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昨日と一昨日の二日間は、四国で採集したコケと地衣の標本整理、写真と標本番号の照合に精一杯で、他の作業はほとんどできなかった。採集点数が150点を超えていて、撮影した画像も各々について3〜10枚ほどある。小さくて似通ったコケでは、標本と画像との対応をつけるのに時間がかかった。きのこの標本と写真との照合に比較すると数倍の時間がかかった。
アセタケ属は図鑑との柄合わせだけでは種名にまではたどり着けないきのこの典型なのだろう。近郊の雑木林にでていたアセタケを覗いて遊んだ。胞子はインゲン豆形をして平滑なのでアセタケ亜属ということになる(c)。ヒダを一枚スライドグラスに寝かせて縁をみたところ、やたらに水を含んで縁の様子がよく分からない。何度試みても同じだったので、封入液をKOHに変えて軽く押しつぶしてみた。縁には薄膜で棍棒状〜のう状のシスチジアが密集していた(d)。ザラツキトマヤタケ節のきのこということになる。ヒダの断面を切り出しても縁の様子はやはりよく分からない(e)。側シスチジアがないことははっきりした(e, f)。
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ヒダの一部をフロキシンで染めてKOHで封入して押しつぶした。縁シスチジアは便腹状〜棍棒状をしたものが多く(g)、担子器の基部にはクランプをもったものと持たないものがある(h)。カサ表皮をカサ頂部とカサ縁で(i, j)、柄の表皮を上部と下部でみた(k, l)。カサシスチジアは無く、柄の上部には縁シスチジアとよく似たものがある。オオキヌハダトマヤタケかその近縁種なのだろう。 |
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愛媛フォレーの観察日(10/10)、および徳島を発った15日までの訪問探索地をメモしておこう。愛媛フォレーでは、実行委員会の設定した観察コースには加わらず、別行動をとり高瀑渓谷など石鎚山北面の沢に入った(a, b)。ここではユキラッパタケなど10数点のきのこを採取した。 愛媛フォレー終了後には高知県側に移動し、11日は本川村の木の根三里(c, d)、12日は愛媛県側の面河渓(e, f)、高知県の安居渓谷(g, h)等を歩いた。面河渓では遊歩道を最奥の崩壊地点まで進んで(f)、キショウゲンジをはじめ多くのきのこに出会った。 13日、四国カルストのカレンフェルトでは牛がのんびりと草を食んでいた(i, j)。しかし、カルスト台地の大半は牧場となっていて、石灰岩やドリーネには近づけない。拠点とした宿の四万十源流センター(k)では庭の稲葉洞で遊んだ(l, m)。入り口から50mほどは照明があるが、その先は多数の支洞に別れ真っ暗だ。大形の懐中電灯を頼りに少し探索した。非常に美しい支洞もあり(m)、天井にはコウモリの姿がみられた(n)。四万十川の源流点もセンターから近い。 |
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14日別府峡(べふきょう)では美しい渓谷美を堪能しながらきのこを採取した(o)。15日は徳島県に入り、剣山スーパー林道に入ったが、通行止めで同じ径をすごすごと戻った(p)。高の瀬峡は石灰岩の渓谷で、道路から100mほど下の水流に降りる径筋は、両側がすべて石灰岩塊だった(q)。にこにこして石灰岩生のきのこを探したが見つからなかった。夕方になって、徳島の山奥で発見された恐竜の化石を訪ねて崩壊寸前の径を走ったのが四国最後の探索となった(r)。 |
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愛媛フォレーに出発する前に採取したドウシンタケ(a)についてのメモ。内被膜の残滓が付着しているのだろうか、ヒダが褐色に縁取りされている(b, c)。胞子は大きな楕円形で(d)、非アミロイド(e)。ヒダ実質は散開型(f, g)。カサ表皮は細い菌糸が平行に走っている(h)。 一般にテングタケの仲間にはクランプを持った種は少ない。ベニテングタケなど一部のテングタケ属では、カサ表皮の菌糸に時としてクランプがみられる。このドウシンタケには、カサ表皮の菌糸に高い頻度でクランプがみられた(i)。しかし、カサ肉やヒダ・柄の組織にはクランプは見あたらなかった。以前観察したドウシンタケのカサ表皮にはクランプはなかったように記憶している。 |
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今月10日から始まった柏崎市立博物館の秋季特別展「キノコの魅力再発見」が好評だ。特別展は11月14日まで。展示もさることながら、注目したいのが沢田芙美子画伯のキノコ絵だ。菌類懇話会の初代代表でもあった沢田画伯は、長年きのこ絵を描いてこられたが諸般の事情からキノコ画との決別を決意され、自らの全作品を柏崎市立博物館にすべて寄贈された。今週末の土曜日に、沢田画伯の絵とご本人に会うために柏崎まで行ってくることにした。 | |||||||||||
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昨日、山梨県北杜市の山では、ウラベニホテイシメジ、ハタケシメジ、アカモミタケなどの食菌の他、ベニタケ類、テングタケ類がよく出ていた。全体的に乾燥気味だったのか、きのこの種類と発生量こそ多かったが、みずみずしい新鮮な個体は比較的少なかった。 |
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まさかと思ったのはニンギョウタケの群落だ(a, b)。例年なら山梨県では8月後半から9月初めの頃によく見られる。今年はその時期に全く姿が見られず、10月半ばになってようやく出てきた。さらに、ケロウジの仲間が異常に多数発生し、到る処で大きな菌輪をつくっていた(c, d)。オオムラサキアンズタケは大きくなれず、小さなままで終わってしまいそうだ(e)。なかにはコウボウフデのような姿をしたものもあった(f)。 |
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愛媛フォレー(日本菌学会 菌類観察会)に参加した後、昨日まで四国に残って、石灰岩地めぐりとコケの観察を行なっていた。石灰岩地は主に西の四国カルストと東の剣山南面の渓を歩いた。きのこに関しては成果はなかった。西の石灰岩地めぐりの拠点として四万十源流センターを利用し、開通したばかりのネット環境から13日、14日の雑記をアップしている。 四万十川の源流は観光地となっていて、石碑(a)の前から20分ほど歩くと「源流点」に到達する(c, d)。軽いピクニックだ。途中の杉林にはスギヒラタケが到る処にみられた(b)。源流点の木碑からさらに10分ほど不入山登山道を登ると、水流は完全に涸れ、岩の間から水がしみ出していた(e)。そこでは流木からナラタケがでていた(f)。 |
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昨夜遅く徳島を発ち、本四架橋の淡路島ルートをへて関西圏・中京圏を抜け、中央道経由に入り、早朝山梨県北杜市の山を歩いてみた。周辺はすっかり乾燥していて乾燥標本がいたるところに立っていた。帰宅したのは昼の1:30頃だった。とにかく眠かった。 | |||||||
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今日は四国カルスト周辺の林道を走り回った。コケの収穫はほとんどなし。きのこもスギヒラタケばかりがやたらに目立つが、それ以外のきのこは意外と少なかった。今夜も四万十源流センター「せいらん荘」にもう一泊。ここ数日、何となく印象に残ったきのこがいくつかある。共通しているのは「まさかこんな環境に!」ということだった。
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今治の海浜にはドングリタケがたくさん出ていた。大きなものは径35mmほどあった。遠州灘や外房のドングリタケと比較すると、扁平で径がとても大きい。オオシロカラカサタケも砂地によく出ていた。高知県の道の駅では、コンクリートからササクレヒトヨタケが、砂利の中からヌメリイグチが多数出ていた。さらに面河渓の遊歩道には足の長いクチベニタケやキショウゲンジが出ていた。 |
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愛媛フォレーではきのこはほとんど採集しなかった。いろいろあって同定会場にどのようなきのこが並んでいたのかはほとんどみられなかったが、多くのきのこが並んでいたようだ。外を歩いていて、初夏のきのこと晩秋のきのこが共存しているところが興味深かった。フォレーでは、以前から会いたかった人や、思いがけない人たちに出会えて、楽しいひと時を過ごせた。 愛媛フォレーの後、高知県の安居渓谷「宝来荘」に宿を取って渓谷に遊んだ。そして、昨夜は四万十源流センター「せいらんの里」に宿を取った。両宿ともほかに宿泊客はなく、完全に貸し切り状態。宿の主夫妻はとても気持ちのよい人たちで、歓待してくれた。再び四国を訪れる機会があれば、ぜひともまた泊まりたい宿だ。 今回の四国では、フォレーの観察日も、そのあとももっぱら渓谷ばかり歩いている。採集したきのこは、胞子紋をとる一方で、片端から乾燥機にかけた。夜中じゅう乾燥機の音が頭の上でゴーゴー音を立てていたが、外の川の音にかき消されて、さほど気にならなかった。 四万十川源流点近くに位置する「せいらんの里」では2週間ほど前にインターネットが開通したばかりだとのこと。手持ちのノートパソコンに画像処理をさせるのは荷が重い。とりあえず文字による近況メモをアップしておくことにした。宿の庭には町指定天然記念物となっている鍾乳洞がある。今日は四国カルストを訪ね、今夜も「せいらんの里」に泊まる。 |
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