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ついに頭にきた:東電と政府の隠蔽体質 | |
昨日までで一週間にわたった絶食療法期間が終了した。今朝の朝食は具のほとんど入っていない味噌汁一杯。非常に美味かった。昼に食べた愛媛の柑橘類はことのほか美味かった。
これまでは煮えくりかえるほど腹が立ってもなるべく押さえて表明しないようにしてきたが、ついに我慢の緒が切れた。東電、アベ政権、マスコミ。本来この場に書くべき内容ではないが、地元でしかわからないものもある。黙っているわけにもいかなくなった。 |
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昨日の続き:沢尻の大ヒノキ | |||||||
メモを残すかどうか迷ったが、やはり記録として残しておくことにした。昨日の続きということになる。駐車した場所から磯前神社へは30〜40cmの積雪があり(a)、長靴で歩いても何度も深く潜り込んでしまい、靴の中にかなりの雪が入り込んだ。狭いように見えても境内には7〜8人が立てる広さがある(b)。神社からの帰路、民家の庭の南斜面にはいたるところで福寿草がみられた。 以前から気になっていた「沢尻の大ヒノキ」に寄ってみた。遠目にはさほど大きく見えなかったが(c)、近づいてみると足下付近の幹周りは15m以上あって(e)、枝は縦横に入り組んでいた(f)。県の天然記念物だろうとおもっていたのだが、これは国の天然記念物だった(d)。 |
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今日は絶食開始から6日目。予定では明日の木曜日まで。今回の絶食療法期間は一週間。終日何も食べずに水分(白湯、緑茶、紅茶など)だけの生活だが、つくづくと「食は文化、食は習慣」ということを感じる。身体が軽くなって山歩きが楽になってきた。 | |||||||
石灰露岩上に立つ社 | |||||||
田村市常葉(ときわ)の磯前(いそざき)神社は、本殿が石灰露岩上に建つという。石灰岩といえばウロコケシボウズタケの発生が考えられる。そこで、今日の午前中に行ってみた。自宅からは道路距離で80Kmほどあるが、現地に近づくとまだ積雪がある(a)。駐車場は積雪40cmほどで車の乗り入れは不可能だった。入れるところまで車を近づけて(b)、そこで長靴に履き替えて社殿まで登ってみた。社殿に近づくと雪はなく、床下をくぐって境内に登れるようになっていた(c〜f)。 石灰露岩の周辺をいろいろと歩き回ってみたが、ウロコケシボウズ発生の兆候は見つけられなかった。雪が完全に消えた頃にまた行って周辺をジックリ探してみよう。 |
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自宅のすぐ近くの散歩道 | |||||||
昨日昼過ぎに自宅から続く細い径を90分間ほど散歩した。家の周りには標高50〜80mほどの里山を上がったり降りたりの径が縦横に走っているので、一寸した散歩にはちょうど良い。スギ植林ばかりではなく、広葉樹もいろいろあってきのこ観察にも適している。 日向のフキノトウはすっかり大きくなっているが(a)、日影ではまだ若い新芽の状態だ。前方にヤブツバキが並んでいるので(b)、樹下の落ち葉をどけてみるとツバキキンカクチャワンタケが出てきた(c, d)。そのすぐ傍らでは材にヌルデタケが沢山ついていた(e)。わが家の庭では、三重県産の福寿草が今朝やっと開いた(f)。 |
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諦めきれずに新舞子浜公園へ | |||||||
いわき市の砂浜は「除染」作業と巨大堤防建築のために激しく変貌した。今朝行ってみると、海浜沿いの新舞子浜公園でも、遊歩道とその周辺では深さ15cmほどまで砂がすっかり堀り取られて川砂に置き換えられてしまった(a, b)。一寸目には白砂青松の浜だ。 公園内で遊歩道から離れた松林は幸いなことに「除染」作業の対象外らしく、従来のままの姿が結構広がっている(c)。足下をよく見れば随所にマツカサキノコモドキやニセマツカサシメジがみられた(d)。掘り出してみるとフカフカの落ち葉のしたに長く偽根を伸ばしてマツボックリに繋がっていた(e)。なお、自宅の松樹下にはマツカサタケが出ていた(f)。 |
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今日は風もほとんど無く気温も高い。まるで春のような陽気だ。 | |||||||
雪の水石山へ:見事に側溝に落ちた! | |||||||
いわきの市街地に雪は全くないが、少し高い山は白く見える。昨日また新たな雪が積もったようだ。昼過ぎに水石岳(Alt 735m)中腹の閼伽井嶽薬師を目指してアルトで出発した。 閼伽井嶽のやや手前から路面は雪に被われはじめた(a)。薬師には人影は全くない(b)。さらに進むと眼下にはいわき市の浜が見下ろせる(c)。水石山山頂への道は一車線しか開いていない(d)。雪で見えない側溝に気を配って走った。山頂近くの狭い雪道で反対からランドクルーザーがやってきた。すれ違うため左側の雪壁に向けてハンドルを切った。側溝のことをすっかり忘れていた。次の瞬間車は左前が深く雪の中に潜り込んでしまった。側溝に落ちてしまった。 こうなると自力での脱出は不可能だ。幸いなことに牽引ワイヤーを積んであったので、長靴に履き替えて、ランドクルーザーに繋いで引き上げて貰った。手際よい作業のおかげで、脱輪から脱出までの時間はほぼ5〜6分ですんだ。しかし、とんだ醜態をさらしてしまった。 山から下りて田園地帯までくると、白鳥の群れが田圃のあちこちで餌をついばんでいた(e, f)。近寄ると鳴き声を上げる。交響曲「白鳥の湖」ならぬ狂鳴曲「白鳥の田圃」。 |
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真冬の集落にて | ||||||
午前中に自宅のある集落を30分ほど散歩した。昨年の晩秋からトラクターが田起こしをする姿が何度も見られたが、今朝もまた数ヶ所でトラクターが動いていた。春になると一面にカタクリとニリンソウが花開く畦の脇の斜面も今はまだ殺風景な姿をさらしている。 きのこといえばツバキキンカクチャワンタケ以外は硬質菌しかみられない。それもアラゲカワラタケが圧倒的によく目立つ。自宅の庭や周辺では子器をつけたウメノキゴケの仲間の地衣類がとても多いので、気の向くままにウメノキゴケ類やモジゴケ類の観察をすることになる。 |
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福島県とはいえ会津地方や福島市とは違っていわき市では雪こそないが、連日風が強く寒い日も多い。埼玉時代と違って、春が待ち遠しい。 | ||||||
菌懇会の(総会&)講演会 | |
今日は菌類懇話会の講演会に出席のためまだ暗いうちに自宅を出発することになる。講演会はpm2:00からで、演題は「DNAで判ること判らないこと、菌類を中心に」、演者は国立科学博物館の細谷剛博士。午前中に「マトからみたきのこたち」展(2月10〜15日:東京都中央区銀座7-10-5 ランディック第3銀座ビル)に寄ってから川崎市に向かうことになりそうだ。帰宅は明日夕方か。 | |
春の陽気、福寿草の里 | |||||||||||
今日は風もなく暖かい日差しに包まれて春のような陽気だった。陽気に誘われていわき市三和の「福寿草の里」まで行ってみた(a)。あたりは先日の雪が田圃に薄く残っているが(b)、日向の斜面には福寿草の絨毯が広がっていた(c〜e)。突然寄った「柏の里」では思いがけず美味しい餅をごちそうになった(f, g)。ここは毎年アミタケやウラベニホテイシメジが大量に出るという。 同じ道を引き返すのは面白くないので、峠越えをして夏井川沿いの川前にでた。途中は雪道が続いていた(h)。平地区に近づくと川に白鳥が群れていた(i)。石森山経由で自宅に戻ったが、途中の絹谷林道終点付近ではイノシシが道脇を一面に掘り返していた(j)。 |
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三和より暖かいにもかかわらず、三重県からわが家にやってきた福寿草の蕾はまだ堅い。 | |||||||||||
腹黒庵日誌のこと | |
一時迷いはしたが、「きのこ雑記」の中に新たに「腹黒庵日誌」なる項目を立てるの止めることにした(雑記2015.2.7)。もともとが「今日の雑記」そのものがきのこオンリーではないことは「きのこ雑記」開設当初からの方針で(サイトの概要)、基本的にはいまも変わらない。 あらたに「腹黒庵日誌」を立てれば、「今日の雑記」との棲み分けをどうするのかという悩ましい問題が生じることになる。そこで、きのこと全く関係のない話題については、年月日表示のすぐ右脇、タイトルの直前に[腹黒庵日誌]と表示することにした。「なーんだ、きのこの話じゃないんだ。それなら読むのは時間の無駄だ。やーめた。」という人への便宜を目的とする。
腹黒庵とはハラグロニガイグチの住処ということらしく、誰言うことなく広まったようだ。ハラグロニガイグチは市販の図鑑には掲載されていないが、ある著名なきのこ研究会の三大毒きのこの一つとされる。ウラグロニガイグチ(Tylopilus eximius)に由来するようだ。ウラグロニガイグチはかつては美味しいきのことされてきたが、あるときから毒きのこの仲間になってしまった。半生状態で食べると激しい消化器系の中毒を起こすことが分かったからだ。しかしご心配には及ばない。これまで腹黒庵で宴をした人で「食」中毒を起こした人はいない。
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土方仕事一応完了 | |||||||
一昨日からはじめた土方仕事が何とか終わった。というより適当なところで終わらせて、とりあえずホッとしたところだ。昨日午前中に溝をさらに深く掘って整え、午後からそこに大谷石を押し込んだ。例によってあまりの重さにヒイヒイいいながらの作業だった(a)。ついで仕上げ作業のつもりで、空隙部分に石を詰めてさらに土を押し込んで踏み固めた(b)。 慣れない仕事にヘトヘトになったが、プリウスの駐車スペースが完成したので、雨が降ってもとりあえず泥濘にならずに済みそうだ(c, d)。また、イノシシにタイヤを傷つけられる恐れも無くなるだろう。隙間の土が落ち着くまではまだ多少の時間が必要だ。 |
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この数日の間に生け垣脇のツバキキンカクチャワンタケの背丈がかなり伸びていた(e, f)。今日は集会所となっている寺で大字の総会がある。午前中いっぱいかかりそうだ。 | |||||||
石混じりの土と重い大谷石に難儀 | |||||||
2011年3月11日の大震災で倒壊した塀の大谷石をもらった(a, b)。かねてから車の駐車スペースが雨天の時にビショビショの軟泥になって困っていたので、そこに敷くことにした。タイヤを載せる部分に大谷石を敷けば雨天の時も安心して車を駐められる。 大谷石は厚みが15〜20cmほどある。そこで12cmほど掘ることにした(c)。ところがこの作業にえらく難儀した。なぜか石や砂利が多量に埋め込まれていてスコップがほとんど役に立たない。そこで開墾よろしく農機具のクワやスキを使って数時間かけてなんとか溝を掘り上げた(d)。 ブロック状の大谷石は一つが70〜80Kgほどある。これを溝に二列に配置したが、これまた大仕事になった(e)。必至に片側を持ち上げては転がして運んだ。一つのブロックを運ぶのに5〜6分は必要だった。掘り上げた地面にはデコボコが残り積み込んだ岩は平ではない。 作業を開始したのはam9:00頃だったが、一つの溝に大谷石を詰め込み終わったのはpm3:00過ぎだった。腕も腰も悲鳴を上げていた。結局昨日はここまでで作業を中止した。 |
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冬場はきのこに関わる話題は少ない。きのこ関連の話題は従来通り「今日の雑記」に、それ以外の話題は「腹黒庵日誌」なるページを立ててそこに記そうかどうか(f)、今年もまた迷っている。2月5日や今日の話題は「腹黒庵日誌」として掲載されるような内容だ。 | |||||||
国道399号から川内村へ、そして富岡駅 | |||||||
いわき市の中心部は冬でもほとんど積雪をみることがないので、この時期でも夏タイヤのままの車が多い。ところが同じいわき市とはいっても少し浜辺から離れた山間地に入ると、冬場は結構積雪もあり道路はたいてい凍結している。なかでも国道399号線は冬場は特に「酷道399」といって嫌われている。積雪があり道は狭く起伏もあり曲折が多いからだ。 昨日、国道399号から川内村のいわなの郷に往き、帰路は富岡町側に出て帰宅した。いわき市北部の旧戸渡分校周辺は放射能高線量地域だが、冬場は雪による遮蔽効果のため線量も低くなっている(a, b)。川内村に入り(c)、いわなの郷に行ったが、昨年のような大雪(雑記2014.2.19)はなく積雪は例年並みのようだ(d)。 |
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「かわうちの湯」でくつろいでから、解体の進む常磐線富岡駅前を経由して帰宅した。巨大クレーンが駅舎の跨線橋部分を吊り上げて撤去してる最中だった(e)。駅舎の解体は進んでいるが、周辺の商店街や民家は2011年3月11日から全く手つかずの状態のままだ(f)。 | |||||||
高萩市から日立市までの海浜へ | |||||||
今日は昨日までの強風が収まったので、朝通勤ラッシュが終わってから家を出発して茨城県北部の高萩市以南の海浜を目指した。どこの浜も狭く、防風林の松はいずれも元気がない。浜には植生が少なく、砂地生の菌類が生息できそうな場所は少ないことが分かった。 日立市の鵜の岬の国民宿舎裏の松林の斜面を観察した後、そこから続く伊師浜海水浴場周辺の浜を歩いてみたが、いずれも海浜生菌類の生息環境としてはあまり芳しいものではなかった。昨年から何度か茨城県北部の海浜を歩いてきたが、わざわざ茨城県まで来なくてもよいと思った。それよりむしろ福島県北部から宮城県南部の海浜を探索した方がよさそうだ。そこでは、四年前の地盤沈下と大津波の後、松の若い実生も育ちはじめている。 |
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今日であえたきのこといえばマツカサキノコモドキだけだった。 | |||||||
あまりの烈風・突風に観察断念 | |
今日は日立市北部の海浜と寺社林を観察するつもりだった。昨日来の強い風は時折小規模な竜巻ではないかと思えるほど強かった。昨夜から深夜にかけてまるで地震でもあったかのように何度か家が揺れた。縁側のガラス戸が破られるのではないかも思った。 今朝から昼にかけても上空では風の唸り音が凄まじく、庭や家屋の周りでは色々なものが飛ばされていた。電波障害も生じて、衛星受信のUSEN放送が頻繁に途切れる。結局、観察のために出かけるのはやめにして、切れていた灯油を買いに出ただけだった。 |
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