Top | since 2001/04/24 | back |
|
|||||||||||||
昨日の続き。早朝サムネイルを作った。カバイロタケの胞子以外のミクロの姿を取り上げた。ヒダを一枚寝かせて縁をみると、白色で塊状になったものがみえる(g, h)。そのまま、高倍率ルーペでヒダを見ていると、小さな4つの丸い粒が四角形に並んでいる姿が目に入ってきた(i)。担子器に着いた胞子が見えているらしい。そのまま顕微鏡に載せてみると、何となくそれらしい姿が見えた(j)。何も封入液を入れていないのでピントが今ひとつ甘くなる。
|
|||||||||||||
|
|||||||||||||
久しぶりにヒダの横断面を切り出した(k)。側シスチジアはなさそうだ。縁をみると縁シスチジアのようなものが見える(l)。封入液を水道水からKOHにしてフロキシンを加えるとはっきりした(m)。軽く押しつぶすと縁シスチジアがバラけた(n)。油浸100倍対物レンズにするとその姿を正確に捉えることができる(o)。担子器の基部にクランプは無い(p)。カサ表皮を見ようと横断面を切り出して水道水で封入したがいまひとつはっきりしない(q)。水道水をKOHにかえるとはっきりした(r)。 | |||||||||||||
|
|||||||
カバイロタケを観察して遊んだ(a〜d)。朝アップしようと思っていたが、野暮用のために放置状態になっていた。画像を取り込んだりサムネイルを作っている暇がない。そこで、二回に分けてアップすることにした。きのこの並んだ画像(c, d)はいずれもスキャナーで取り込んだもので、カメラを使って撮影したものではない(雑記2009.12.31)。光量の調整を失敗したため、一部に白飛びが出てしまったが、けっこう大きなきのこでも何とか使えるものだ。
|
|||||||
|
|||||||
ルーペでヒダをみると縁には白色でキラキラ光るものが多量についているように見える(e)。これは糸状〜紐状の姿をし、ヒダの縁に束生しているシスチジアの群れだ。胞子には発芽孔があり、画像(f)にも発芽孔を上に向けて縦になった胞子が写っている。発芽孔は担子小柄に着く端とは反対側の頂端に開いている。 | |||||||
|
|||||||
午前中に久しぶりにさいたま市の見沼公園に行ってみた。風もなく暖かな休日ということもあり、家族連れが多数訪れていて駐車場が満杯になっていた。池の周りもすっかり晩秋の景色となり(a)、水面には水鳥がのどかに浮かんでいる。 遊歩道脇の草むらに目を向けると、カサを虫に喰われたようなシロフクロタケがでていた(b)。周辺には既に役割を終えた子実体がいくつも残っていた。深く積もった落ち葉をどけるとカバイロタケが次々に顔を出した(c)。 |
|||||||
|
|||||||
公園の隅にうずたかく帯状に堆積したウッドチップ帯には広範囲にヒトヨタケ属やヒメヒガサヒトヨタケ属の脆いきのこが群生していた(c)。近寄ると、大きな方ではネナガノヒトヨタケあるいはバフンヒトヨタケ、ザラエノヒトヨタケなど複数種がいたる処に束生していた(e)。小さいほうではクズヒトヨタケらしききのこが密集していた(f)。単一種ではないのが興味深かった。 | |||||||
|
||
風呂場のタイル貼りが一段落したと思ったら、昨日は終日室内の壁や風呂場、トイレの壁を塗り替える作業が行われた。塗り替えに先立って、家具類をどけて他の部屋に避難させる。そして作業はまず養生から始まった。広範囲に養生シートがかけられるので、室内での移動にはかなりの制約が加わる。作業中は立ち会いが必要とされ外出もままならない。明日までじっと我慢。 手元にある Tulostoma 標本数百点を同定して公の収蔵庫に送り出さないことには、部屋のスペースが不足して、地衣標本などを保管する場所が確保できない。これまた、各標本1点ごとに子実体が5〜50個ほどあって面倒だ。このひとつひとつについて、少なくとも油浸100倍レンズで胞子を全て確認する面倒な作業が待っている。きのこの少ない冬場に、あきらめてじっと忍耐のこの作業をしなくてはなるまい。あ〜ぁ、今からため息が出てくる。 |
||
|
||
先日の続きになるが、ジュディス・E・ウィンストン[著] 馬渡俊輔・柁原 宏[訳]『種を記載する』の中で紹介される『Wheelock's Latin』はかなり高度なラテン語入門書だ。例文や練習問題にはChapter1, Chapter2 といった早い段階から Cicero や Seneca などの原文がふんだんに取り上げられる。まだ1/3ほどしか読んでいないが非常に良書だと思う。練習問題には解答例がないが、世界各国で広く教科書として使われているため、日本語も含めて練習問題の解答例がネット上にいくつもある(一例1、一例2)。いずれじっくりと読んでみたい。 小林標『独習者のための楽しく学ぶラテン語』は前述書の日本語版を意図して書き下ろされたような書籍。これも早い段階からキケロなど原典から例文をとりあげている。非常に格調高い優れた教科書だが、独習者にとってはかなりハードルが高い。例文には日本語訳がなく、練習問題には解答例がない。同じ筆者による『ラテン語の世界』(2006, 中公新書)は楽しく読めるが、初心者が独力でおしまいまで読み通すのにはかなりの忍耐と努力が必要そうだ。 大西英文『はじめてのラテン語』(1997, 講談社現代新書)は安価に入手できて(940円)、ラテン語全般にわたっての優れた入門書になっている。たかだか300ページ以下の新書でここまで濃い内容には正直驚いた。新書だと思って侮ってかかるとえらいしっぺ返しを食らう。 有田潤『初級ラテン語入門』で充分理解できないところは泉井久之助『ラテン広文典』で解決している。この3ヶ月間に副読本として目を通した入門書は上記3〜4点。他にも優れた入門書がいくつもあるらしい。退屈なラテン語入門の教科書への感想はこれでおしまい。 |
||
|
||
風呂場の壁のタイル張り、台所等の壁の塗り替えといった工事が始まった。コンクリートの破り作業にともなう振動で、顕微鏡写真はみなブレてしまう。しばしは顕微鏡もお休みだ。そこで、手元に残っていたきのこの胞子紋とサンプルは処分した。コケ標本もまだ80点ほど手つかずの状態で残っているが、これもしばらくは肉眼的観察主体にして顕微鏡撮影はお預けだ。なんといっても風呂を使えないのが痛い。何年ぶりかで銭湯を利用することになる。 | ||
|
|||||||||||||
先週近郊のクヌギ林で腐朽材からでていたチチタケ属を持ち帰っていた(a, b)。チョウジチチタケのように見えるが、紙袋に入れたまま冷蔵庫に放置していたら、たった数日ですっかり乾燥しきって、硬くなり小さくなっていた。鼻を近づけてみたが臭いはよくわからない。 胞子紋だけは採取した当日にカバーグラスにとってあった。メルツァー液で封入してみた(c)。ヒダ表面は白色粉にすっかり被われていた。縁をみるためヒダを一枚取り外そうとしたところ、ピンセットでつまむと簡単に崩れてしまった。でもどうやら多数の縁シスチジアがありそうだ(e)。 だましだましヒダを切り出して(f)、断面の先をみると何となくシスチジアがみえるがいまひとつはっきりしない。そこでフロキシンを加えてみると、縁にも側にもシスチジアがある(h, i)。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
縁シスチジアも側シスチジアもほぼ同形同大のようだ(j)。担子器の基部にクランプはない(k)。クシャクシャになったせいでもなかろうが、カサ表皮の様子がよく分からなくなっている(l)。ヒダの横断面やカサ表皮の様子は生きのこからのものがわかりやすい(雑記2010.8.14) | |||||||||||||
|
||
勝本謙『菌学ラテン語と命名法』では冒頭36ページの中に、名詞・形容詞・代名詞・数詞・造語法など、ラテン文法のエッセンスがコンパクトにまとめられている。動詞は基本的な説明だけにとどめ、そのぶん菌学関連の語彙に最大限ページを割いている。参考文献には、ラテン語の学習書として呉茂一『ラテン語入門』(1952, 岩波書店, 311pp.)が掲載されているが、この書は独習用の入門書としてはちょっと難しい(大昔、学生時代に教科書として使わされた)。 岩波版『ラテン語入門』が大学生のための入門書なら、小学生のための入門書が有田潤『初級ラテン語入門』だ。これは200ページほどの教科書で、達成感が得られやすいように、全体が34課に分けられ同じ語彙や例文が何度も繰り返し現れる。細かい文法事項は省略し、第27課で初めて登場する接続法も、三人称だけに限定してサラッと流してある(種の記載には不要)。そして接続法の活用諸型を覚えなくても読了できるよう工夫されている。 きのこの分類に興味があって、和名と併せて学名を覚えることができる人なら、『菌学ラテン語と命名法』の冒頭の内容は、2〜3週間もあれば楽々修得できるだろう。また有田潤『初級ラテン語入門』なら1〜2ヶ月もあれば読了できるだろう。しかし、何度観察してもそのきのこの和名すらろくに覚えられないわが身には、望むべくもない夢のような話だ。今日は午後から筑波へ。 |
||
|
||
遅々として学習が進まないラテン語だが、ようやく第27課 (有田潤『初級ラテン語入門』) まで到達した(雑記2010.11.3、同2010.9.27)。これまでは、動詞なら直説法完了能動といったように、一つずつ取り上げられてきた。ところが、この課では、三人称の単数・複数だけに限定していはいるものの、接続法の全時制が一気に登場する。それぞれ能動と受動で8パターンになる。そして、この課で動詞の活用形の提示は最後となる。残りの七課は接続法の用法と文体論だ。 まだ直説法や命令法の全活用を完全には覚えきれていない。そこであきらめて、登場する全ての動詞について、ひとつひとつ能動と受動について、直説法と接続法の全活用、命令法、不定詞類などを、お経よろしく何度も唱えながら、もたもたと読み進めることになった。 記憶が曖昧な場合はすごすごと以前の課にもどる。この教科書を年内に少なくとも二度は繰り返したいが、どこまでできることやらはなはだ心許ない。10月後半から読みはじめた Wheelock's Latin (6th. Ed.) も停滞気味で、まだ160ページあたりをウロウロしている。こちらは暗唱するのはやめて理解できたら先に進む方式でやってきたが、残りが240ページほどあって年内に読了する目標はすでに完全に赤信号だ。 |
||
|