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2021年8月20日(金)  カリガネソウに逢いたくて
 昨日奥日光の龍頭の滝上駐車場に車をとめ、高山経由で千手ヶ浜に入り、浜辺で1時間ほど午睡をとり、湖畔通りを菖蒲ヶ浜経由で戻った(a)。この日の主目的はカリガネソウとの出会いを求めての散策だった。
 am6:30頃霧雨の中、自宅を出て7:15頃に龍頭の滝上駐車場に車をとめた。他には1台しかいなかった(b)。上空には青空が広がり始めていた。ここからの高山は比較的緩やかな登りが続く(c)。山頂(d)からは眼下に中禅寺湖が見渡せる(e)。湖岸の熊窪に降りる道は最初が意外と急だ。千手が浜に着くと穏やかな湖の上には青空が広がり、男体山が堂々とした姿をみせていた(f)。日陰で風に吹かれると寒いくらいだった。
 千手が浜では例年クロカワが発生する場所が数ヵ所あるが、どこも年々数が少なくなり小さなまま腐ってしまうものが増えた。この日は小さな子実体が幾つかでていたが(g)、その脇には腐敗臭を漂わせて腐敗したクロカワが幾つかあった。
 今年もカリガネソウに逢うことができた(h〜k)。この花には強い悪臭があるとされるが、千手が浜のカリガネソウに関しては悪臭はほとんど感じられない。
 浜辺で1時間ほど昼寝をしてから、湖岸通りを菖蒲が浜に向かって歩いた。龍頭の滝上駐車場に戻ったのはpm2:15頃だった。十数台の車が停まっていたが(l)、大半が首都圏のナンバーだった。地元ナンバーは自車を含めて2台だけだった。
 
(a)
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(c)
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(k)
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 落石直撃事故に遭ってから今日で満二ヶ月。骨はほぼ元の状態に戻ったようだが、腱盤は未だに回復からはまだ遠い。毎日20〜30分ほどリハビリを続けているが、元通りに回復するのがいつ頃になるのか皆目見当もつかない。


2021年8月19日(木)  腕立て伏せ?:新たなリハビリ項目
 昨日は昼前までずっと雨だった。正午近くになってほとんど止んだので散歩に出た。城山は泥濘の斜面が考えられるので近寄らなかった。散歩は専ら平地のみ。
 起床時布団の上で腹ばいになって両腕を畳について恐る恐る体を支えてみた。6月20日以降初めての姿勢だ。少し前までは痛みが激しくて一度も体を支えることができなかった。昨日は痛みがかなり軽くなっていた。右肩を庇いながらゆっくり腕を曲げてみた。腕立て伏せ(モドキ)だ。腕が直角になるあたりまで体を下げることができた。
 しかし、そこまでが限界だった。それ以上腕を曲げて体を下げようとすると右肩のあたりが激しい痛みに襲われる。つまりまだやってはいけない領域に踏み込む恐れがある。安全圏の範囲でこの腕立て伏せモドキを5回やっただけで、腕がとてもくたびれた。筋力が極端に落ちている。でも新たなリハビリ項目として追加できそうだ。まずは週に2回ほど追加できるようにして、そのうちに腕を深く曲げる練習に入りたい。
 スワイショウは太極拳や各種武道でも準備運動として位置付けられているが、これを少し前から日々のリハビリに加え始めた。これも当初は恐る恐る腕を振ってみたが、痛みは徐々に少なくなっている。それ以前から右腕を軽く振って歩くというリハビリを始めていたが(雑記2021.8.2)、その効果の顕れだろう。


2021年8月18日(水)  昨日も終日雨
 昨日もまた終日雨の一日だった。早朝は小雨だったので傘を持って散歩に出た。土の道は連日の雨で泥濘状態になった場所があるので畦道や山道を避けて平らで歩道のある舗装道路を5Km、1時間ほど散策した(a)。帰宅すると衣類がグッショリ濡れていた。
 主要県道と国道バイパスの交差点から城山方面を見ると、一面雲の中で城山の姿は全く見えなかった。城山と反対方向に足を向けた。途中にレンコン栽培農家があり、例年一面に見事な花が咲く。敷地の中で落ち着いて花を楽しめるように地主が看板をだしてくれている。先月はよく咲いていたが、昨日は既に大きな実をつけていた(b)。
 日光ではソバの栽培が盛んだが、その一方で野生化したソバがいたるところに見られる(雑記2021.6.26雑記2020.7.15 他)。この日の散歩コースでも歩道と車道の間の仕切りブロックから今年も花をつけていた(c, d)。ソバ畑ではこの時期は、秋の収穫に備えて撒かれた種から若い苗が顔を出した状態だ(e, f)。
 
(a)
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(b)
(b)
(c)
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(d)
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(e)
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(f)
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 首都圏などに出されていた緊急事態宣言が9月12日までに延長され、新たに栃木県にも適用された。マスク自警団がますますうるさくなることだろう。


2021年8月17日(火)  ことしもミヤマウズラに逢えた
 昨日は終日霧雨の一日だった。早朝散歩で城山に登ると野生ランのミヤマウズラが2株花をつけていた(a〜c)。城山では昨年8月7日に、一昨年は鬼怒川温泉裏山で9月5日に、龍王峡で8月25日に出会っている。誰かが保護の処置をとっていた(d)。
 城山ではガンクビソウ(e, f)、オトコエシ(g〜i)、マツカゼソウ(j〜l)が最盛期で遊歩道のいたるところに多数の群落を作っている。山頂台地では数日前小さなイグチが群れて6個出ていたが、昨日はこれらのカサがすべて繋がっていた(m)。切株にはあちこちでツノマタタケがよく目立った(n)。
 昼食後に日光だいや川公園に行ってみた。大駐車場には多くの車がみられた。お盆の最終日らしく県外車もとても多かった。キノコはいたって少なかったが、異形胞子を持つベニヒガサの仲間(p)、ヒメコナカブリツルタケ(q)が多かった。ご禁制品もよく無事にこの大きさまで育ったものだ(r)。今の時期花は少ないが、キツネノカミソリ(o)の群落が大きく広がっていた。
 
(a)
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(r)
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 このところ西日本では豪雨が猛威をふるっているが、日光でも連日雨。とてもこの時期とは思えないほど気温も低く、夜は夏掛けだけでは寒い日が続いている。


2021年8月16日(月)  終日ひんやりとした雨の一日
 昨日も一昨日に引き続いて一日中雨。そして気温が上がらず、夜になると寒いくらいだった。そこで夕食は冷蔵庫の残り物を寄せ集めて鍋にした。残り物はジャガイモ、玉ねぎ、唐辛子、キャベツ、ソーセージ、大根、ゴボウで、結果的にはあまり鍋物らしくない鍋になった(a)。
 運動量に比較して食事量が多すぎることが明確になったことを考慮して、今朝からはこれまでの朝食と違って、目玉焼きは卵二つから一つに、牛乳と葉物野菜はこれまでの半分ほどの量に、パンは一斤四枚切りから五枚切りにした(b)。
 朝は本降りの雨のため三日続けて散歩には出られなかった。ふと台所の換気扇を見ると油汚れでカバーも本体も薄汚れて茶色になっていた。妻の死以降3年以上カバーも取り換えていなかった。そこで本体を壁から取り外して丁寧に油を落とし、新らしいカバーをかけた。油落しに時間がかかり、2時間以上かかったが見違えるほどきれいになった(c)。右腕が肘から先しか使えないので、換気扇の清掃には予想外の時間がかかった。
 
(a)
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(b)
(b)
(c)
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(d)
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(e)
(e)
(f)
(f)
 午後3:00頃から小降りになったので、傘をさして散歩に出た。城山を横目で見て平地だけを約1時間、5Kmほど歩いた(d)。城山登山口の駐車場には常連の車が3台駐まっていた。以前は雨でも気にせず城山に登っていたが、今は右肩がリハビリ中なので横目で通り過ぎた。田んぼでは稲穂がずいぶん大きくなっていた(f)。


2021年8月15日()  鏡を見て愕然とした
 さる6月20日の事故から今日までのおよそ2ヶ月はそれ以前に比べると圧倒的に運動量が減っている。特に上半身の運動量はほぼゼロだ。事故前と比べると52.5Kg前後だった体重が53.0Kg前後になったが、他には特に大きな変化は感じていなかった。
 さらにコロナウイルス感染対策のため市営温泉が休館になり、鏡の前に全身を晒すこともなくなった。最近何となくズボンがきつくなったように感じていたが、体重にはさしたる変化がなかったので、気のせいだろうくらいにしか思っていなかった。
 昨日シャワーを浴びた後、鏡に映った自らの腹まわりを見て愕然とした。たった2ヶ月で腰のあたりがブヨブヨと醜くたるんでいた。そして、胸や腕の筋肉がガタガタに落ちていることに気づいた。腕は見るからに細くなり胸囲も2cmほど少なくなっていた。自らの体のこんな姿は何年も見たことがなかった。悪夢のように感じた。
 足腰など下半身には特に変化はなかったが、上半身では本来あったはずの筋肉が落ちて、その分が脂肪に入れ替わってしまったようだ。そして腹の臍の上側を摘むことができなくなっていた。これは皮下脂肪が増加した証だろう。ということは内臓脂肪も増加しているはずだ。体組成計(TANITA)の内臓脂肪レベルが以前は1.0〜2.0だったのが、最近は2.5〜3.5あたりを上下している。柔軟性も極端に悪くなっている。
 右肩の腱盤が回復するまでこの先まだ数ヶ月は上半身の運動はできない。さらに事故前に比べて食事量は増えている。運動量に見合った量に減らす必要がありそうだ。


2021年8月14日()  お盆初日のの宇都宮
 昨日の朝食のパンは久しぶりに自分で捏ねた(a)。前夜のうちにパン粉を捏ねて寝かせておき、これを朝コンベクションオーブンで焼いた。これまでと違って粉の半分を米粉にしてみた。100gの強力粉、米粉100g、塩4g、イースト4g、水160ccを使い、バターや砂糖などは使わなかった。小麦粉だけで作ったパンとはひと味違った味わいがあったが、小麦粉だけのパンの味にはとても及ばなかった。たまにはいいだろう。痛みが出るので右腕に力が入りにくくて、パン粉を捏ねるのに多少難儀した。
 昨日は県立図書館から借りていた本の返却日だった。ときはお盆の初日。今年はコロナ騒ぎのため例年とは違ってさほどの混雑はないだろうと思っていた。それは甘かった。自宅を出て20分ほど走るとにわかに車が増えてきた。
 am10:30過ぎには宮環(宇都宮環状道路)では両者線とも大渋滞が発生していた(b)。そこで裏道に逃げると、地元車が右往左往していた。図書館まで普段の倍ほどの時間がかかった。図書館の中は普段よりはるかに来館者が少なかった。
 
(a)
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(b)
(b)
(c)
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(d)
(d)
(e)
(e)
 最近は味噌ラーメンというともっぱら幸麺だが、昨日は麺屋みそいちで食べてみることにした。宮環沿いの駐車場が満車で入れない(c)。そこで近くのスーパーたいらやに車を駐めた。冷やしつけ麺を食べたが(d)、かつての味とは違っていた。期待外れ。ひところより味が落ちた気がする。つい幸麺と比較してしまう。今後はわざわざ立ち寄ることはなさそうだ。帰宅して玉ねぎとコーヒーで口直しをした(e)。


2021年8月13日(金)  避暑とリハビリのハイキング (2)
 切込湖に近づくと気温下がり湿度の高い針葉樹林になる。昼でも薄暗い遊歩道の周りはコケむした岩がゴロゴロしている。足元の道脇にはカニコウモリが群生していた(a〜c)。カニコウモリに出会ったのは昨年の太郎山や女峰山以来だった。長さ7〜10mmほどの棒状の小さな花だが(b)、ルーペで観ると実に興味深い姿をしている(c)。
 久しぶりにタイ類を一種類持ち帰ってきた(d〜f)。このところコケ観察からは少し遠ざかっていたうえに、タイ類に至っては最近ほとんど観察していなかった。各パーツを観察した後に図鑑やモノグラフを頼りにパズルを解く様に、種の同定やら生態の再確認をするのはとても面白い。雨降りの日などは観察にちょうどよい。
 日光市の山野ではヒカリゴケは少しも珍しいコケではないが、そのつもりで注意しながら歩かないと気づきにくい。この日は特に注意して歩いたわけではないが、7〜8ヵ所でヒカリゴケに出会った(g〜l)。
 これまで群馬県片品村(2017.9.4採集)、山梨県山梨市(同2010.8.21)、長野県山ノ内町(同2010.6.13)で採取したものについては「こけ雑記」に記した。しかし日光産のヒカリゴケは詳細に観察したことがない。でもこの日も採集はしなかった。国内では地域による差異はほとんどないのではないかと思っている。
 久しぶりに切込湖の湖畔に降りた(m)。ハイカーの多い刈込湖畔と違ってとても静かだ。今年は珍しく切込湖と刈込湖が細々とながら繋がっていた(n)。
 
(a)
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(b)
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(c)
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 切込湖刈込湖のハイキングを終えて日光湯元に降りた。いつも気になっていた「あんよの湯」に15分ほど足を浸した(o, p)。なんとなくそれまでの疲れが取れたような気がした。この日は涼しくてほとんど汗をかいていなかったが、日光山温泉寺で硫黄系の濁り湯を楽しんだ(q, r)。入湯料500円はそのままだ。その後、戦場ヶ原に向かったが、この頃には背中のリュックによる右肩への負担はほとんど気にならなくなっていた。光徳駐車場に戻ると、首都圏からの車の多さに驚いた。そうか 今はお盆直前だった!


2021年8月12日(木)  避暑とリハビリのハイキング (1)
 昨日奥日光の切込湖・刈込湖を歩いた(a)。総距離は15Kmほど、標高差は350m程度だった。主たる目的は暑さから逃れることと右肩の腱盤のリハビリだ。昨日はカメラバッグの他に小さなリュックを背負った(b)。とはいっても、両サイドにミニ三脚とステッキをとりつけ、リュックの中身はプチプチだけ。ふだんこのリュックを使うのは荷物が7〜10Kgほどの場合だが、昨日は目的がリハビリゆえ3Kgほどに抑えた。
 自宅を出たのはam6:50頃だが、既に摂氏22度もあった。およそ1時間後に赤沼駐車場に立ち寄ると予想外に賑わっていた(c)。車ではエアコンを使わずに窓を開けて走ってきたが、赤沼では車内の温度計は18度だった(d)。数キロ先の光徳駐車場に車を駐め(d)、山王峠に向かった。軽いリュックのため、緩い道では肩の痛みはほとんどなかったが、急な木製階段の上り下りでは(f)少し乱暴に歩くと右肩に痛みが走った。
 山王峠(g)の少し先の林道出会い(h)から涸沼までは意外と急で(i)、静かに足を運ばないと右肩にやや強い痛みを感じた。涸沼から切込湖まではずっと緩やかな針葉樹林帯になり、途中には何種類かのきのこにも出会った(j〜r)。
 
(a)
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(b)
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(c)
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(q)
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(r)
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 切込湖から先のことは明日の雑記に記す。主なトピックスとしてはあちこちでヒカリゴケがみられたこと、日光湯元の「あんよの湯」という足湯が意外と快適だったこと。湯滝から戦場ヶ原を抜けて光徳駐車場までほとんど暑さを感じなかったことだ。


2021年8月11日(水)  落石直撃事故から早や50日
 去る6月20日に山で落石の直撃に遭ってから早くも50日以上経過した。骨折部分はかなり繋がったらしく触れても痛みは全くなくなった。咳やクシャミをしても痛くない。この分だとあと1ヶ月もすればほぼ元の状態に回復するのではないかと思う。
 腱板断裂は骨折と違ってなかなか繋がりにくいらしい。元の様になるまでには少なくともあと数ヶ月は必要らしい。完全断裂の場合には手術をしないと繋がる可能性はゼロに近く、放置した場合自然治癒の可能性は低いという。
 幸い完全断裂ではなかったので、リハビリをしながら放置する道を選んだ。右肩の該当箇所に触れると未だに強い痛みがある。さらに右腕の動きがある範囲を超えると激しい痛みに襲われる。つまりそれは回復を妨げる限界ということだろう。

 受傷してから最初の20日間ほどは、右腕の重みがもろに肩にかかって凄まじい痛みを感じたので、日中は三角巾で右腕を吊って過ごした。亡妻が看護師だったこともあって、自宅には三角巾や包帯を始め医療関連品がかなり残っていた。
 幸いなことに右腕の肘から先は動かすことができたが、衣類の着脱には腕の動きが必要だ。これに非常に難儀した。最初の1週間ほどは汗で濡れたTシャツなどを脱ぐことができずに、ハサミで切って脱いだ。7〜8着のTシャツが犠牲になった。その後前開きのシャツやLLサイズのTシャツを利用するようになり無理せずに脱げるようになった。
 前にも記したが、外を歩くときは小型のショルダー式カメラバッグに腕を乗せて固定して歩くようになった(雑記2021.8.2)。カメラバッグは幅があって腕を乗せやすいし、腕振りのリハビリも楽にできる。しんどくなったらまた腕を乗せればよい。

 この50数日、片腕が使えないことの大変さを痛感する毎日だった。これは現在進行形だが、少しずつ右腕を動かせる範囲が広がりつつある。事故の数日後にX線撮影をするため車を運転したが、そのときは完全に左手だけで難儀した。7月末頃には右腕を補助的に使えるようになり、ハンドル操作もかなり楽になった(同2021.7.25)。

 7月はとうとう一回も山歩きができなかった。8月になってようやく山を歩くことができるようになったが、歩く対象はおのずと限定された(同2021.8.6同2021.8.5)。このときの貧弱な装備は識者からは顰蹙を買うだろうが、自分にとっては何度も訓練を重ねてきて安全な範囲のものだ(同2020.10.25同2018.11.3)。来月あたりになれば軽いリュックを背負って山を歩くことができるだろう。



[節目]

2018年5月26日浅井淑子 交通事故に遭い死亡
2017年1月きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発
 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした
2017年1月こけ雑記 再開
2015年6月26日福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居
2012年1月26日埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居
2006年7月こけ雑記 開始 (2011年8月 中断)
2001年4月今日の雑記 開始
2000年11月きのこ雑記 開始

[過去の雑記]

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2009 中下 中下
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