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2020年12月10日(木)  思いがけない所から山道具
 カミコン(亡妻)の死後押入れの奥には手を付けていなかった。昨日そこに置いてあった衣装ケースなどを開けてみた。すると思いがけないものが入っていた。30年以上前の羽毛ジャケット(a, b)、羽毛半シュラフ(a, c)、ナイロン製レインウエア(a, d)、長短のスパッツ(e)、ウインドウヤッケ(f)が入っていた。当時はSサイズとMサイズの二組あったはずなのだが、何故かスパッツ以外は一組だけですべてMサイズだった。
 山関係の品物はずっと前に二人ですべて処分したはずだったので、なぜこれらだけが残っていたのかは謎だ。しかし経年変化でナイロンなど劣化しているはずだと思って、広げて確認してみた。ところが不思議なことに、いずれもまだ使えそうだ。
 普段着のズボンといえば夏用のものしか持っていない。これで冬場も山を歩いてきたがとにかく寒い。耐えきれずに薄手のズボン下を初めて購入した。過去にはズボン下の類を利用したことは一度もなかった。確かに温かいが違和感が強く動きづらい。さらにスボン自体に伸縮性が全くなく、夏でも急斜面や岩場ではとても歩きにくい。
 今回新たに出てきた品を活かすことにすると、補充の必要があるのは2点ほどになる。 一つは三期用の少ししっかりしたトレッキングシューズ。新品の靴は目が飛び出すほど高価なのでオークション等で中古品を探してみることにした。二つ目は伸縮性があって冬でも使える野外用のズボンだ。ズボンはワークマンで探してみよう。
 
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(c)
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2020年12月9日(水)  独りになって山歩きが増えたが問題が
 今日は土浦市の娘夫婦宅から昼頃に帰宅した。起床時にも散歩はしなかった。

 カミコン(亡妻)の事故死以降独りだけの生活になって、日常生活にも少しは慣れてきたが、大きく変わったことがある。以前は午前中は強い雨でもない限り、ほぼ毎日二人で野外にでかけてきのこやコケなどの観察と採取をしていた。
 独りきりになって、午前中の過ごし方が変わった。日常的に山を歩くようになった。以前は年に数回しか山歩きはしなかった。それも大抵は二人で歩いていたが、ロングコースとか高い山を歩くことはほとんどなかった(山歩きのこと(1)同(2)同(3))。
 以前は朝食前に二人で40〜60分ほど散歩していた。カミコンの死後、起床時間を2時間ほど早め、am5:00には朝食を済ませ、早朝散歩に城山を加え、野草の花を観察しながら2時間ほど歩くようになった。そしてきのこ採取のための外出はやめた。
 散歩から戻ると、午前中は語学や関心のある分野の勉強をしたり、低山主体の山歩きにでかけるようになった。しかし山歩きのための装備や衣類ははるか前にほとんど処分してしまったので、ふだん履きのスニーカーに普段着のままで歩いてきた。
 ロングコースを歩いたり、寒い時期にも山を歩くようにもなると問題が生じてきた。靴底が柔らかすぎるため足指の痛みが深刻になる。雪道を歩くとスニーカーではたちまち難儀する。ビニールガッパは緊急時の非常用にしか使えない。冬場に強風が吹くと体が芯まで冷え切ってしまう。今後のためにも何らかの対策の必要性を感じ始めた。



2020年12月8日(火)  切込湖・刈込湖ハイキング
 昨日奥日光の切込湖・刈込湖をめぐるハイキングコースを歩いた(a)。朝7:40に自宅を出て、am8:30頃に光徳駐車場に着いた。山王峠への道は凍っていて(b)、 峠に近づくと雪に覆われるようになり、林道出合からは3〜5cmほどの積雪となった(c)。
 雪道を下って行くと、大きく開けて涸沼周辺には雪はまったくなかった(d)。その先の亜高山帯針葉樹林に入るとにわかに様相が変わり、足元は完全な雪道になった(e)。切込湖は半分ほど凍っていたが、刈込湖は湖岸周辺だけが凍っていた。日陰では5cmほどの積雪面が広がっていた(f)。ここで10分間ほど休んで昼食をとった。
 その先の針葉樹林はずっと雪(g, h)。ふだん履きのスニーカーで歩いていたので、靴の中に雪が入り冷たかった(l)。小峠(i)あたりまで来ると雪は次第に少なくなり、湯ノ湖の周辺では一部の日陰以外では雪は消えていた(j)。戦場ヶ原も雪は全くない(k)。
 この日は終日とても良く晴れ上がったが、昼前までは北風が猛烈に強く寒かった。念のためにスパッツと簡易アイゼンを持参したが、使うことはなかった。全行程を通じて4人のハイカーに出会っただけだった。彼らのうち3人はアイゼンを着けていた。
 
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(c)
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[参考] am7:40 自宅出発 → am8:30-40 光徳駐車場 → am9:45 山王峠 → am10:10 涸沼 → am10:40 切込湖 → am11:05-25 刈込湖 (昼食) → am11:55 小峠 → pm0:20 国道出会い → pm0:25-30 湯本温泉 → pm1:05 湯滝下 → pm1:45 逆川橋 → pm2:00-10 光徳駐車場 → pm2:50-3:30 やしおの湯 → pm3:55 帰宅
 今日は茨城県に住む家族のもとに向かう。孫の誕生日なので記念写真を撮る予定だ。今夜は宿泊するので、明日の雑記はたぶんお休み。


2020年12月7日(月)  よく晴れたが寒かった:とりとめもない一日
  昨日はam4:00頃に食事をすませて(a)、まだ真っ暗な中散歩に出た。ペンサイズの懐中電灯を頼りに歩いたが、城山では暗くて足元がはっきりしなかった。帰宅したのはam5:40。まだ真っ暗だった。このときの気温は屋外−0.8度、室内5.3度。まるで元旦の初日の出の朝のようだと、われながら可笑しかった。
 帰宅後に芋を蒸し、ブロッコリーの茎と葉を茹でて第二朝食とし(b)、1時間ほど仮眠をとった。今市図書館から借りている本の返却日だったので、6Kmほど歩いて図書館に行った。帰路も徒歩で正午過ぎに戻った。この時点で歩数計が30,000歩を越えていた。昼飯は乾麺のうどんをゆでた(c)。月曜日が休館日であることを思い出して、今度は自転車で再び図書館まで行ってビデオを借りてきた(f)。歩きと違って寒かった。
 干柿の第二陣がほぼ完成したので(d)、取り込んでキムタオルを敷いて箱に収めた(e)。先日の第一陣と同様に、とてもよくできていた。最近5年間では最もできが良い。
 夕食はまたきのこと野菜主体の鍋物にして、ウイスキーのオンザロックを飲みながら、借りてきたビデオを楽しんだ。いつの間にか零時を過ぎていた。
 
(a)
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(c)
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(e)
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2020年12月6日()  終日曇り空の肌寒い一日
 昨日朝は庭のバケツの水こそ凍っていなかったが、am4:30の外気温は0.4度、室温5.9度(a)。昼近くなって外気温が4度まで上がったが、室温はファンヒーターをガンガン炊いても14度までしか上がらなかった。室内でも肌寒い一日だった。
 早朝の城山稜線からは日光連山は見えなかった(b)。山頂で顔なじみの女性二人と20分間ほど歓談した(c)。彼女たちは早朝の城山でいつも顔をあわすメンバーで、地域の山の会に所属している。でも山頂でこれほど長時間休んだのは実に久しぶりだ。
 am10:00に前日購入したナタデココの缶詰を開けてコーヒーのお供にした(d)。コリコリした硬めの寒天質の感触が、ホシアンズタケを彷彿とさせられた。最近はもはや食にできるほどの量のホシアンズタケは発生しない。ほそぼそと命を繋いでいるのが現状だ。奥日光では絶滅危惧種の筆頭に挙げられるほど少なくなった。
 昼食後の休憩時にはリンゴをお供にした(e)。毎日2〜3個のリンゴを消費してきたので、沢山あったサンフジも残りわずかとなった。夕食は昨夜もまた鍋物(f)。栽培キノコとタラを主体に、白菜と湯葉を次々に加えながら、焼酎を4杯ほど楽しんだ。
 
(a)
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(b)
(b)
(c)
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(d)
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(e)
(e)
(f)
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 今朝もよく冷えている。am3:00時点で外気温−1度、室温4.7度。


2020年12月5日()  霧降高原はすっかり冬景色
 女峰山群の最東峰の赤薙山に登ろうと(a)、昨日am6:20頃自宅を出発した。霧降高原に近づくにつれ道路に積雪が現れた。雪山の装備などしていない。ヤバいなと思いつつ走り、駐車場に着いたのはam7:05頃。舗装面にはほとんど雪はなかった(b)。
 丸山経由で稜線に出て赤薙山に登り、帰路は長い階段のコースを降りるつもりだった。丸山トレッキングコースを20分ほど進んだが(c)、厚く積もった落葉の上に雪が着いて、足元がビショビショに濡れた。足指のレイノー症状がひどくなり歩行に支障が出始めた。そこで車に戻ってカイロで足指を温めた。改めて階段から登ることにした(d)。
 長い長い木製階段を登りながら(e)、途中から派生する分かれ道を見ると雪は大したことがない(f)。そこでそのまま最後まで登りきった(g)。展望台からは山々のシルエットが綺麗だった(h, i)。少し歩くとすぐに小丸山を越え、赤薙山はすぐ先だ(j, k)。
 緩やかな斜面でも雪に覆われると急に歩きにくくなる。北風も強くとても寒かった。標高1,820mあたりから斜面は急になる。この日はスニーカーだったが(l)、この先ではアイゼンが必要だった。一応簡易アイゼンを持っていたが、スニーカーに装着すると下山時に緩みやすく危険だ。山は逃げない。ここで引き返すことにした。
 駐車場に戻ったのはam8:30頃だったが、自車だけで他に車の姿はなかった。スニーカーはじめズボンの膝辺りまでがビショビショだった。車内に入るとホッとした。
 
(a)
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(b)
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(c)
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 市街地近くに降りてから、まだ時間も早いしなんとなく物足りないので、大谷川沿いの丸山公園に車を駐めて、山頂に愛宕神社のある愛宕山(alt 510m)などに登り、温泉の開館時刻am10:00まで時間調整をしてやしおの湯で温まってから帰宅した。


2020年12月4日(金)  茶臼山から毘沙門山へ
 近郊の低山茶臼山から毘沙門山への尾根筋を歩いた(a, b)。前夜ビデオを見ながら零時過ぎまで焼酎を飲んでいて、目が覚めたら既にam5:00を過ぎていた。そこで、早朝散歩は止めて代わりに今市警察署の北側に連なる山を歩くことにした。
 自宅を出たのはam8:00過ぎだった。10Kmほど走って、am8:25頃に今市警察署に隣接するカワチの駐車場に駐めた(c)。今市警察署の前を通り(d)、茶臼山の岸壁を眺めながら国道121号線をのんびり歩いて(e)、登山口に向かった(f)。
 出っぱなからとても急な斜面を登って(g)、まずは見晴らし台へ(h)。上空は一面に白く重苦しい雲に覆われていた。晴れていれば大谷川の向こうに日光だいや川公園が見えるのだが判然としなかった。ここから茶臼山はすぐ近くだ(i)。
 この先、ロープの張られた急斜面や岩の瘠せ尾根などを通過して、四角い巨大なアンテナ(k)のある毘沙門山に登った(j)。急な岩の瘠せ尾根を降り杉林の中の小径を降りると、舗装道路にでた。少し歩くと日光聖苑(l)の前を通る主要県道に合流する。あとはここをひたすら南下すると、車を駐めたカワチに着いた。am11:00を少し回っていた。
 帰路近くのスーパーマーケットで買物をして自宅に着いたのはam11:40頃だった。以前この尾根を歩いたのは2018年の4月だった(雑記2018.4.9)。このときは毘沙門山から先には進まずに、山頂から往路を戻って下山している。
 
(a)
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(c)
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 ドラッグストアのカワチは日光だいや川公園までより若干近く、自宅から10Km弱。また日光聖苑はカミコン(亡妻)の亡骸を荼毘に付したところだ。午前中はずっと重苦しく曇り空が続いていたが、昼過ぎから青空が広がり始めた。
 「たわごと」に「山歩きのこと (3)」をアップした。


2020年12月3日(木)  干柿 第一陣がほぼ完成
 昨日の早朝は久しぶりに田園地帯を歩いて城山に登った。もうすっかり冬景色になっている。朝は西方の日光連山は姿を隠していたが、昼過ぎには見えるようになった。皮にきのこと野菜を詰めて餃子を作り昼飯にした。少し焦がし過ぎたが、美味かった。
 先月11日に干し始めた第一陣の干柿造りが一段落した。道の駅宇都宮のろまんちっく村で購入した蜂谷柿を吊るしたのが11月11日。後日のためにそれ以降の変化を11/20、11/24、11/30、そして収穫した日(12/2a)まで撮影しておいた。
 干柿として販売されているものは、多くがきれいな橙色や橙褐色をしたものが多いが、これまで自分で作ってきた干柿は、みな黒っぽく変色している。どのようなやり方をすれば、あのようなきれいな明るい色の干柿になるのだろうか。
 とりあえず吊るし紐を取り除いて、ひとつひとつラッピングしそれをまとめて保冷パックに入れたのち(12/2b)、冷蔵庫に収めた。表面に白い粉が吹き出してくれると嬉しいが、どうなることやら。ここ数日はそのままにしておこうと思う。
 
(11/11)
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(11/20)
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(11/24)
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(11/30)
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(12/2a)
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(12/2b)
(12/2b)


2020年12月2日(水)  御幸町から鳴虫山:寒かった
 昨日は上鉢石駐車場に車を駐め御幸町から神主山を経て鳴虫山に登り憾満ケ淵に降りて車に戻った(a)。歩き出した時の気温は−2度、手足の指が猛烈に痛かった。
 昨年秋から散歩のメインコースを城山にしたように、今後は月に1〜2度は鳴虫山を歩こうと思う。駐車場から周回しておよそ4時間ほどで歩けるので、日の短い季節でも午前中には帰宅できる。その時々の体調や体力を知るバロメーターになる。
 登頂コースが複数ある場合「優しい道を下りに、厳しい道を登りに」が山歩きの原則とされる。というのは「登りは体力、下りは技術」だからだ。若い頃に甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根を下ったことがあるが、恐ろしかった。この尾根はやはり登り専用だろう。
 鳴虫山の場合、御幸町側からの道が優しい道に、憾満ヶ淵側からの道が厳しい道になる。御幸町側からは全般的に緩やかに徐々に尾根筋に登っていくが、憾満ヶ淵側からは補助ロープに捉まって登る足場の悪い急斜面が多く一気に稜線に上がる。
 昨日は御幸町側から登った(c)。am6:25に自宅を出て上鉢石駐車場にはam6:45に着き、am6:55に歩き出した。駐車場はまだガラガラだった(b)。鳴虫山の頂からは奥日光の連山を見晴らせた(f)。憾満ヶ淵に降りたのはam10:40、車に戻ったのは11:15だった。駐車場はほぼ満車状態だった。
 
(a)
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(b)
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(e)
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(f)
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 やしおの湯で温まって、pm0:30頃に帰宅した。これまで震えながら自宅のシャワーを浴びていたが、ようやく右腕の咬傷もかなり回復し始めたので、絆創膏で覆って風呂に入ることができた。16日ぶりの入浴だ。ようやく生きた心地がした。
 朝出発時にコンビニで昼食用に海苔巻き等を買ったが、早い時刻に下山したので、自宅にで味噌汁を作って昼食とした。「たわごと」に「山歩きのこと (2)」を追加した。


2020年12月1日(火)  泉福寺から猪倉山:ミニサイクリング
 昨日も引き続き朝晩はよく冷え込んだ。早朝散歩に出ると、吐く息が白くあたり一面が霜に覆われていた。泉福寺入口に自転車を駐め猪倉山を歩いてきた(a, d)。
 気温が上がって指のレイノー症状が軽くなるのを待ってam10:00過ぎに自宅を出た。猪倉山が近くに見えるようになると(b)、泉福寺入り口はすぐ近くだ(c)。ここから泉福寺(e)の境内からハイキングコースを歩き(f)、猪倉山の頂までのんびり歩いた。山頂には小さな社(g)と城跡の標識(h)があるだけで、山名の表示板はない。
 すずり石(i)からは市街地の先に日光連山を見渡すことができる(j)。帰路は田川堤に沿って、男体山を眺めながら自転車を走らせた(k)。am12:00頃に帰宅して距離計を見ると走行距離は12.9Kmだった(l)。昼飯はうどんにした。
 
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 今年から12月。これからいよいよ辛く厳しい3ヶ月が始まる。多少経費がかかるが、この冬は手足のレイノー対策と室内暖房を、昨年の冬以上にしっかりやろう。
 このところ色々な果物を間食していたせいか体重が56Kgにまで増えていた。それまでのふだんの52Kgから4Kgも増加している。これはかなりヤバイ。増やすのは簡単だが、減らすのは大変だ。しかし放置すれば成人病間違いなしだ。運動量が少ないとは思えないので、食費を大幅に削ってその分を暖房費に回せば収支トントンになるだろう。


[節目]

2018年5月26日浅井淑子 交通事故に遭い死亡
2017年1月きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発
 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした
2017年1月こけ雑記 再開
2015年6月26日福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居
2012年1月26日埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居
2006年7月こけ雑記 開始 (2011年8月 中断)
2001年4月今日の雑記 開始
2000年11月きのこ雑記 開始

[過去の雑記]

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2012 上中
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2010
2009 中下 中下
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