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早朝がだめで、昼近くに散歩をした | |||||||
昨日はam3:40の起床時から体調が芳しくなかった。なんとなく胃が重苦しく吐き気がし、平衡感覚が鈍っていた。二階の寝室から降りるとき手すりに頼らないと不安だった。血圧を測ると247/90と異常に高かったが(a)、特に頭痛とか発熱などはなかった。耳鳴りと悪寒を感じたが、咳やクシャミなどはなかった。このときの室内は零度前後だったが、ファンヒーターをガンガンたいたところ7〜8℃にまで上がった。 6時頃になってもふらつきが消えなかったので、とりあえず早朝の散歩に出るのはやめて、炬燵に潜り込んだ。ファンヒータと炬燵の他にエアコン暖房をつけると2時間ほどしてようやく室温が12℃まで上がった。外は青空が広がっていた。 9時前に再度血圧を3回測ると141/72(b)、139/79、143/56と下がっていた。ふらつきは軽くなり、悪寒も収まった。そこでふだんの服装のさらに上に厳冬期用の厚ぼったい上着を着て散歩に出た。城山の頂きではam10:00に日陰は−5℃しかなかったが、直射日光下では摂氏5℃まで上がっていた(c)。女峰山が見事だった(d)。前日に引き続いて富士山が見えた(e)。 |
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好天の土曜日ということもあったのか、城山では20名ほどの人たちに出会った。顔見知りも5人ほどいた。そして7〜8名ほどが毎日この時間帯に歩いているということだった。8時台には15〜16名の常連がいるが、10時台にもこんなにいることに驚いた。稜線から下の駐車場を見おろすと、早朝とは違って多くの車があった(f)。 | |||||||
終日零度以下の寒い一日 | |||||||
昨日はとても寒い一日だった。am4:30には外気温−5.6℃、室温2.6℃だった(a)。城山の山頂では直射日光が当っていたにも関わらず、am7:20に気温が−4.5℃を示していた(b)。今年の富士山は雪が少ししかついておらず、例年とはかなり様子が違う(c)。西から北の空はすっかり雪雲に覆われて山々は全く見えなかった。 自宅周辺では南東側は青空が見えているが、時折雲が通り過ぎると雪が舞い、北西側は一面灰色でいかにも雪が降っている様子だった。午後鬼怒川公園岩風呂に行くと(d)、鬼怒川温泉あたりから雪になった。岩風呂の露天風呂も雪見風呂になっていた。 午後2:30を過ぎても気温は上がらず自宅では、外気温−0.3℃、室温4.1℃で(e)、一階和室はファンヒーターとエアコンの両者で温めたが、室温は11℃までしか上がらなかった。午後はもっぱら炬燵に潜り込んで5時間ほどビデオを観て過ごした(f)。 |
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このところ3日間ほど朝から山菜キノコ飯を炊いている。一度に炊くのは一合半から二合で、これを朝と昼に食べ、夕食は相変わらず鍋物と焼酎だ。鍋にはキノコ、白菜、ネギ、豚肉などの他に、カボチャやキュウリ、トマト、バナナなども放り込む。
今朝はさらに冷え込んでいる。am4:00には外気温−8.3℃、室温−0.9℃、そしてam4:30には−10℃を下回っていた。am4:00に血圧を測ると247/90という凄まじい高血圧症状を示していた。昨年11月に190/110という日が続いたことがあったが、最高血圧が200を越えたのは初めてのことだ。これはかなり危険領域なのだろうなぁ。 |
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認知機能検査:寒い部屋で指が動かず難儀した | |||||||
昨日pm1:20集合ということで今市自動車教習所に出向いて(a, b)、高齢者に義務付けられた認知機能検査を受けてきた(c)。受付で事務手続きを済ませて750円の手数料を払って、試験会場で開始まで待った。この日の受験者は10名。 昨日はとても北風が強くとりわけ寒さが厳しかった。試験会場に暖房設備はあったが、試験開始時間まで使用されず、高齢の受験者たちはみな震えていた。この間に指先が激しいレイノー症状を呈し、ホッカイロを入れた手袋をして待った。 指が思い通りに動かないままに試験開始時間になった。問題は小学一年生でも楽に答えられるようなものばかり、すべてできて当たり前のものばかり。ところが指が思い通りに動かない。やむなく手袋の上から鉛筆をげんこつ状態で握った。制限時間内に書き終えることが出来ない問題が一つあった。その結果が98点ということになった(d)。 いずれにせよ判定は心配無し(e)、来週14日に高齢者講習を受けることになった(f)。また同じ部屋で講習を受けるので、こんどは電熱手袋を持って行こうと思っている。 |
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やはりヨイショ本はつまらない | |
昨年末に県立図書館から都知事の小池百合子を描いたノンフィクションを2冊借りていた。一つは石井妙子著『女帝 小池百合子 (文藝春秋社 2020.5.30刊)』(a)、今一つは大下英治著『小池百合子の華麗なる挑戦 (河出書房新社 2008.10.30刊)』(b)。寝正月を決め込んだ三日と昨日にかけてようやくこれらを読んだ。 大下英治の古い著書を借りたのにはそれなりの理由があった。少し前に『小池百合子の大義と共感』(2020.6.30)を読んだが、裏付けをきちんと取ったとは思えないヨイショ本で、あまりにもお粗末に感じたので、バカバカしくなって途中で放り出した。しかし、それ以前に書いたものでは少しはマシかもしれないと思ってのことだった。 『女帝』は詳細な資料読み込みと裏付けに基づいて書かれていて好感がもてた。小池百合子という人物の性格や政治姿勢が浮かび上がる内容で面白かった。一方『華麗』は最新版の『大義』と基本的な姿勢は変わらず、これまた著者によるヨイショにうんざりして、結局2/3ほど読んだところで再び放り出した。 ずっと前からたまたまテレビをつけたときに、小池百合子の姿が出てくると不愉快な気持ちになるので、チャンネルを切り替えたリテレビを消したりしていた。『女帝』を再読してみると、その理由が自分なりに納得できた。 75歳になると運転免許更新時に行われる高齢者講習に先立って認知機能検査を受けることが義務付けられている。記憶力や判断力を確認するためだという。今日はその認知機能検査の日で、午後自宅から8Kmほどの今市自動車教習所に行かねばならない。 |
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今市図書館へ:往復16Kmのウオーキング | |||||||||||||
昨日は市立今市図書館から借りていた本の返却日だった。ふだんは自転車か車で行くのだが、昨日は久しぶりに往復とも徒歩で行ってきた(a)。途中数ヶ所で寄り道をして、往復16Km、3時間半ほどの歩行になった。am10:10頃に家を出た。 歩きだすとすぐに右下の田圃脇に石灰粉で何やら描かれていた(b)。高級食パンの専門店BRIVORYの前では開店を待つ客の姿があった(c, d)。商品の食パンには何種類かあって、一斤800円から2,480円(税抜き価格)。金欠病の身には雲の上のパンだ。 日光市の新庁舎が完成してほぼ2年が経過するが、これまで一度も内部に入ったことがなかったので、たっぷり観賞した(e, f)。一昨年8月に男体山で右膝を怪我したとき(雑記2019.8.10)に一度だけ受診した川上病院の前を通った(g)。膝蓋骨のX線写真だけを撮ってもらい、ヒビの状態を確認しただけで治療は受けなかった。 今市図書館では本を返却し新たに書籍の他ビデオ2本も借りだした。往路は主要県道や市道を歩いたので、復路は旧国道119号線を歩いた。現119号線に並行して保存されている日光杉並木街道だ(j, k)。台風や強風で折れた杉の巨木の残骸が未だに数多く残っている(l)。途中で買物をして午後1:40頃帰宅した。 |
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久しぶりの麺類以外の外食 | |||||||
昨日朝散歩に出ると西方の日光連山は雲の中だったが、城山の上空には高積雲が広がり(a)、真上には青空が広がって飛行機雲が次々に出来ては消えていた(b)。am7:30頃散歩から戻った時にも外気温−4.6℃、室温2.2℃と低いままだった(c)。 ラジオを聴いていたら吉野家の牛丼の話がでてきた。これまで牛丼というものを食べたことがなかったので昼食に食べてみることにした。ネット上で調べてみると、日光地区には吉野家はないが、すき家があることが分かった(d)。とりあえずこの店で牛丼を食べてみた。ご飯は並で肉が多いという中盛りを注文した(e)。税込み480円と庶民的な価格だった。米の飯はベチャッとしていてお世辞にも美味いとは言えなかったが、牛肉は結構美味かった。この次宇都宮に出たときには吉野家で食べてみよう。 |
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右腕の皮膚の炎症がかなりよくなってきた(f)。10日前そして数日前とは雲泥の差だ。腫れが引いて腕が元の太さに戻り熱も下がった。まだ右腕全体に強い痒みが残っているが、以前と比較してだいぶ楽になった。かさぶたが消えるのも時間の問題だろう。 | |||||||
何年ぶりかで寝正月を決め込んだ | |
昨日は前夜11:30頃に就寝し、前夜に引き続き夜中に一度も目をさますことなく朝3時半過ぎに目を覚ました。最近2週間ほどは昼夜を問わず30分から1時間毎に右腕のガーゼ交換が必要で、山を歩いているときや夜中でも例外ではなかった。車にもリュックにもガーゼ交換のための用具を積んでいた。これはとても面倒な作業だった。早朝散歩の折に城山の頂で寒さに震えながらガーゼ交換をしたこともあった。だからこういったうんざりする作業から開放されて、一昨日久しぶりに温泉に入れたことはとても嬉しかった。 昨日am5:00の気温は外気温−6.9℃、室温0℃とこの冬一番の冷え込みで、その30分後には室温が0℃以下にまで下がった。冬場の朝の散歩は準備がとても面倒くさい。靴下の先にホッカイロを貼り、電熱インナー手袋の上からホッカイロを入れたミトンの手袋が必要で、前夜のうちに手袋の電池を充電しておかねばならない。ところが昨日は朝になって充電を忘れていたことに気づいた。酔っ払って眠ってしまったようだ。 そこで早朝散歩はやめて、朝っぱらから炬燵暮らしの一日を過ごした。午前中は今年初めてテレビのスイッチを入れのんびり箱根駅伝を見て過ごし、午後はウトウトしながら炬燵で読書といった典型的な寝正月を決め込んだ。夕食の前後にバナナを4本、みかんを7〜8個、コーヒーも7〜8杯ほど飲んだ。食後の酒は2合ほどに控えて、吉四六の壺入り焼酎を2盃ほど味わった。上品な味わいでとても美味かった。 |
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今年初の山歩き:御幸町から鳴虫山へ | |||||||||||||
昨日朝は元旦の朝よりも気温が低かった。ただ風は弱かったので日向では暖かさを感じた。早朝散歩のつもりで午前中に鳴虫山を歩いてきた。今年初の山歩きだった。 am6:50に自宅を出ていつも通り上鉢石の市営駐車場に車を駐めた(a)。am7:20に歩きだして御幸町側の登山口から山に入った。神主山(b)からの北斜面にはわずかに雪が残っていた(c)。am9:40頃に鳴虫山に着いた(d)。樹々の間や切れ間から男体山(e)と女峰山(f)が姿を見せてくれた。早い昼食をとり(g)、am10:00前に山頂をあとにした。合峰(h)、独標(i)と過ぎて、am11:30頃に憾満ガ淵に着いた(j)。珍しく憾満ガ淵の駐車場には一台の車もなかった(k)。車に戻ると上鉢石駐車場は満車だった(l)。
帰路やしおの湯に立ち寄った。ほぼ2週間ぶりの入浴だった(雑記2020.12.18)。珍しくとても混み合っていた。入浴できるということのありがたさをしみじみと味わった。 |
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昨夜は久しぶりに夜中に全く目をさますことなく、am5:00まで眠っていた。こんなことは数カ月ぶりのことだ。このときの気温は外気温−6.9℃、室温0.0℃。 | |||||||||||||
歩き染め:鶏岳ピクニック | |||||||||||||
大晦日から元旦にかけて2時間ほどしか眠らず、早めの朝食をとって初日の出を仰ぎに城山に登ったので、自宅に戻るととても眠かった。そこで日本酒を1合ほど飲んで一寝入りした。昼食後に再び1時間ほど午睡し、アルコールチェッカーで安全領域に落ち着いたのを確認してから、塩谷町の鶏岳に向かった。pm3:00を回っていた。 上空は青空が広がっていたが、西の方角は雪雲に覆われ尽くして日光連山は見えなかった。高原山をバックに鶏岳は聳えていた(a)。林道に車を停めて歩きだした(b)。ロープを張られた急斜面の岩礫帯に雪はなく凍結もしていなかった(c)。山頂近くの北斜面には雪がちらほら見られ(d)、遊歩道にも雪があった(e)。山頂(f)でみかんを食べた(g)。南側の城山方面は見晴らせたが(h)、日光連山方向は何も見えなかった(i)。往復の距離2.5Km、標高差300m、往復所要時間50分間のちょっとしたピクニックだった。 帰路、塩谷町のハズレの鬼怒川で越冬する白鳥の様子を見に河畔に降りた。100羽ほどが羽を休めていた(j, k)。帰宅すると薄暗くなり始めていた。 |
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咬傷跡に発症したひどいアトピー性皮膚炎のため四六時中出ていた滲出液が昨日の午後辺りから止まり、荒れた乾燥肌の状態になってきた(l)。これまでほぼ2週間にわたって1〜3時間毎にガーゼ交換が必要だったが、ようやく開放されそうだ。 ということは夜安心して眠れ、風呂にも入れることになる。市営温泉かたくりの湯は4日まで休みだが、やしおの湯は今日から開館する。鬼怒川公園岩風呂は元旦から開館していた。今日の午後は岩風呂かやしおの湯で温まれる。嬉しい限りだ。 |
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2020年大晦日の早朝散歩 | |||||||
昨年の大晦日は最高気温が摂氏3℃までしか上がらず冷え冷えとしてとても寒い一日だった。天気予報によれば大晦日から元旦にかけては日本列島に大寒波が押し寄せて、日光では早朝から曇りあるいは雪となって初日の出は望めないという。 昨日も城山で日の出を見られたので、ふだんの早朝散歩時の外の様子の一例として風景を列挙した。この時期自宅を出るときはまだかなり暗い(a)。城山の遊歩道の途中で山々が赤く焼け始め(b)、山頂に近づく頃に日の出を迎える(c)。たいてい山頂で少し明るくなるのを待つ(d)。昨日は日光連山は見えず(e)、気温は−3℃だった(f)。
今am3:50、外気温−5.9℃、室温1.8℃。一階居間で炬燵に入りながら記述。外は曇り。ファンヒータを30分ほど前から点火、今この部屋の気温は7.8℃まで上がった。これから早めの朝食をとり、城山に登って可能なら初日の出を仰ぎ一年の計を始める予定。帰宅後にさらに書き加えることにする。
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2021年元旦 城山からの初日の出 [am8:30追記] まだ真っ暗なam5:45頃に自宅を出て歩き始めた(g)。このときの室温0.2℃、外気温−6.8℃。少し進むと城山の麓の一隅が明るくなり始めた(h)。まだ薄暗い城山の頂きにam6:35頃に着くと、既に20人ほどの姿があった(i)。 am6:50頃には日の出を待つ人々の数は60名ほどに増えた(j)。例年だと120〜150名ほどだが、今年はコロナ禍の影響で少ないのだろう。日の出の時刻はam6:54だが東側の山に遮られて、城山山頂ではam7:00過ぎになった(k)。富士山がかろうじて見えた(l)。 |
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城山から戻ると、あらためて今年初の酒を飲み、モチを食った。 | |||||||
〇 | 2018年5月26日 | 浅井淑子 交通事故に遭い死亡 |
〇 | 2017年1月 | きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした |
〇 | 2017年1月 | こけ雑記 再開 |
〇 | 2015年6月26日 | 福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居 |
〇 | 2012年1月26日 | 埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居 |
〇 | 2006年7月 | こけ雑記 開始 (2011年8月 中断) |
〇 | 2001年4月 | 今日の雑記 開始 |
〇 | 2000年11月 | きのこ雑記 開始 |
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