに満杯となり、結果として多くのきのこ標本が、あちこちの段ボールに押し込まれている。人並み外れた事務処理能力の欠如に、貧しい記憶力が追い打ちをかける。このため、たった一つの標本を探すためにいくつもの段ボールを開けたり閉めたりして悪戦苦闘することは少しも珍しくない。
 手元に標本がなければ探す手間はなくなる。そこで、自宅標本ゼロを目標に作業を始めた。標本をジャンル別に分け、学術的価値のあるものだけを収蔵庫に納め、それ以外は処分する。ところが、この選別・記録・リスト作りは結構面倒で、むこう数ヶ月はこの作業で悩まされそうだ。再同定も必要となる。昨日も100点ほどゴミとして処分した。

2010年2月7日()
 
こりずに地衣
 
 千葉の海浜から持ち帰った地衣類は他にもあった。遠目にはウメノキゴケとよく似た葉状地衣をじっくり眺めてみた(a, b)。濡れると緑色が強くなるのは葉状地衣では普通のことらしい(c)。基物から剥がすのは思いの外難しくて、裏面が白色なのか暗褐色なのかよくわからない(d)。偽根の有無も確認できなかった。全体が基物に密着し、周辺部で裂片に分離している。中央部には多数のソラリアがあり(e)、ソレディアを検鏡すると、緑藻を菌糸が取り囲んでいる(f)。
 
(a)
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(b)
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(c)
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(d)
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(e)
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(f)
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(g)
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(h)
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(i)
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(j)
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(k)
(k)
(l)
(l)
 地衣体でも髄層でも、KOH反応と次亜塩素酸カルシウムの呈色反応はマイナス(g, h)。地衣体の各部を横断面で切ってみた。異形菌糸組織(pseudoparenchyma)の上皮層の下には藻類層があり、その下の髄層は隙間があってスカスカだ。最下部には下皮層と思われる褐色の菌糸がある(i, j, k)。抽出した結晶は放射状の針晶か柱晶のようにみえる(l)。ヂリナリア属 Dirinaria の地衣だろうか。姿はコフキヂリナリア D. applanata に似ている。

2010年2月6日()
 
多摩湖畔の緑地
 
 久しぶりに東京の水源の一つ多摩湖畔の緑地を訪れた。この季節みられるきのこは一部の硬質菌を除くと非常に少ない。ここ連日の寒さと雪などのため、緑地は落ち葉と霜柱にすっかり覆われていた。残雪もあちこちに残っていた。
 
(a)
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(b)
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(c)
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(d)
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(e)
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(f)
(f)
 予測通り、エノキタケ(a)、ヒラタケ(b)、キクラゲ(c)、タマキクラゲ(d)、ヒメキクラゲはよくでていた。ツバキやハンノキ樹下を探せば、かならずといってよいほど菌核菌がでているだろう。菌核菌を探すことはせずに、落枝についていた痂状地衣を2種類だけ持ち帰ってきた(e, f)。

2010年2月5日(金)
 
みっつめの地衣
 
 千葉の砂浜には数種類の樹状地衣がみられた。今朝は、そのうちのひとつである頂部が杯状になったものを覗いて楽しんだ(a, b)。乾燥時には灰白緑色だが、濡れると緑色が鮮やかになった(c〜e)。これは昨日覗いた葉状地衣でも同じだ。
 
(a)
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(b)
(b)
(c)
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(d)
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(e)
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(f)
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(g)
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(h)
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(i)
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(j)
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(k)
(k)
(l)
(l)
 樹状に立ち上がった部分の表面は顆粒状のソラリア(soralia 粉芽塊)に覆われ、頂部の縁に小さな茶色の子器をつけたものもある(b, c)。ラッパ状杯の底にはソレディア(soredia 粉芽)が転がっている(c, f)。柄の基部には鱗葉(squamules)がつき、基物と接する面には基本葉体が広がっている(a, d, e)。基本葉体の裏面は白色で(b)、横断面には皮層・藻類層・髄層がみられる(j)。樹状部の内部は空洞で(f, g)、横断面をみると(h)、外側から皮層・藻類層・内髄からなる(i)。KOHの呈色反応ははっきりしない。アセトンで抽出した結晶は夾雑物が多くてよくわからない(l)。どうやらハナゴケ科のヒメジョウゴゴケ Cladonia humilis のようだ。
 
(m)
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(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
 上に記したヒメジョウゴゴケと混生してやや形の異なる地衣(m, p)が群生していた。いずれも検鏡結果とKOHによる呈色反応は前述のヒメジョウゴゴケと変わらない。左側3枚(m, n, o)は茶褐色の子器らしきものをつけているが、これもヒメジョウゴゴケのような気がする。右側3枚(p, q, r)は針状で背が高く(2.5〜4cm)、鱗葉を多数つけている。こちらはヒメジョウゴゴケではなく、ヒメレンゲゴケ Cladonia ramulosa かもしれない。

2010年2月4日(木)
 
ふたつめの地衣
 
 先日の千葉の海岸砂地ではきのこの類はほとんどなかった。そこで、蘚苔類を少々採取した。さらにこれまで敬遠してきた地衣類を初めて採取した。どうせ採取するのなら、葉状地衣、樹状地衣、痂状地衣の3生育形をひとつずつ持ち帰ることにした。昨日はそのうち痂状地衣を観察してみたので、今日は葉状地衣をじっくり覗いてみた。
 
(a)
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(b)
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(c)
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(e)
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(f)
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(g)
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(h)
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(i)
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(j)
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(k)
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(l)
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 防風林のマツ樹皮にウメノキゴケの仲間(Parmotrema sp.)がついていた(a, b)。裂片の先端は丸く、中央部には顆粒状や円筒状のイシディア(isidia 裂芽)が密生し(c, d)、縁にシリア(cilia 睫)はない。裏面の周囲は淡褐色で、中央黒色部からはまばらに偽根(rhizine)がでている(e)。
 KOHで地衣体表面はわずかに黄色味が増し、髄部は無変化(f)。偽根を含む面を切り出してみた(g)。偽根はまっすぐで太くて短い(h)。次いでイシディアを含む面で切り出した(i)。イシディアには皮層がある(j)。地衣体の横断面をみると、上皮層、藻類層、髄層、下皮層ときれいに分かれている(k, l)。子器をつけたものはなかった。ウメノキゴケ P. tinctorum かもしれない。

 地衣類の正確な同定には地衣成分の観察が必要とされ、呈色反応、顕微結晶検出、ペーパークロマトグラフィーなどを利用するらしい。呈色反応と顕微結晶法は楽にできるが、肝心の試薬類がほとんどない。KOH、グリセリン、エタノール、アセトン、アニリンなどはキノコでも使うからよいが、ピリジン、キノリン、o-トルイジン、o-アニシジン、パラフェニレンジアミン、次亜塩素酸カルシウム等はない。入手困難なものばかり、筑波詣で、千葉詣で・・・かも。
 もっともキノコの同定でも、特定分野については、それなりの試薬類、グアヤク、αナフトール、濃硫酸、ラクトフェノール、コットンブルー、コンゴーレッド、硫酸第一鉄、等々が必要となるから、特に地衣だけが特殊な試薬類を必要とするわけでもなさそうだ。


2010年2月3日(水)
 
初めての地衣
 
 千葉県外房の蓮沼海岸で駐車場脇の街路樹についていた地衣を採取して持ち帰った。地衣を採取したのも初めてなら、観察してみたのもまったく初めてのことだ。戸惑うことばかり。国際植物命名規約 第13条(d)には「命名法上,地衣類に与えられた学名は地衣類を構成する菌類に適用されているものとみなす」とに記されている(ウィーン規約 2006:日本語版)。
 
(a)
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(c)
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(d)
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(e)
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(g)
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(j)
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(k)
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(l)
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 採取したのは街路樹の樹皮にカサブタのようにへばりついた灰白色の地衣だ(a)。近づいてみると、表面には線形文字のような黒い亀裂が多数はいっている(b〜e)。これは、地衣の世界ではリレラ(lirella 溝)状と呼ばれるタイプの子器(apothecium 子嚢をもつ構造体)らしい。リレラを縁取る黒色の部分は炭化した果殻で、ラビア(labia 唇)と呼ばれているようだ。
 地衣体の表面に5%KOHを滴下すると淡黄色になった(f)。ついで、樹皮と一緒に横断面を切り出して、水と5%KOHで封入してみた(g)。果殻は全体が炭化していて、上部に溝はなく下部は開いている(g, h)。髄の部分を拡大すると緑藻はよくわかるが、子嚢や胞子は見つからなかった(i, j)。
 スライドグラス上に置いた地衣体の小片にアセトンをかけると白色の成分が抽出できた。これをメスで掻き取り別のスライドグラスに載せた。ついでグリセリン1+氷酢酸3の混合液で封入して、ターボライターであぶり、数分間放置した。すると、放射状に広がった結晶ができた(k, l)。化学成分が何かは分からないが、いわゆる地衣成分の結晶のようだ。
 モジゴケ属 Graphis らしい。共生藻は緑藻類スミレモの仲間だという。モジゴケ G. scripta、アカギレモジゴケ G. awaensis、ホソモジゴケ G. tenella などが候補に上がるようだ。

2010年2月2日(火)
 
乾燥ハチスタケ
 
 千葉県九十九里浜はどこまでいっても広い砂浜が広がっている(a)。夜になると、いたるところでウサギが活動し、多量の糞をまき散らす。糞からは時間経過とともにいろいろなきのこが次々と発生する。ヒトヨタケの仲間やチャワンタケは短時間のうちに消えてゆく。しかし、ハチスタケは発生から数ヶ月経ても乾燥した糞について残っている。これまでの経験では、千葉のみならず、厳冬期の茨城、神奈川、静岡でも、ていねいに探せば必ず見つけることができた。
 
(a)
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(i)
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(k)
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 一昨日持ち帰ったハチスタケは、すっかり乾燥して(b)、子嚢はほとんどが崩れ、胞子も高比率で壊れていた(i, j)。無駄を承知で、頭部の横断面を切り出して、水(e, g)とメルツァー液(f, h)で封入してみた。子嚢殼の中にはごくわずかの胞子と、子嚢の欠片だけが残っていた(g, h)。
 今朝使った標本では、メルツァー液で青色に染まる先端部(k)や、スリットの入った胞子(l)はみられなかったが、他の糞についた個体では綺麗な子嚢がみられた。ハチスタケについては、過去に数回観察している(雑記2004.11.1同2005.11.26同2007.1.5)。

2010年2月1日(月)
 
今年初めて千葉の海
 
 昨日千葉県の海を巡ってきた。内房富津市の浜をかわきりに(a)、外房九十九里の浜を北上しながら歩き回った。結果として出会ったのは、ナガエノホコリタケ(b)、ケシボウズタケ(b)、ウネミケシボウズタケ(c)、ハチスタケ(e, f)、マツカサキノコモドキだった。
 
(a)
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(c)
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(d)
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(e)
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(f)
(f)
 ケシボウズの仲間は、昨年12月以降発生したものは少なく、ミイラが多かった。風もなく暖かかったこともあり、久しぶりにウサギの糞をじっくりとながめてみた。多くの糞にハチスタケがついていた。なぜか、ドングリタケには全く出会わなかった。これも珍しい。
 砂浜歩きは結構腰や全身への負担が大きい。昨日も、最後は飯岡のしょう油風呂で疲れを癒してから帰宅した。それにしても、南房総へ向かう観光客の多さに驚いた。

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