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新舞子浜の砂浜全滅! | |||||||
いわき市の新舞子浜では昨年1月から始まった海浜の防潮堤工事がかなり進み(c)、巨大堤防がいたるところに姿を現し始めた。かつて新舞子浜の道路では走行中に海を見ることができた。しかし、次々とできあがりつつある巨大防潮堤は海をすっかり隠してしまった(a, b)。 もともと数メートルの高さの防潮堤のあった四倉の新舞子海岸では、その外側に更に大きな防潮堤が作られ始めている(d)。その防潮堤の更に海側にはテトラポットの帯ができた(e)。この一体は以前は砂浜が大きく広がり、ウネミケシボウズタケやアカダマノオオタイマツなどが発生した浜だが、今やその面影はまったくない。海浜生菌類はほぼ絶滅しただろう。 |
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巨大防潮堤が作られたために、道路側からは海が見えなくなり、大津波が来ても目視では全くわからない。こんなものに莫大な税金を投入するよりも、陸側に津波に備えた避難所を作って、「津波が来たらとにかく逃げろ」教育を徹底するほうがはるかに有効だろうに。 | |||||||
金魚とメダカの移動大作戦 | |
金魚やメダカを飼うことになったのは、元はといえば蚊対策のためだった。庭には二箇所に池と大型水槽がある。そこで、池には金魚を大型水槽にはメダカを飼うようになった。餌といったものはほとんどやらなかったので、彼らはしっかりとボウフラを食べてくれた。 われわれが引っ越したあと現在の家屋は取り壊して更地にして売るという。いわき市では異常な地価上昇が続いているから、おそらくその話は本当だろう。そうなると、庭の池に飼っている金魚やメダカはブルドーザーなどに蹂躙されて殺されてしまう。それは避けたい。 そこで金魚は近郊の池に、メダカは庭の縁の川に移住してもらうことにした。金魚の棲む池は深さ1mほどあり、水草が大量に茂っている。そこで、水草除去の作業から始めて、最終的には水を掻きだして池の底に降り立ってようやく金魚を捕獲しバケツに移した。そして軽自動車に金魚を容れたバケツを積んで12〜14kmほど離れた池までゆき、そこで解放した。 メダカの棲む水槽でも最初にやったことは水草の除去だった。そして丸一日経て水が澄んだところで、一匹ずつ網で捕獲してバケツに移した。これらのメダカは庭の横の小川に解放した。これらの作業は思いの外時間がかかり、結局昨日の引越準備はこれで終わってしまった。 |
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ブナ林の水流と遊歩道のウッドチップ | |||||||
昨日宿の若主人の案内で、ブナ林の笹薮をかき分けて水流に沿って歩いた。このところの雨不足で水量は少なかったが、ミズベノニセズキンタケ類似の子嚢菌が多数見られた(a, b)。相模屋旅館の若主人はきのこについても造詣が深く、楽しいひとときを過ごすことができた。 土湯峠温泉郷からの帰路、二本松市の名目津温泉に寄ってのんびりしてから帰宅した。温泉の遊歩道にはウッドチップが敷かれていたので注意してみると、サケツバタケ(c, d)やフミヅキタケ(e, f)が幾つも出ていた。いずれもやや乾燥気味で干からびたきのこも多数見られた。 |
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磐梯吾妻スカイラインから秘湯の湯へ | |||||||
昨日午前中に自宅を出発して、久しぶりに高湯温泉側から磐梯吾妻スカイラインに入った。車はいたって少なく浄土平にも観光客の姿はまばらだった。火山性ガスと地震で話題になっていた一切経山は穏やかで、噴煙も普段より少なかった(a)。足元にはイワカガミがいたるところに群落を作っていた(b)。湿原に向かう遊歩道はまだすっかり雪に覆われていた(c)。 スカイラインからは磐梯山や猪苗代湖が一望できた(d)。箕輪スキー場方面にいくとワラビやウドがちょうど食べごろの姿を見せていた。きのこがないので、ワラビをたっぷり採った。土湯峠温泉郡の一つの宿に泊り、源泉の蒸気を目前に野天風呂をたっぷり楽しんだ(e, f)。 |
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土湯峠周辺では遊歩道の雪は解けていたが、ブナ林の地表もすっかり乾燥していた。 | |||||||
軽トラ(スズキキャリー)を手放した | |
昨年4月に購入した軽トラックを売却した。四駆・エアコン・パワステ付きの車でたった一年しか使っておらず、これから活用しようとしていただけに、非常に悔しく残念だ。しかし、転居先に軽トラを置くスペースはないし、だいたい前提条件たる庭や田畑がない。 車はしばしば「買って損、売って損」と言われるように、購入時の価格と比べると売却時の価格は嘘のように安くなる。しかも別の車を購入するための下取り車として引き取ってもらうならまだしも、単純に売却となると買い取り価格はさらにさらに安くなってしまう。まぁ、それでも引越業者に支払う代金の一部にはなる。 各種農機具類、軽トラック、掘り炬燵設置、家の補修、庭まわりの整備、電気柵設置など、家賃とは別に、この三年半に費やした金は350万円を超えていた。ずっとこの地に住むつもりだったからこその出費だった。いまさら嘆いてみてもしょうがないが、己の愚かさを痛感させられた。 |
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イノシシはどこへ行ったのか? | |
庭の電気柵を撤去してから(雑記2015.5.2)、今日まで自宅にイノシシ被害は全くない。集落の田圃や畑の周辺でもイノシシの出没した気配はない。昨年11月頃にイノシシの姿を見ないようになって、すでにほぼ半年が経過した。駆除効果が出ているとも思えないし、頭数が減っているとも考えにくい。近くの石森山でもイノシシによる被害範囲は狭くなっている。 それでも、いつまた昨年までのような広範囲の被害が出るとも限らないので、農家は心配して今年も田圃や畑の周囲を電気柵で囲い始めた。昨年の収穫シーズンにイノシシ被害に遭った農家では、今年新たに電気柵を購入して設置作業に追われている。 でも連中はいったいどこに行ったのだろう? 何を食っているのだろう? |
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中通りの公園にもきのこなし | |||||||
昨日朝すぐ近くの石森山を歩いてみたがきのこの姿は全くない。そこで、中通り(福島市、郡山市、白河市など)に行ってみた。須賀川市の宇津峰山公園と翠ヶ丘公園を歩いてみたが、両公園ともカラカラに乾燥していて、きのこの姿はなかった。すごすごと引き上げてきた。 昼過ぎには帰宅したが、朝の寒さはどこへやら冷房が欲しいような陽気になっていた。ふと庭を見るとイタチタケの仲間(c, d)やアミスギタケ(e, f)などが出ていた。 |
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いろいろなきのこが見られるようになるのは六月に入ってからだろうか。 | |||||||
久しぶりの顕微鏡観察 | |||||||||||||
前日とは別の定点観測地点三ヶ所を回ってみたが、きのこの姿はほとんどなく、かろうじていわき公園にRussula(ベニタケ属)が出ていた(a〜c)。珍しく紙袋に入れて持ち帰った。 胞子紋をとる処置をしてから、お決まりの呈色反応を確認するため三種の試薬をヒダにふりかけて10分ほど放置した(d)。胞子紋は10分ほどでたっぷり落ちた。久しぶりにメルツァー液で封入して胞子を覗いてみた。この仲間独特の懐かしい表面模様が現れた(e, f)。 今年採取したキブシのピスに挟んで簡易ミクロトームを使ってヒダの断面を切り出した(g)。ヒダの先端を見るとシスチジアらしき構造がみえない(h)。改めてヒダを一枚スライドグラスに載せ、フロキシンで染めてからKOHで封入して縁をみた。どうやらシスチジアはあるようだ(i)。組織を押しつぶして油浸100倍レンズで見ると、先端にピンの頭のようなものがついた棍棒形のシスチジアが見えた(j)。担子器(k, l)より若干大きい。標本は作らず、きのこは庭に捨てた。 |
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AmanitaやPluteusが出てきた | |||||||||||||
自宅近くの定点観測地点二ヶ所を回ってみた。Amanita(テングタケ属)(a〜c)やヒメスギタケ(d〜f)、スジオチバタケ(g, h)、アミスギタケ(i, j)、Pluteus(ウラベニガサ属)(k, l)などが見られた。ほかにはヒメカバイロタケ、イッポンシメジ属などの担子菌も随所に見られたが、子嚢菌の発達が悪く、カバイロチャワンタケやフクロシトネタケは小さなままだった。
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今週は二回も40Kmほど離れた場所にある市の粗大ゴミ処理場まで軽トラックで往復した。これでひととおり軽トラックが必要な処理は終わった。今日は軽トラックの売却処理を開始だ。 | |||||||||||||
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