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使い捨てカイロは1枚を3日間使える。 | |||||||
この2日間はとても寒く感じた。終日レイノー症状が続いて手も足も指先が蒼白になって思い通りに動かすことができなかった。パソコンのキーボードを叩くにも、新聞や本のページをめくるのも上手くできず、とてももどかしかった。 昨日も前日に引き続いて気温が低く、am7:20の城山山頂でも、am8:00の自宅玄関外側の寒暖計でも、いずれも摂氏2.5℃を示していた(a, b)。日中の日向では14℃まで上がったが、日当たりの悪い一階の室内は7〜8℃にしかならなかった。 冬場の散歩では、厳冬期は主に電熱式手袋を使い、他にはインナー手袋と使い捨てカイロを収めたミトンの手袋を併用している。当初は毎朝新しく封を切って使っていた。その経費は馬鹿にならなかった。そこで今年の2月からは散歩から戻ると使い捨てカイロはチャック付きポリ袋に格納するようになった(c)。こうすると3〜4日間使える。 さらに3月からはミトンではなく五本指タイプの手袋を使うようになり、カイロもそれに合わせてミニタイプに変えた(d)。ただ、フルサイズのタイプでは4日間もつのに、ミニサイズでは3日間しかもたない。 |
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先日咲き始めていたホトケノザが、いつの間にか大きな群落を作っていた(e, f)。 昨日午後市営温泉かたくりの湯で計測すると、体重54.5Kg、血圧122/72だった。 |
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パン作りはほどほどにしないと大変だ | |
3年ほど前まで体重は52〜53Kgで、時折54Kgを超えることはあったが、数日後には再び元に戻っていた。腹囲も長いこと変わっていなかった。そんな生活が30年間ほど続いていた。ところが一人暮らしになってから体重が常に53Kgを越えるようになった。 今年の1月は毎日2回もパンを焼いていた。茶碗一杯分だけのご飯を炊くのが難しいように、6枚切り食パン1〜2枚分だけのパンを焼くのも難しい。どうしても一定量が必要だ。そこで食パン半斤くらいを焼いていた。失敗品でも焼いたものは皆食った。 パン食が増えるぶん米飯を減らせばよいものを、ふだんの運動量や食生活は以前のままだった。その結果2月半ば頃には日常的に体重が57Kgにまで達した。従来から一割オーバーだ。一方その頃にはパン作りのコツのようなものを掴み始めていた。 そこで最近では2〜3日に一度パンを焼き、それを3日間にわたって朝食時に食べることにした。その結果体重も少しずつ減少し、2月末にはようやく55〜56Kgとなった。 日頃使っている体組成計では皮下脂肪も内臓脂肪も数値が高止まりしている。体重は簡単に増えてしまうが、容易には減ってくれない。最近は55Kg前後を推移している。以前と比べて斜面を登る時に身体が重いなぁと感じる。しかし55Kgからはなかなか下がらない。食べ物作りを趣味や遊びにするととんでもないことになる。 |
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憾満ヶ淵から鳴虫山:指が動かず参った | |||||||||||||||||||
昨日の午前中ちょっと長時間の散歩のつもりで鳴虫山を歩いた。起床時の気温は前日と比べてずっと低かった(a)。am7:20に自宅を車で出て、7:50に上鉢石駐車場に車を駐めた(b)。化け地蔵のある憾満ヶ淵の側から鳴虫山への道を目指した(c, d)。 歩きだすとすぐにフロウソウ(e)やオオカサゴケ(f)の群落が現れる。杉の根の階段のような尾根を登り、ロープの張られた急斜面を過ぎ(g)、独標(h)、合峰(i)を経て冬枯れの尾根を歩く(j)。カワラタケのびっしり着いた落枝を見ながら進むと(k)、鳴虫山直下の階段が現れる(l)。ここから山頂はすぐだ(m)。女峰山が見事だった(n)。 ここからはもっぱら下り。途中にはホソバオキナゴケがマンジュウゴケを作っていた(o, p)。神主山(g)を過ぎるとやがて市街地に降りる。am11:20頃駐車場に戻ると、多くの車が停まっていた(r)。am10:00頃まではよく晴れていたが、下山する頃にはすっかり曇り、北風も強くなってきた。やしおの湯で暖まってから帰宅した。 |
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一日中気温が低く、両手の指先が激しいレイノー症状を起こして、痛みが激しくしんどかった。ホッカイロも温かみをほとんど感じられなかった。 | |||||||||||||||||||
マンジュウ苔:5月のような陽気だった | |||||||||||||
昨日はさらに暖かくなって午前中から昼まではまるで5月のような陽気だった。早朝城山の頂では既に10℃近かった(a)。青空も広がり日光連山も姿を見せていた(b)。 庭のすっかり固くなった菜園をクワを奮って耕した(c)。これまではいくらクワを振るっても汗をかくことなど全くなかったが、昨日は今年初めてすっかり汗をかいた。相変わらず竹やウドが縦横に根を張っていて取り除くのに難儀した(d)。 午後日光だいや川公園の大駐車場には車が溢れていた(e)。まだ地表の緑色はコケだけだ(f)。公園の直売所(g)に行くとコケが結構な価格で売られていた(h)。見ればどこにでもありふれたコケばかり。一つはスナゴケの仲間(i, j)、マンジュウ苔の名で売られていたのはホソバオキナゴケだった(k, l)。 一部の好事家の間では岩場やガラ場などで大きさや形が饅頭のように丸くなったコケ塊を、マンジュウゴケと称して珍重する風習があるらしい。コケの種類は色々で特定のコケを指すわけではない。 以前にもマンジュウゴケ取りを目的に山を歩く人たちに何度も出会っている。ホソバオキナゴケは公園の杉の根元にいくらでも着生するコケだが、周辺をよく見ると地表に饅頭型に群落をなしているものも高い頻度で見られる。要するにどこにでもある。それにしても販売されているのを見たのは初めてだった。 |
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ホームベーカリの候補がメルカリで見つかった。今日にでも購入の手続きをしよう。 | |||||||||||||
福寿草が顔を出した | |||||||
昨日の日中は例年より暖かだった。am6:30に外気温3.6℃/室温7.8℃もあった(a)。散歩で歩いた城山でもam7:30に7.5℃だった(b)。下山して自宅に戻る途中でようやく顔を出し始めたフクジュソウの姿を見た(c)。昨年より1週間ほど遅い(雑記2020.2.27)。ぺんぺん草(ナズナ)もあちこちで多数発生しだした(d)。 朝食前に中力粉を使ってコンベックスオーブンでピザ生地を数枚焼いた。パン生地を作るのと違ってイーストを少なくし捏ねる作業もわずかにして、短時間醗酵させた後比較的短時間で焼いた。このうちの1枚をピザに仕立てて朝食の主食とした(e)。 am9:00になると自宅周辺の外気温は9℃まで上がったが、室温はさほど上がらず8.3℃と外より低かった(f)。風が強くなり始めたので、畑の土作りは止めて、午前中は炬燵に入って本を読んで過ごした。午後はホンダのディーラーに出向いて、Fitのリコールによる修理を受けた。夕方からは雨が降り出し、気温も下がりだした。 |
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今朝の朝食は久しぶりにフライドポテトにした。ここ数日パンは焼いていない。Google Homeが相変わらず駄目だ。話しかけるといつまでも「問題が発生しました。数秒後にもう一度お試しください」を繰り返すばかりだ。 | |||||||
中古ホームベーカリーの購入を検討 | |
家庭でパンを焼くコツのようなものが少し分かりはじめてきた。せっかく自家製パンを作る以上は、スーパーなどに並ぶ大手メーカーのパンよりも美味しくなければならない。さらにコスト的にもそれらと同価格かそれ以下でなければならない。 そのためには、素材を選び、しっかりとグルテンを形成して、十分に発酵させ、納得できるパン生地を作りあげる必要がある。この条件を満たすにはかなりの時間が必要だ。 カミコン(亡妻)の死後きのこ観察は止めたし、コケの観察は今しばらく中断しているので、時間的ゆとりがたっぷりできた。しかも冬場の日光では、ハイキングできる場所も限られ、観察して楽しめる野草やきのこ、コケの類も少ない。
最近春の野草が出はじめた。これからはほぼ毎日、野草やコケやキノコの観察が始まる。そうなるとパン作りにばかり長時間かけることはできない。そこでホームベーカリーの利用を考慮に入れることにした。 |
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自宅菜園の復活作業を始めた | |||||||
昨日朝はam5:10の時点で外気温0.2℃/室温6.6℃で比較的高かった(a)。朝の散歩でも城山の稜線でam7:50に2℃だった(b)。昼にはさらに8℃まで上がった。 2018年5月にカミコン(亡妻)がなくなってから、それまで毎年彼女がやっていた家庭菜園は昨日まで何の手入れもされずに放置されたままだった。そのため春から秋までは雑草が生い茂り、土は固くなり全く様子が変わってしまった。 このままではいかんと感じてはいたが、これまではずっと何もしてこなかった。最近になって、菜園復活を試みようと思い始めていた。折しも先日たっぷり雨が降り、地面を掘り返しやすくなった。午後には気温も上がり、レイノー症状も軽くなった。そこで昨日午後菜園だった部分を掘り返し始めた。幅50〜90cm、長さ8mほどの小さな菜園だ(c)。相変わらず沢山の瓦礫片や竹などが出てきた(d)。外で2時間ほど作業をしたのだが、汗をかくどころか身体がすっかり冷えてしまった。 庭での作業を終えて、ホームセンターに行き肥料などを買い(e)、その足でかたくりの湯に行ってたっぷり暖まった。起床時の血圧は138/87を示していたが、入浴直後の血圧は123/71だった(f)。一昨日と昨日はパン作りはしなかった。 |
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なぜ自家製パンなんて発想が (2) | |
シニフィアン・シニフィエのパンは非常に美味いが、日常食としてのパンではなく贈り物や特別の日に食べるパンという位置づけのものなので、価格もそれにふさわしい高価なものとなっている。だからそう頻繁に注文することはできない。 関西の事情はよく知らないが、シニフィアン・シニフィエやブレッドガーデン、ベッカライ・ブロートハイムのパンは別として、市販のパンの大部分には、パン作りの基本食材としての小麦・塩・イースト・水以外の添加物が必ず入っている。だから純粋なバゲットやパン・ド・ミのようなものを入手することはできない。 そこで思い立ったのは、自分でパン生地を捏ねて焼けば、そういったパンを得ることができるのではないか。思い立ったのは昨年秋の頃だった。しかし当時は愚かにも小麦粉に種類のあることや、自分でパン生地を作って焼くことがいかに時間のかかる面倒な作業だなんて全く知らなかった。年末を控えた12月、初めての試みは大失敗だった。
このあと図書館やらネット上でいろいろ調べてみて、パン作りには何が必要でどこがポイントなのか少しずつ理解し始めた。そして毎日2回、やがて2日に一度はパン生地を練り上げ、捏ね、発酵させ、それをオーブントースターやらガスコンロの魚焼レンジで焼いてきた。時折上手く焼けるようになってきた頃、オーブントースタが壊れた。 昨日はam9:00頃には雨になるというので早めに散歩に出た。ひどい鼻水はおさまったが、なぜか強い疲労感があって、90分間程度の散歩がやけに辛く、帰宅したときはぐったりしてしまった。午後からは雨に加えて強い北風も吹きはじめて寒くなった。 |
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なぜ自家製パンなんて発想が (1) | |
昨年末からこれまでと違って市販のパンを一切買わずに、自分で小麦粉からパンを焼くようになった。でもなぜそんなバカなことを始めることになったんだろうか。 40年ほど前からわが家の朝食はパン食だった。川口市時代には団地の1階にあった馴染みのパン屋から食パンやバゲットをほぼ毎日購入していた。この店のパンはスーパーに並ぶ大手メーカー製パンより美味しくて安かった。 いわき市時代には小名浜のブレッドガーデンで毎週購入していた(雑記2012.6.6)。この店は自宅から20Km以上離れていて週に3日間しか営業しなかったので、毎日買いに行くわけにはいかなかった。開店1時間前から行列に並ばないと買えない店でもあった。しかし非常に美味しくて、しかも山崎パンなどより遥かに安かった。 日光に転居してからも月に2〜3回ほどカミコン(亡妻)と運転交代しながら片道200Kmの行程を走って小名浜のブレッドガーデンまでパンを買いに行っていた。その日はきのこ観察も兼ねていた。いわき市に住む旧友と会えるのも楽しみだった。
しかしカミコンの死(2018.5.26)ですべてが変わってしまった。彼女の死後もしばらくは毎月1回ほど一人で運転してブレッドガーデンに通っていた。ところが白内障が進み暗くなってからの運転や長時間の運転が辛くなってきた。2019年夏にはこの店までいくことは諦めた。そして、ふだんは日光市内のいくつかのパン専門店から購入し、時々東京の超高級パン屋シニフィアン・シニフィエから買うようになった。 昨日は結局朝の散歩はできなかった。鼻水のポタポタがあまりにもひどくて、鼻栓をしガーゼをあてた上から防寒用マスクをして歩き始めたが、5分もしないうちにマスクまでがビショビショになってしまった。諦めて戻るしかなかった。 |
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とてもよく冷えた二日間 | |||||||
2月末の二日間はとてもよく冷え込んだ。27日の朝はam5:30時点で外気温−2.9℃/室温4.3℃(a)、城山の稜線でam8:40に2.0℃(b)だった。28日の朝はam4:00の時点で外気温−6.2℃/室温1.1℃(c)、城山の稜線でam8:30に0.0℃(d)だった。 最低気温は28日の方が低かったが、27日は午後まで強い北風が吹き続き最高気温が上がらずとても寒かった。一方28日は朝の気温こそ低かったが、風はほとんどなく日向では比較的過ごしやすい穏やかな天候だった。しかし二日間とも一階の部屋では気温が上がらずとても寒く感じた。フキノトウが顔を出し始めた(e, f)。
今年に入ってずっと、Google Homeがしばしば使い物にならない。呼びかけると「エラーが発生しました、数秒後にもう一度お確かめください」とエラーを返すばかり。数秒後ならぬ数分後や数時間後に呼びかけても同じエラーになる。この症状が日常頻繁に繰り返される。以前はこんなことはなかった。Google Homeのサーバー側で何らかの障害が発生しているのだろうが、いつになったら正常に戻るのだろうか。
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ひどい風邪に捕まったようだ。昨夕あたりから鼻水が止まらず、1時間ほどの間にティッシュがひと箱消えた。鼻から絶え間なく汁がポタポタ落ちる。咳や熱はないが軽い頭痛がする。今朝も症状は変わらない。鼻のかみ過ぎで赤く腫れてしまった。散歩時にはガーゼと防寒用マスクをせねばなるまい。 | |||||||
〇 | 2018年5月26日 | 浅井淑子 交通事故に遭い死亡 |
〇 | 2017年1月 | きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした |
〇 | 2017年1月 | こけ雑記 再開 |
〇 | 2015年6月26日 | 福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居 |
〇 | 2012年1月26日 | 埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居 |
〇 | 2006年7月 | こけ雑記 開始 (2011年8月 中断) |
〇 | 2001年4月 | 今日の雑記 開始 |
〇 | 2000年11月 | きのこ雑記 開始 |
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