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2024年1月20日()  厳冬期なのに3月の陽気:毘沙門山
 昨日今市警察署の北方に連なる茶臼山から毘沙門山を歩いた(a)。am9:00頃に茶臼山登山口にある駐車場に車を駐めた(b)。急な斜面を登りきると(c)、展望台にでる(d)。ここからは日光連山(e)ばかりではなく、正面に鶏鳴山の雄姿がある(f)。
 茶臼山は細長い台地状でどこが山頂なのか分かりにくい(g, q)。TVアンテナのある峰(h, p)を過ぎ、鞍部からロープの張られた急斜面を登りきると(i, j)、巨大な平面反射板(k)のある毘沙門山の頂に達する(l, p)。高原山のよい展望所になっている。
 毘沙門山は山頂直下が急峻で痩せた岩尾根になっている。積雪や凍結のある時は、とりわけ慎重さが求められる。岩場を下り(m)、杉植林地を過ぎると(n)、県道の日光聖苑近くに出る(o)。この先は今歩いてきた山々を眺めながら(p, q)車に戻った(r)。
 この日は終日気温が高く、とても1月後半とは思えないような暖かな一日だった。
 
(a)
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(b)
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(c)
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(d)
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(f)
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(p)
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(q)
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(r)
(r)
 赤飯の握飯を持って歩いたが、帰宅後に味噌汁を添えて昼食にした。梅干しの左側は切干大根の甘酢漬け。これは亡妻が2018年に購入したものだ。昨日はじめて封を切って、甘酢漬けにしたものだ。6年前のものだが、期待通りに漬かって、美味かった。


2024年1月19日(金)  山頂まで登れなくなった:城山
 昨日は前日とは打って変わって、1月とは思えないような暖かな日になった。am7:40頃散歩に出た。このとき玄関柱の温度計は−1℃(a)。前日より6℃も高かった。自宅前の歩道にはわずかに雪が残り凍り付いていた(b)。am8:40頃城山の頂に着くと4℃にもなっていた(c, d)。空には雲が多かったが、日光連山ははっきり見えていた(e)。
 城山に新たな事態が生じた。二番目の急斜面を上がって鳥居のある小ピークのすぐ先から、山頂までの道が新たに立入禁止になった。見ている前で標識の取り付け作業が行われた(f, g)。いよいよ山頂直下の伐採が始まったらしい(h)。
 城山常連の人たちと、伐採作業をしばし眺めてしまった。遊歩道のすぐ脇まで重機が迫っていた(i, j)。登山道の入口にも、新たに立入禁止の標識を設置するところだった(k)。自宅に戻る途中から城山を見ると、作業中の重機が見え(l)、伐採中の音も聞こえてきた。山頂への立入禁止は2週間ほどとのこと。この間は城山には登れない。
 [参考:重機の動き] 動画(1) 24秒、動画(2) 55秒
 
(a)
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(b)
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(c)
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(d)
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(e)
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(f)
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(g)
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(i)
(i)
(j)
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(k)
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 日中は3月半ばの気温になり、日陰の歩道に残っていた雪はすっかり消えた。


2024年1月18日(木)  腰までのラッセルが辛かった:半月山
 昨日中禅寺湖畔の半月山に登った(a)。am5:20の気温は屋外−7.1℃/室内−0.1℃だった(b)。am8:15頃に出発準備に取り掛かった。この時玄関柱の温度計は−5℃だった。通勤混雑が終わる頃出発して、am9:20頃に歌が浜駐車場に着いた(d)。
 快晴無風で湖面はとても静かで、新雪に包まれた男体山、日光白根山(e)、社山(f)が美しかった。出発時はどこに登るか決めていなかった。この時点で半月山に決めた。湖畔の遊歩道は除雪車の跡があるだけで、誰一人歩いた跡はなかった(g)。
 狸窪(むじなくぼ)(h)から半月峠に向かった。前日の新雪が厚く積もっていた(i)。下部では踝まで潜る程度だったが、途中から膝まで潜り、進むのに意外と時間がかかった。車にワカンを残して歩き出したことを後悔した。
 
(a)
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(b)
(b)
(c)
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(i)
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(j)
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(k)
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(l)
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 半月峠に出ると日向のため積雪は20〜30cmに減った(j)。ここから深い雪の急斜面が始まり(k)、途中から腰までのラッセルを強いられることになった。高々百メートル前後だったが、この部分だけで1時間ほどかかった。とてもしんどかった。
 休み休みラッセルを続けた。振り返ると社山(l)、皇海山(m)、富士山(n)が見え、元気づけられた。下を眺めると、中禅寺湖の向こうに男体山が美しかった(o)。展望台のベンチに雪はなかった。辛いラッセルで息が上がったので、ここで一息ついた(p)。
 眺望できる山々の看板に記された山々をすべて確認することができた(q)。すべて確認できたのは初めてだ。望遠鏡を覗くと、二荒山神社の大鳥居周辺(r)や戦場ヶ原の開拓農家(s)もよくわかった。半月山の頂では眺望は全くきかない(t)。
 
(m)
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(o)
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(p)
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(q)
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(r)
(s)
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(t)
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(u)
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(v)
(v)
(w)
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(x)
(x)
 この日は何度もいろいろな場所で鹿の群れに出会った。5m位まで近づいても一向に逃げる気配がなかった(u, v)。腰まで潜る深い雪の急斜面を慎重に下って峠に出たときはほっとした。遊歩道に下りたところで、ストックをたたみ、簡易アイゼンとともにリュックに固定した(w)。駐車場に戻る頃にはよく日が当たり暖かさを感じた(x)。いろは坂を下りて市営温泉やしおの湯でたっぷり温まってから帰宅した。


2024年1月17日(水)  午前中いっぱい淡い雪
 昨日の朝am7:00頃一階和室から外を見ると雪が降っていた(a)。玄関柱の寒暖計は−4℃を示していた(b)。1時間ほどすると雪が小降りになったので散歩に出た。気温が低いため衣類が濡れる恐れはないので傘は持たなかった。結果として城山には登らず、平地だけをおよそ1時間、4〜5Kmほど歩いた(c)。
 外に出ると車道にはほとんど雪はなく、歩道だけがわずかに白かった(d)。雪は強くなったり弱くなったりしながら降り続いていた。城山登山口の駐車場には一台の車もなかった(e)。積雪量が少ないので、畦道からみた城山は白くはなかった(f)。
 午後には雪はやみ、青空が急激に広がってきた。夕方には、わずかに積もった雪は日陰以外は殆ど消えた。それでも日光連山や高原山は相変わらず雪雲に覆われてその姿は見えなかった。室内は日中もとても寒かった。専ら炬燵に入って大相撲観戦。
 
(a)
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(b)
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(c)
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(d)
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(e)
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(f)
(f)
 今朝もよく冷えている。am4:30起床時に2階寝室は−2℃で、襟元が凍っていた。1階はam6:00に屋外−7℃/室内−0.1℃。手足の指先が猛烈に痛い。
 山地は昨日かなりの降雪があったので、今日は奥日光を歩こうと思う。動けば体温は上がり、フレイル防止にもなり、暖房費も節約できる。


2024年1月16日(火)  よく見れば身近に見えていた:馴染の山々
 昨日は早朝こそ気温が低かったが、よく晴れて日中は暖かくなった。少し遅めに散歩に出た。自宅前の市道からは女峰山がくっきりと見えていた。1月半ばとは思えないほど雪がない(a)。この写真だけ見せられたら、11月頃だと思ってしまう。
 城山の稜線上から見える女峰山群はよく見れば、馴染の場所がよくわかる。昨日は霧降高原のキスゲ平と大山に注視してみた(b)。単眼鏡ごしに撮影した(c, d)。キスゲ平の駐車場から延びる長い木製階段と終点の展望台がはっきり識別できた(b, c)。
 昨年12月に3回も登った霧降高原の大山も見えていた(b, d)。これまではこの草地の緩やかな丘陵が大山だとは全く認識していなかった。
 JR日光線の線路沿いの市道からは、特徴的な形の山がいつも見えていた。篠井連峰の飯盛山だろうと思っていた。地図で確認すると間違いない(e, f)。
 これらの山々は登ることがなかったら、網膜には写っていても、全く見えていなかったろう。ここには掲げなかったが、城山からは高原山の八海山神社や遠く那須の茶臼岳などもはっきりと識別できる。
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
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(d)
(d)
(e)
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(f)
(f)
 日曜日から大相撲が始まった。昨日もそうだが、pm4:00〜6:00頃は炬燵に入ってぼんやりと大相撲中継を眺めて過ごした。そのあとは読書も勉強もせずに、晩酌とお決まりのコースになっている。この2日間はpm9:00〜10:00頃には床に就いた。


2024年1月15日(月)  雪山初心者に最適の山:葛老山
 湯西川道の駅の裏に聳える葛老山に登った(a)。朝8:00自宅を出る時、玄関柱の寒暖計は−6℃を示していた(b)。am9:10頃湯西川道の駅に着いた(c)。気温は−4℃だった。途中の会津西街道は除雪されてはいたが、日陰は凍っていた。
 靴を履き替え、スパッツを付けて登り始めた。前日の雪が遊歩道を覆っていた。最初はしばらく急な木製階段が続く(d)。やがて緩やかなつづら折りの道になる(e)。気持ちの良い新雪だ。積雪は10〜20cm程だった。かっぱ七福神の木像は例年なら首のあたりまで雪で埋まっている。しかし今年は雪上にすべて出ていた(f)。
 途中の東屋のあたりから次第に雪は深くなり(g)、場所によっては積雪40cm以上になり、しばしば脛のあたりまで潜った。山頂近くで5〜6人のパーティーとすれ違った。山頂台地は明るく開け、積雪は10cm程度だった(h)。山頂の東屋でベンチに腰かけて昼食をとった(i)。全般的に快晴無風の中、気持ちの良い雪上散策になった。
 
(a)
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(b)
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(c)
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(i)
(i)
(j)
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(k)
(k)
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 下山時日向はとても暖かく感じた。のんびり歩いてpm1:20頃道の駅に戻り(j)、市営温泉で体を温めた(k, l)。この温泉に入るのは初めてだった。
 この山は痩せ尾根も急な岩場もなく、山頂までの道はとても緩やかだ。厳冬期でも積雪は比較的少ない。また雪崩の恐れも少ない。雪山初心者にはうってつけの山だ。


2024年1月14日()  ザゼンソウが顔を出した:龍王峡
 昨日朝7:30散歩に出たとき玄関前の寒暖計は−4℃(a)。青空が広がりam8:20に城山の頂では日光連山がよく映え、東屋の柱の温度計は1℃を示していた(b)。
 散歩から戻ると龍王峡に行った。北面の遊歩道にわずかに残雪が残るのみで、板敷の道が凍り付いていた(c)。梅雨期にクリンソウが群生する湿地は凍り付いていた(d)。ムササビ橋近くの湿地では、早くもザゼンソウが顔を出し始めていた(e〜g)。
 南面の遊歩道では雪はすっかり消えていた(h)。昨年のコウボウフデがすっかり乾燥し、ミイラ化が始まっていた(i, j)。やがて空は曇りはじめた。
 龍王峡を歩いてすっかり冷え切ったので、鬼怒川公園岩風呂(k)で十分に温まってから帰宅した。途中から雪が舞い始めていた。帰宅して昼飯を食べていると、強い北風とともに雪が激しく降り出した(l)。しかしほとんど積もることなく、2時間ほどすると止んだ。さらに激しい北風がうなりをあげてふき、家がガタガタ音を立てた。
 
(a)
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(g)
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(i)
(i)
(j)
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(k)
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 今朝はまた一段と冷えている。am4:00頃起床すると、蒲団の襟元が凍っていた。1階和室は0℃だったが、ファンヒーターを1時間焚くとようやく6.6℃まで上がった。


2024年1月13日()  ワカンは不要だった:山王峠
 奥日光の光徳から山王峠を巡る雪上を散策した(a)。am4:00起床した、この時の温度は外気温−6.8℃/室温0.4℃だった(b)。奥日光を歩くことにして、昼飯の米を炊いた。am7:30頃出発の準備を始めた。玄関柱の寒暖計は−7.5℃を示していた(c)。
 社山に登ろうかと思ったが風が強そうだ。そこで目的地を山王峠にした。例年なら今の時期ここまで行くには、スノーシューかワカンが必要だ。しかし今年は積雪が極端に少ないので、おそらく不要だろうと思った。しかし念のために車に積んだ。
 光徳駐車場にam9:00頃に着くと、予測通り雪は極端に少ない。気温が−3℃まで上がっていた。ワカンは車に残して、簡易チェーンだけ装着してam9:10頃歩き出した(d)。光徳園地の周辺も、まるで残雪の残った春先のようだ(e, f)。
 
(a)
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(b)
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(c)
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(d)
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(e)
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(f)
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 途中から雪は深くなってきたが(g)、山王峠(h)でも積雪20〜30cmほどしかない。切込湖刈込湖に向かうには北面の急斜面を下りる。雪は深くなる。誰も歩いた跡はなかった(i)。足を踏み込むと脛まで潜った(j)。例年なら膝から腰まで潜るところだ。
 もとより切込湖方面まで歩くつもりはないので、日当たりのよい山王林道をのんびり下ることにしていた。人の足跡はなく(k)、小動物の足跡だけが友だ(l)。カーブにはミラーがある。面白半分に自分の写った姿を撮影した(m, n)。
 光徳園地まで下りたところで(o)、東屋で昼食にした(p)。今回は白米の梅干し入り握りではなく、山菜飯の握りにした(q)。駐車場に戻るとわずかに車が増えていた(r)。強い北風が吹き時折小雪が舞ったが、日向は気温が上がり暖かかった。
 
(g)
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 下りのいろは坂では、珍しく前方に車がいなかった。スピードを落とさず快適に下ることができた。ゴールの馬返しまでの所要時間はふだんの1/3ほどだった。しかし、助手席や後部座席の荷物は殆ど床に落ちていた。市営温泉やしおの湯で温まった。


2024年1月12日(金)  終日気温が低く寒かった:篠井連峰
 こどものもり公園から篠井連峰を歩いた(a)。通勤混雑が終わったam9:00頃自宅を出た。早朝6:00には−5℃だったが、玄関柱の温度計は−1℃まで上がっていた(b)。
 am9:15頃駐車場に着いた(c)。冒険活動センター前から直接榛名山に登るコースを選んだ(d)。登山道に入り(e)前方上に目をやると小学生の大集団の姿があった(f)。この先急な岩場の尾根になる。案の定ここで集団はもたついて(g)、20分ほど待つことになった。 途中のやや広い岩棚で先に行かせてもらうことができた。
 榛名山(h)、男山(i)、本山(j)、飯盛山(k)と歩いて、昼の12:30頃に再び車に戻った。この山々は標高こそ低いが、それぞれの山の上部と尾根筋は急な岩場が続き、慎重さが求められる。この日は曇りで午前中ずっと気温2〜4℃で寒かった。
 
(a)
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(j)
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 寒さで指の自由が利かなかったので、車で温まってから車中で昼食にした(l)。午後2時過ぎ頃から時折青空も顔を出した、終日寒い一日だった。
 今朝もまた一段と冷えている。am4:00時点で屋外−8℃/室内0℃。昨日より低い。


2024年1月11日(木)  朝の散歩は鶏岳:鳥居登山口から
 昨日の朝は塩谷町の鶏岳に登った(a)。登山口に向かう車からは、高原山を背に鶏岳が鮮明に見えた(b)。鳥居のある昔からの登山口に車を駐めた(c)。猪防御柵(d)を開いて下に降りると、そこは川がある。最初の難関だ。不安定な転石を伝って対岸に渡る(e)。ここで転倒して濡れネズミになるハイカーが後を絶たなかった。
 観音堂前を通って(f)、二合目を経て(g)、林道に出る(h)。多くの人が、転石伝いの川渡り避けてここから歩き始める。今ではここが実質的な登山口だ。それもあって鳥居から林道までの参道(遊歩道)は荒れたままだ。林道から三合目はすぐだ(i)。
 
(a)
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(e)
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(f)
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(h)
(h)
(i)
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(j)
(j)
(k)
(k)
(l)
(l)
 山頂台地に上がるには岩のゴロゴロした急斜面を登る(j, k)。山頂台地の北面にはわずかに雪が残っていた(l)。山頂(m)の祠にはミカンと散髪用ハサミが添えられていた(n)。葉を落とした木々の間からは高原山が見える(o)。西面は開けていて日光連山を展望できる(p)。双眼鏡で見ると霧降高原の長い木製階段などを判別できる(q)。
 林道登山口まで下りたところで、歩行距離があまりにも短いので、林道を歩いて車に戻った。日陰では路面が凍り付いていてとてもよく滑った(r)。
 
(m)
(m)
(n)
(n)
(o)
(o)
(p)
(p)
(q)
(q)
(r)
(r)
 am11:00頃には帰宅した。午後になると強い北風が吹き始めた。ファンヒーターをガンガン焚いても、なかなか室温があがらず寒い一日になった。


[節目]

2021年6月20日庚申山にて遭難:自力で生還 (たわごと 2022年6月15日)
2018年5月26日浅井淑子 交通事故に遭い死亡
2017年1月きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発
 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした
2017年1月こけ雑記 再開
2015年6月26日福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居
2012年1月26日埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居
2006年7月こけ雑記 開始 (2011年8月 中断)
2001年4月今日の雑記 開始
2000年11月きのこ雑記 開始

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