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2019年12月31日(火) 民事訴訟を起こすことにした
 カミコン(妻)の死亡事故に関して加害者側の損保会社がつい最近ようやくカミコンの命の値段(死亡損害賠償金額)を内示してきた。あまりにも安くて呆れた。死亡事故発生当日から既に1年7ヶ月が経過し、刑事裁判の判決が確定した日からでも10ヶ月が経過している。こんな金額を出すために1年半以上もの時間が必要だったのか。
 しかしその内示額なら何も任意保険になど入る必要はない。自賠責保険だけで十分だ。あまりにも低く納得できないので弁護士に相談すると、民事訴訟を起こすことを提案された。そして弁護士には訴状を作ってもらうことを正式に依頼した。
 訴状の素案ができたところでこれを十分に検討して、来年1〜2月には提訴することにした。判決が確定して最終的に賠償金額が決まるまでには早くても6〜7ヶ月、支払いまでは1年はかかると思った方がよいとのこと。つまり支払われることになるのは早くても来年末以降になるだろう。
 したがって来年もこれまで同様に僅かな年金とささやかな預金の食いつぶしでの生活をしいられる。学会やワークショップ等は参加費もバカにならないが交通費や宿泊費の負担が大きいので来年も参加することはできない。まずは日々の生活第一だ。
 幸い自宅周辺は自然がとても豊かだ。地元周辺を動き回るだけでも、低山に登ったり、キノコやコケや野草を観察して楽しむことができる。それに日光市は温泉も安い。
 このことをカミコンの遺骨に報告して、彼女が若い頃から好きだったユリの花を添えた。ようやく死亡事故関連の案件が少し動きだした。


2019年12月30日(月)  城山の頂から富士山が見えた朝
 昨日も終日気温が低くとても寒い一日だった。am7:00に朝の散歩に出たが、この時刻で外気温は−4.6度、室温4.0度だった(a)。am7:40頃に城山の頂に着いた。日陰では−5度、直射日光下では3度だった。西側を見ると真っ青な空の下に男体山(b)、女峰山が鮮やかだった。南西側は富士山が見えたが空の色が白色を帯びていて、鮮やかな姿は見られなかった(d)。しかしこの冬初めての富士山だった。
 市営温泉の営業が昨日までだったので、鬼怒川温泉に行って岩風呂に入ったが、さすがに人が多かった。檜風呂、岩風呂、露天風呂とそれぞれの湯に、のぼせてしまうほどたっぷりと長い時間つかった。今日から1月3日までは休館になる。
 顕微鏡室の整理と構成替えをほぼ完了させたが(e)、カミコン(亡妻)関連の検鏡道具類や研究ノートなどを段ボールに詰めていったん別の部屋に保管した。少し広くなったと思ったが、まだキチンと整理されていないので、机上はゴチャゴチャだ。
 
(a)
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(b)
(b)
(c)
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(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
 早めの夕食にして、焼酎を飲みながら鍋物をつついた(f)。白菜、ネギ、鶏肉(200g)、マイタケ(1パック)、シイタケ(10本ほど)をメインに、他の野菜類を次々に加えて、気が付くと中程度の大きさの白菜が半分以上無くなっていた。
 野菜類がほぼなくなったところで、豆腐とひき肉、玉子、キャベツを加えてさらに煮込んだ。昼に作っておいた里芋の煮っころがしもほとんど空になってしまった。それにしてもよく食ったものだ。今朝の体重は前日より2.5Kgほど増えていた。


2019年12月29日()  今年最後のトレーニングルーム
 今朝はよく冷えている。am4:00の時点で外気温−4.2度、室温4.1度。昨日の朝もよく冷えていた。am6:00の時点で外気温−4.3度、室温4.8度だった(a)。いつも通り寒暖計を首から吊るして城山に登った。am7:40に山頂では日陰の温度−4度、直射日光下では5度だった(b)。男体山は完全に根雪に覆われた(c)。
 日光市では体育館や図書館は28日が今年最後の開館日。そこで早い時刻に大沢のトレーニングルームに行くと既に8人がいた。マシンに取り組む前に血圧を測ると125/67だった(d)。45分間ほどマシンと取り組んだ。事後の血圧は117/78だった(f)。
 直後に体組成計に乗ると、体脂肪率14.0%で身体年齢64歳と表示された(e)。前回12月15日には13.4%、63歳だったから、若干悪くなっている。前回の血圧はトレーニング前が126/95、トレーニング後は128/79だった(雑記2018.12.16)。
 
(a)
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(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
 カミコン(亡妻)の顕微鏡と実体鏡を机上から外して格納したので、机上の再整理が必要になった。とりあえず自分の顕微鏡はじめすべてのものをいったん机上から取り除いた。部屋を掃除しデスクトップPCもいったんすべて取り外して5年ぶりに大掃除をした。今日は顕微鏡類をまともに使える状態に机上を整えなくてはならない。


2019年12月28日()  今月二度目の濃霧の朝
 昨日は深夜から雨となりam6:00頃になってやっと止んだ。風もなくとても暖かい朝で、食事時には室内が11度もあったので、ファンヒーターなど暖房はつけなかった。やがて6:30頃になると一面が濃い霧に覆われ始めた。
 am7:40頃に朝の散歩に出発したが、すぐ近くの交差点では信号の色がかろうじて分かるほどだった(a)。ふだんなら眼前に城山がみえているバイパスからは何もみえなかった(b)。30分ほど歩いて城山の登り口までくると、最初の急な階段の上部がなんとなく明るくなってきた(c)。遊歩道を登るにつれ次第に霧は薄くなり、山頂ではすっかり良く晴れ上がっていた(d)。男体山や女峰山の方面には青空がひろがっていたが(e)、下を見ると一面の雲海がまだ広範囲に広がっていた(f)。
 昼前から猛烈に強い北風が吹き荒れ、窓やドアがガタガタ音をたてた。自宅脇の竹林の一部が道路側に倒れ込んでパトカーまでやってきた。気温も急激に下がり空は一面雪雲に覆われた。午後の日光市には大雪警報と雪崩注意報が出ていた。
 
(a)
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(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
 カミコン(亡妻)のデスクトップPCを設置していたパソコンラックを空にした。これはいずれ分解して処分する。また彼女の使っていた顕微鏡を机上から外して、別の場所に格納した。実体鏡も同様の処置をとった。作業中やたらに涙が溢れてきた。


2019年12月27日(金) 城山:インターバルトレーニング!?!?
 散歩の折に城山で45〜50歳ほどだろうかスポーツマンタイプの人としばしば出会う。彼は12分程で無理なく山頂に達するという。私は最短時間でも15分なので、いつも追い抜かれる。彼は野山の草花に深い造詣があり、これまで何度か野の花のことでいろいろと話をしてきた。先日「城山はとても良いインターバルトレーニングの場だ」と言っていた。そんなことを意識して歩いていたんだ、とはじめて知った。
 ちょうど1年前の雑記(2018.12.27)に城山の上板橋登山口から山頂の板橋城跡までの遊歩道のことを記した。そして全コースを模式化した図を載せた。これを改めて見直してみると、急斜面と平地がバランスよく何度か繰り返されている。
 特に意識せずとも、高負荷の歩き(斜面)と休養歩き(平地)とが繰り返される。毎日登っている人たちの多くはここを20〜25分ほどかけて登る。しかしここを15分以下で登ると急斜面では激しい息切れを感じ、平地にでるとようやく息切れを回復できる。これが3回ほど繰り返される。まさにインターバルトレーニングだ。
 これまでトレーニングを意識して歩いたことはなかった。私にとってはあくまで散歩の場だ。ただ、できれば12分を切って歩けるようにはなりたいと思う。

 今朝はとても暖かい。am3:50に外気温5.4度、室温9.4もあった。久しぶりに暖房のいらない朝になっている。起床時のam4:00に血圧を測ると118/76だった。



2019年12月26日(木)  とても寒い一日だった
 昨日は朝6:00の時点で外気温−4.0度、室温3.1度だった(a)。前夜湯たんぽを入れた時に何となく空気が濁っているように感じたので窓を大きく開けた。そのまま眠ってしまったせいだろうか、起床時(am4:30)に掛け布団の襟元が凍っていた。
 am6:00に血圧を測ると150/86だった(b)。朝の散歩時に、前日までは厚手の手袋の中にホッカイロを入れていたが、指先の激しいレイノー症状は防げなかった。そこで昨日から朝の散歩では電池式の手袋を使い始めた(c)。今シーズン初になる。そしてこれまで同様に、靴下にはホッカイロを貼付け耳当てをして歩き始めた。
 am9:00の時点で城山の頂(d)では日陰こそ摂氏−3度だったが、直射日光の当たる場所にある寒暖計は摂氏7度もあった(e)。太陽光の威力はすごいものだ。
 昼になっても意外と気温は上がらず終日とても寒い一日だった。夕食には煮物、豚肉、納豆に味噌汁とたっぷり食べたが、その後に再び新たな納豆を肴に、焼酎のトマトジュース割りを5杯飲んでしまった。寝室の窓の閉め忘れは、そのせいだったようだ。
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
 今日はカミコンの17回目の月命日。彼女の使っていたデスクトップパソコン以外は、顕微鏡も書籍も衣類も何もかもが事故当時のままだ。だいぶ埃もかぶりだした。


2019年12月25日(水)  カミコン(妻)の死後初めて開いてみた
 カミコンが亡くなって半年くらいした頃、彼女が使っていたデスクトップパソコンを立ち上げてみた。しかしパスワードが分からず開けることができなかった。彼女は家庭内LANには繋いでいたが、私のパソコンとは繋がっていなかった。
 数日前彼女の使っていたデスクトップPCの内部を開いて(a)、新たにC:ドライブとするため手持ちのSSDを繋ぎOSをインストールし(b)、私のIDとパスワードで入れるようにした。そして、作業がやりやすいように炬燵の脇にPCを仮置きして作業した(d)。
 開くことができて再認識したことだが、彼女のPCの方が私のメインPCよりはるかに高性能だった。プロセッサの速さも、メモリも雲泥の差があった(e, f)。そりゃそうだ。両者とも同じFrontier神代製だが、方や2009年製、方や2016年製だ。
 彼女のデータ類はD:Kamikon_Dataとしてそこにすべて保管し、このPCを私のPCから操作できるようにした。さらにいずれメインパソコンとして使えるようにメモリを追加して(c)16GBにし必要なアプリを導入、Perl、Ruby、Pythonなども使えるようにした。こうやって書くと簡単だが、システム構築には4〜5日もかかり面倒だった。
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
 今日の正午をもって金精道路(国道120号線)が閉鎖される。例年12月下旬にはカミコンと二人で群馬県側から金精トンネルを抜けて雪道ドライブと温泉を楽しんできた(雑記2017.12.18同2016.12.19)。ガソリン代金が灯油代金を食ってしまうの、昨年同様今年も中止した。だいたい一人で雪道を走っても面白くもなんともない。


2019年12月24日(火)  この冬初めて雪が降った
 昨日は夜中から明け方に雪が降ったが、明るくなる頃には自宅周辺では雪は消えていた。夜中のam3:30の外気温は摂氏1度だった(a)。am9:00の城山の頂では摂氏8度もあったが(d)、四阿の屋根や足元にはまだ雪が残っていた(b)。男体山はすっかり雪化粧をしていた(c)。日光市街地からいろは坂方面は雪で覆われていた。
 日中は気温が上がり陽射しもあったので、路面の雪は解けて午後になると凍り始めた。神橋からいろは坂は完全に凍結路面で車はノロノロと続いていた。
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
 昨日昼食前に血圧を測ってみると158/78(e)、155/88(f)。今朝は朝食前に測ったところ137/80だった。まだまだ高い。運動不足とで過食のなせる業だろう。


2019年12月23日(月)  今月二度目の鳴虫山歩き
 昨日は朝の散歩の代わりに鳴虫山から神主山の稜線を歩いてきた。昼前には戻る予定で昼食は持たずに、コンデジとバナナ2本、ミカン2つを持って出発した。車にはビスケット300gを積んだ。午前中は雨や雪は降らないだろうと雨具は持たなかった。
 am7:30頃自宅を出て、大谷川畔の上鉢石駐車場に車を停めた(a)。男体山や女峰山はきれいに見えていた。am8:00頃駐車所から歩き始め、神橋(b)の脇を通り、憾満ケ淵の化け地蔵脇を(c)を歩いて、杉植林地(d)を登り出した。
 急斜面やハードルのような木製階段(e)を進み独標(f)、合峰(g)を越え、立派な階段(h)を登るとやがて主峰の鳴虫山だ(i)。ここからは男体山が木々の合間に大きく見えた(j)。この先いくつかの小さなコブを越えて神主山(k)。そして30分ほど下ると市街地にでた。駐車場に戻ったのはam11:00頃。既に女峰山方面は雲の中だった(l)。
 この日は気温が零度前後で、陽射しは全くなく北風が吹いてとても寒かった。手足ともに指先が激しいレイノー症状を起こし、痛いうえに思い通りに動かせないので、シャッターを切るのにひどく難儀した。途中で暗い樹林の足元に小さなきのこが出ていた。
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
(g)
(g)
(h)
(h)
(i)
(i)
(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
 自宅に戻る前にやしおの湯で冷え切った体をたっぷり温めた。なんと15分間もサウナに入っていた。帰宅途中で昼食のつもりでビスケットや最中を少し食い過ぎた。
 昨日の歩行時間は概ね3時間ほど、歩いた距離も11Kmほどで、いずれも朝の散歩の2倍弱くらい。要するに二日分の散歩をした勘定になる。
 昨日の昼の菓子類と夜の鍋物の過食がもろにたたって、今朝は昨日朝より体重が3Kgも増え、血圧もam4:00で139/84、142/79と高い値になっている。


2019年12月22日()  図書館のDVDを楽しむことが増えた
 昨日は日中も意外と気温が上がらず寒い一日だった。久しぶりに朝は本を読んで過ごし、昼近くになってから散歩にでた。昼近くでも城山の頂は意外と気温が低くam11:30で摂氏3度しかなかった(a)。展望はまるできかなかった。
 この時間帯に城山に登るのは初めてだったが、出会う人の大部分がリュックを背負っていることに驚いた。早朝に登る人たちは何も荷物は持っていない。散歩に適したちょっとしたコブのように思えるのだが、彼らにはハイキングの対象なのだろうか。
 このところ一日に数回血圧を計測しているが、昨日は起床時(am4:00)には113/82だった(b)。昼寝から起きてすぐに測ってみると130/72と表示された(c)。散歩から戻ってすぐに測ってみたらどんな数値だったのだろうか。
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
(e)
(e)
(f)
(f)
 最近は夕方よくビデオをみる。日光市立図書館から借りてきたものばかりで、主に企画ものやドキュメントで(d〜f)、映画や漫画の類はいまだ借り出したことがない。一度に2本までしか借りられないので、二日に一遍図書館通いとなっている。
 だいぶ前からツタヤのビデオ会員にはなっているがこれまで一度も借りたことはない。


2019年12月21日() 来年1月の宿の予約はとらないことにした
 昨日の朝は久しぶりにとても濃い霧に覆われた。しかし城山の頂からは男体山や女峰山がはっきり見えた。霧は低いところだけに停留していたようだ。日中は陽射しがあり気温も上がったが、午後なると強風注意報が出て急に寒くなった。

 昨年の今頃には千葉菌類談話会と菌類懇話会の翌1月のスライド会に参加するために宿を予約した(雑記2018.12.23)。多くの友人・知人に会えたことでカミコン(妻)を突然失った喪失感と絶望感は多少癒されたが、交通費と宿泊費の出費が2月の生活を厳しいものにした。 来年(千葉菌 1/11、菌懇会 1/25)はいずれにも参加しないことにした。
 いまだ加害者側の損保会社から死亡賠償金額の提示がなく先の生活の見通しが立たない。またカミコンを失ってからはきのこと積極的に関わる理由がなくなった。そして標本を残すこともやめ、手元にあった800点余りの標本は処分し、分類関係の文献もかなり少なくなった。つまり研究や調査の視点からキノコと関ることはやめた。 去る11月3日の大阪での講座(同2019.11.4)が最後の〆(しめ)になったといえる。いずれにせよ今後はきのこは単に鑑賞して楽しむだけの存在になる。



[節目]

2018年5月26日浅井淑子 交通事故に遭い死亡
2017年1月きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発
 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした
2017年1月こけ雑記 再開
2015年6月26日福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居
2012年1月26日埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居
2006年7月こけ雑記 開始 (2011年8月 中断)
2001年4月今日の雑記 開始
2000年11月きのこ雑記 開始

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