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2015年4月30日(木) 「田舎暮らし」に負けたわけではない!
 温暖ないわき市の田園地帯に暮らすようになってはや三年。東京生まれで東京育ちの夫婦にいまさら古い因習が沢山残っている田舎暮らしは無理だ、と言う人もいた。
 この三年間、地区の催しや荷役作業等には欠かさず出席してきた。地元農家との交流も日常的となり「きのこ講話」を要望されるまでになった。隣組や集落の人たちともすっかり馴染んだ。このままずっとこの絹谷の地区で暮らし続けられるものとばかり思っていた。
 業者の都合で明け渡さねばならないことは借家である以上避けられないのかもしれない。古い家屋の維持にはそれなりの出費が必要となろうが、それは当初から分かっていたこと。突然の家屋取り壊し通告は考えてもいなかった。取り壊す場合には、他の物件を斡旋してもらえるとか代替え家屋を考慮してもらえるものとばかり思い込んでいた。それが甘かった。地価が異常に高騰しているいわき市では、それは無理な相談というものなのだろう。


2015年4月29日() 時間が限られた中での選択
 2012年1月に埼玉県川口市から現在の地に転居するときは、あらかじめ住みたい環境を列挙して物件をじっくり探す時間があった。2008年頃から条件にあった全国の農家の空き家を探して、現地に行ってみて確認してから決定するまでは、数年間の時間的ゆとりがあった。
 全国に空き家となって数年以上経過する古い民家はたくさんある。しかし、民間の団体や各地自治体が行っている空き家バンクなどに登録される物件はそれらのうちごくわずか。それらの多くが賃貸ではなく購入を前提としている。賃貸というと意外と少ない。
 連日ネットを活用していろいろ探してみたが、条件に見合う農村の空き家はたいていが北海道と西日本の山間地や離島ばかりだった。現地に出向いて確認する時間と経費のゆとりはない。一方、現在の居住家屋を明け渡さなくてはならない時間は刻々と迫ってくる。
 農村地帯はあきらめ、自宅での実験区設置は放棄し、近場できのこ観察ができる環境だけに絞れば、可能な物件の範囲は大幅に広がる。ただしアパートと借家専用に作られた戸建ては避けることになる。そこで小さな地方都市に空き家を求めることにした。


2015年4月28日(火) 今年もまたカタクリの大群落
 福島県中通りのスキー場でゲレンデの斜面をカタクリの絨毯が染め上げているとの情報が届いたので、昨日早速出向いてきた。折しも全国的に暖気が入り込み、福島県も例外ではなく、午前中に二本松市を走行しているときに、早くも摂氏28度を超えていた。
 とても風の強い日だったが、気温がグングンあがり日差しも強かった。いくつかのゲレンデの頂部近くまで歩くと、リュックを背負った背中が汗でビッショリになった。昨年(雑記2014.5.2)、一昨年(同2013.5.5)同様にゲレンデの斜面一面にカタクリが一面に広がっていた。
 幸いなことにこのカタクリ群落はまだ観光ガイドには一切掲載されていない。知っている人も非常に少ないのか訪れる人は少ない。一方、報道によれば、県内各地のカタクリ群生地では観光客が高い駐車料金と入園料を支払って遙かに小さなカタクリ群落を見て感動している。
 
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 「終の棲家」として選んだ「福島県いわき市平絹谷」だったが、それはかなわなかった。遅くとも六月中にはここを引き払うことを目標に据えた。賃貸借約款では契約解除は30日前までに通告することになっている。今日からでも少しずつ必要な作業を開始することにした。


2015年4月27日(月) 今年初めての茶色系アミガサタケ
 昨日は四件の賃貸一戸建てを見て回った。立地環境や外回りを見たあと、業者の案内で中に入っていろいろとチェックしてみたりした(a〜d)。家全体の構造、部屋の配置と広さ、床の作りなど、なかなかこちらの希望条件に沿うような物件は少ない。
 現在の居住地があまりにも好条件の場所なので、たいていの物件がひどく見劣りして見えた。きのこ実験区を設けられるような庭をもった家を借りることは断念せねばならないようだ。ただ、少なくともきのこ観察・研究を続けられるような環境が近くにあって、多量の本や重い顕微鏡などを何台か置いても影響のないような家を探すしかないようだ。

 帰路茨城県大子町の自然公園の桜樹下にアミガサタケが出ているのに気づいた。発生から何日か経過しているとみえて全体に乾燥気味だった(e, f)。今年はまだいわき市では茶色系のアミガサタケには出会っていない。とりあえず初物だった。
 

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2015年4月26日() 不動産屋巡りの第一陣
 年内に現在の住居を出なくてはならないことになり、なおかついわき市にあらたな転居先をみつけることがほとんど不可能となったことで、精神面で何かが変わったのだろうか。昨日いわき駅前の図書館に出かけた時に、なぜか市街地が妙によそよそしく冷たく感じた。
 いずれにせよ、早急に転居先を見つけるための行動を起こさねばならない。そこで、今日は気分転換のドライブを兼ねて、いくつかの地で不動産屋を訪ねてみることにした。できたら寒くなる前に新たな居住地に移りたい。なるべくなら自宅の近くできのこ観察ができる所を見つけたいと思っているが、自宅の庭でのきのこ観察は難しくなるかもしれない。


2015年4月25日() しばらくきのこの観察は諦めて鑑賞だけに
 今年はいくつかの植生とジャンルのきのこについて継続的に観察するつもりでいたが、これは諦めるというか放棄せざるを得ない。観察にはフィールドでの観察と室内での観察があるが、これには必然的に記録が生まれ、乾燥標本・DNA標本の作製と保管が伴う。
 ところが年内に転居先を見つけねばならないので、標本や物品・調度の類をこれ以上増やすわけにはいかない。いわき市は原発事故の後遺症のため、地価は異常に高騰し、空家はもちろん貸間すらほとんどない。したがっていわき市内に転居先を見つけるのはまず無理だ。
 どこに住みたいかよりもどこに空家があるかによる。年金生活者には金がない。だから、所帯道具などはできるだけ身軽にしておかねばならない。転居先によっては、書籍だけではなく今現在一部屋を占拠している、きのこ・こけ・地衣類の標本の廃棄も考慮しなくてならない。
 当面は転居先探しを第一にして、きのこについては鑑賞して楽しむだけになる。昨年まで友人たちがよくわが家に遊びに来てくれた。しかし、今年は受け入れは駄目になった。


2015年4月24日(金) テンガイカブリタケに会えた、しかし憂鬱な事態発生!
 2012年に川内村で出会って以降(雑記2012.5.6)、テンガイカブリタケに出会っていない。そこで、今朝栃木県との県境に近い棚倉町までテンガイカブリタケ探しにでかけた。
 数年前の集中豪雨のためかつての発生地はすっかり様子が変わってしまい、今後の発生はほぼ絶望的なことが分かった。そこで、新たに発生の見込まれそうな環境を探しながら走り回った。廃棄され今や草ボウボウになったかつての村の野球場脇の桜の下に発生しているのを見つけた(a〜c)。数年ぶりの、さらに今年初めてのテンガイカブリタケだ。
 一方、近くの海浜公園ではハチノスタケのようなきのこに出会った(d〜f)。
 
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 どうやら現在の家屋に住み続けることは断念せねばならない。最も恐れていたことがほぼ現実になることがわかった(同2015.1.21)。残念だが、ここに住めるのも今年の12月半ばまで。それまでに新たな転居先を見つけなければならない。予測通りの憂鬱な年になった。
 当分の間、落ち着いてきのこ観察をしたり生態研究をすることはできそうにない。


2015年4月23日(木) カシタケと桜のハルシメジ
 昨日近場の自然公園を数ヶ所回ってみた。海浜の寺社林の遊歩道では沼の畔にカシタケが大きく育っていた(a〜d)。カサの縁が赤色系のきのこもあった(d)。チャツムタケ属のきのこ(e, f)やキツネノワン、キツネノヤリタケなども出ていた。
 いわき公園では桜樹下にハルシメジの幼菌が顔を出し始めていた(g, h)。そこは昨年「除染」作業で表土がゴッソリえぐり取られた場所だったので、今年はキノコはほとんど見られないと思っていた場所だ。同じく桜樹下にアミガサタケが少し出ていた(i, j)。
 いわき海浜自然の家の遊歩道では、大きなモミとヤマザクラが混生する斜面に、大きくて繊細なシャグマアミガサタケがいくつも出ていた。今年は、思いがけない場所でシャグマアミガサタケによく出会う。一方、湯ノ岳山頂周辺の松林は、例年なら今頃シャグマアミガサタケなどのきのこが豊富に見られたのだが、今やイノシシ被害と松枯れできのこの姿はほとんどない。
 
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 田植えが近づいているため、周辺の農家は大忙しだ。連日エンジンやらモーターの音がとても賑やかだ。パイプハウスの中では配布された苗が静かに田植えを待っている。


2015年4月22日(水) キツネノヤリタケが次々に出てきた:自宅庭
 刈払機で庭の周囲の草を刈っていると、隣家との通路やら電気柵線の下などにもキツネノワンが多数発生していることに気づいた。そして、よくみれば、あちこちからキツネノヤリタケが多数出ていた。先日はまだ小さなものが散見されただけだったが、急に数も増え、背丈も大きなものがいくつも見られるようになっていた(a〜f)。
 川口市時代はキツネノヤリタケが出たと聞くと早朝に車で出かけた。しかし当時は自宅からの距離がたった20Kmほどでも、1時間では到達できなかった。ところが今は自宅の庭に自生するクワの樹下一面にキツネノワンが発生し、やや遅れてキツネノヤリタケが発生する。微小な幼菌から老菌まで、生長の様子をしっかりと観察し楽しむことができる。
 
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 ところで、庭の桑の木はようやく新芽が少し出始めたところだ。


2015年4月21日(火)  一つの子嚢に二つの胞子:指先のリハビリ
 オオズキンカブリタケ(a〜d)の子嚢には胞子が二つしか入っていない。ところが、この様子をわかりやすい明瞭な画像として表現するのは案外難しい。先日の検鏡写真でもご多分に漏れず(雑記2015.4.13)、ひとつの子嚢に二つの胞子が入っている様子がはっきり捉えられていない。
 そこで指先のリハビリを主目的として、一つの子嚢に二つの胞子が入っている様子をなんとか明瞭に撮影することを試みた。それには、顕微鏡の微動ノブとステージの操作ノブを正確に動かさねばならない。ふつうの人にとっては簡単で当たり前の操作だが、、強皮症とレイノー症状の身にはこれは至難の業だ。
 まず、簡易ミクロトームを操作して薄片を作った。じれったさを我慢して、それをKOHで封入して軽く押しつぶした。そこまでもかなりの時間がかかったが、それ以上にもっと歯がゆい思いをしながら、ピント合わせと位置あわせをした。結果は、何とか胞子が二つ子嚢に入っている様子を捉えられた(e〜h)。
 
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 ありがたいことに車の運転には指先の操作はほとんど不要だ。パソコンのキーボード操作は指先の細かな動きを必要としないので、レイノー症状に対するリハビリ効果は弱い。


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