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今回の事故後の行動の反省 | |
さる6月20日(日)に遭遇した落石直撃事故後の行動に関して(雑記2021.6.21)、反省すべきことがある。今後のためにも忘れないうちにここに残しておこうと思う。 事故後1週間ほどは極度の疲労感と強い痛みで、当時の行動の是非を判断するゆとりがなかったが、10日経過した今頃になってようやく、何が起こったのか、なぜそうしたのか、その結果はどうだったのか、などを冷静に振り返ることができるようになった。 反省すべきは、激しい痛みを抱え疲労困憊した体で、しかも右手左足がほぼ使えない状態で車を運転したことだ。通行中の他車や人に危害を及ぼすおそれがある極めて危険な行為だ。もし万一事故でも起こしていれば、一段と重い刑罰が科せられることだろう。半日待ってでも運転代行かタクシーを利用すべきだった。 単独で山に入って、骨折などの重傷事故に遭遇したことは過去にも二度あった。また、友人らと行ったスキー場で骨折したこともある。いずれもその日のうちに自力で宿舎なり列車の駅に戻っている。そして病院ではX線での診断だけを受け、治療行為は受けなかった。ただ、これらはいずれも30歳台のことで、高齢となった今では通用しない。 40歳を過ぎた頃登山用具はすべて処分し、以後30年間ほど山には登らなかった。日光に転居後、夫婦でキノコ採取を兼ねて山を歩くようになった。妻の死後(2018.5.26)再び独りで山に登るようになった。かつての体力・技術・判断力・運動神経は年相応に衰えている。これらを考慮していたつもりだったが、どこかに過信があったように思う。 |
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自力で生還できたが、これは山岳遭難だ | |
今回の落石直撃に伴う事故(雑記2021.6.21)は、たまたまいくつかの偶然と幸運が幸いして何とか自力で生還できたが、ケガの程度が全身打撲と骨折だから、一般論でいえば「重症」の部類に入るだろう。これはまさに山岳遭難そのものだ。 無事に生還できたのは、落石直撃の衝撃で谷底まで落ちなかったこと、落石が頭部や顔に当たらなかったこと、さらにリュックを介して肩や背に当たったこと、事故現場から庚申山荘までの岩壁通過部分が1Km弱と比較的短距離だったこと、全身打撲でも右脚と左腕が何とか使えたこと、などの偶然と強運の賜物といえる。
落下地点から上を見上げた時、登山道まで這い上がるのは不可能に思えて絶望的な気持ちになった。ふと下を見ると岩壁は深く切れ落ちていた。呼吸すると胸が猛烈に痛み右腕には全く力が入らず、左腕からは出血、足腰は動かすと猛烈な痛みが走った。 事故から9日経過。擦過傷や打撲による傷口の大部分が瘡蓋状態になってきた。両腕、両脚、腰、背中、肩などに十数ヵ所あって、今痒くて痒くてどうにもならない。夜中に知らず知らずのうちに掻きむしっているらしく、あちこちで瘡蓋が中途半端にはがれ小さな出血がある。昨日あたりから右腕上部から肩のあたりが腫れて熱を持つようになってきた。骨がくっつき始めた証か。右腕全体はまるでアトピー性皮膚炎のようだ。 |
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ベニタケ属を覗いて遊んだ | |||||||||||||
このところわずかの振動でも右肩に激痛が走るので、かつてのように早朝散歩で城山を歩いたりはできない。昨日は何もせずとも右腕と肩の痛みが強いのであえて屋外には出ずに自宅に籠ってじっとしていた。読書やビデオばかりでは退屈なので、前日カサのかけらを持ち帰ったベニタケ属(a, b)を顕微鏡で覗いて遊んだ。 持ち帰ったカサのかけらの一部から胞子紋をとり、それをメルツァー試薬で封入した。表面(c)と輪郭部(d)に合焦して胞子表面の網目状の隆起部を見た。次いでヒダの一部の薄片を切り出した(e)。ヒダの先端部を拡大してみると、分かりにくいが縁シスチジアがあることがわかる(f)。側シスチジアはなさそうだ。子実層の一部を拡大してみた(g)。 水道水での封入では担子器などの形がわかりにくいので、ヒダの一部を押しつぶしフロキシンで染めてKOHで封入してみた。若い胞子を帯びた担子器(h, i)や縁シスチジア(j)が明瞭に捉えられた。カサ表皮の切片も切り出してみた(k)。細長い菌糸が絡み合っていた(l)。種の同定をするつもりは全くないので、ベニタケ属の同定には必須の三種の試薬(FeSO4、Guiac、Phenol)による呈色反応は試みなかった。 |
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3〜4年ほど前から冷蔵庫の肥やしになっていた冷凍ピザを朝食にした。不味くて味気なかった。冷蔵庫の肥やしは他にもまだ数点ある。夕食は友人から贈られたエビスビールと餃子にした。餃子を少し焦がしてしまったが、とても美味かった。 ふだんよく利用するウエストバッグには電波時計をつけているが、ふだんは手首のスマートウオッチで時間を確認するので、この時計をあまり見ることはなかった。先日の落石直撃事故の折に岩に擦りつけたのか、電波時計のガラスが傷だらけになって今にも割れそうになっていた。コンデジのTG-4も破損していた。昨日初めて気づいた。 |
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歩行のリハビリ3日目:日光だいや川公園 | |||||||||||||||||||
昨日は下半身のリハビリの3日目として、日光だいや川公園を散策した。車を使うわけにはいかないので、JR日光線で今市駅まで行き、そこから公園まで往復した(a〜c)。結果的に10Km以上歩きかなり疲れた。左側の腰がずっと痛かった。 公園には思いがけないほど多くのきのこが発生してた。大部分はベニタケ属だが(d, e)、強い青変性のあるイグチ(f, g)、テングタケ属(h, i)、シロソウメンタケ(j)、ハタケシメジ(k, l)、キシメジ(m)、ご禁制品(n)、アカヤマタケの仲間(o)、コキイロウラベニタケ(p, q)やチャヒラタケ、ウスヒラタケ、ケコガサタケ、フミヅキタケなども見られた。ご禁制品(n)は踏みつぶされることなく7〜8株が健在だった。 何よりもうれしかったのは、この公園にもヒロハトンボソウが咲いていたことだ(r)。ここで見られる野生蘭はこれまでネジバナだけだった。 |
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少し乱暴な歩き方をしたり、ふと右肩が何かに触れると相変わらず激痛が走った。骨折部が接着するまでには3〜4週間ほどかかるから、それまでは軽いリハビリだけで無理な動きは避けなくてはならない。昨日はなぜかとてもくたびれた。 | |||||||||||||||||||
屋外では野草が咲き乱れていた | |||||||||||||
一昨日と昨日左脚のリハビリのために、自宅周辺の平地をゆっくりした速度で散歩した。一昨日は4Kmほど、昨日は7Kmほど歩いた。歩くとまだ左の膝と腰のあたりが痛いが歩行には支障なくなっている。少し速度を上げたりうっかり右手を動かすと、肩から右胸に猛烈な痛みを感じた。右腕のリハビリにはまだ早すぎるようだ。 ほんの数日自宅に籠っていただけなのに、外に出るとそこには事故前とはまったく別世界が広がっていた。歩道と車道の境目の狭い隙間にネジバナが咲いていた(a, b)。野生化したソバが所かまわず咲いている(c, d)。少し湿った場所ではヒロハトンボソウがみられた(e, f)。ワルナスビ(g)やアメリカイヌホオズキ(h)がよく目立つ。早くもノカンゾウ(i)やマツバウンラン(j)が咲き始めていた。とっくに花期を終えたはずのヒレアザミがまだ咲いていた(k)。自宅前の法面には4月からカラスビシャクがみられる(l)。他にも十数種の野草が花開いている。 |
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天候が不安定なため両日ともカサを持ってリハビリ散歩をしたが、やはり外の世界はとても気持ちがよい。撮影をするときにリハビリを兼ねて、右の肘から先を左手で持ち上げて、指をシャッターに持って行く形にしているが、この時の痛みは筆舌に尽くしがたい。当分はピンボケ写真の大量生産となりそうだ。 | |||||||||||||
軽い歩行からリハビリ開始 | |
落石直撃による負傷から今日で5日目。一時は右肘から肩にかけては内出血のため広く紫色を帯びていたが、昨夕頃から紫色部は小さくなりかなり薄れてきた。動かさなければ胸部の鈍痛と呼吸困難も薄れたが、全身の筋肉痛が辛い。しかし痛い苦しいなどと言ってみたところで、症状が軽減するわけでもない。インスタント食品とレトルト食品はなるべく使いたくない。調理が大変なので食に関しては次のようにし始めた。 米を研ぐのが大変なので、三分搗き米はやめて研がずにすむ玄米食にする。味噌汁はパックされたインスタント品を使う。梅干し、振りかけ、豆腐と納豆、生卵を活用する。パンを捏ねることができないので、ホームベーカリーを活用して、配合を変えて楽しむようにする。コーヒーミルを挽くのに手で押さえられないので電動式ミルを使う。
昨日からリハビリを開始。まずは腫れが引き痛みが軽減した足腰。自宅周辺を4Kmほど歩いてみた。ゆっくり静かに歩けば振動による胸や肩の痛みは少なく、ただ脚や腰が強い筋肉痛で少し辛いだけだった。右腕は少しでも動くと激痛がはしるのでズボンの右ポケットに親指で固定した。このリハビリ散歩には2時間半ほどかかった。 右腕は肩から肘までは激しい痛みで動かせないが、肘は曲げられ指先は動かせる。そこで左手で右の手首を持ちキーボードの位置に置くと、文字入力や変換の作業ができる。そんなわけで負傷事故遭遇の当日にもパソコンやスマホの操作はなんとかできた。
[補足] 事故当日の夕方、市営温泉やしおの湯に立ち寄ったが、腫れと出血のために入れなかった。しかし、半ば混濁した意識の中で湯につかったように思えていた。
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事故から4日目の症状 | |
谷間を転げ落ちるとき、途中の岩に腕や脚をいやというほど強くぶつけたために、あちこちが腫れたり出血を伴うキズを負った。いまその部位は強い筋肉痛を起こし、立ったり座ったりする時に強い痛みを伴う。特にしゃがみこんで物を拾うような姿勢が辛い。 肋骨と肩の骨折部位には内出血だけで出血がなかったが、これは背中のリュックが最初に落石の衝撃を受けたと思われるからだ。次いで右肩と背中に当たったようだ。 昨夜初めて車からリュックなどを下ろした。リュックの中の非常食の缶詰が潰れて中身がとび出していた。もし直接第一次的に右肩や背中側に落石を受けていたら間違いなく粉砕骨折をしていたことだろう。つくづく衝撃の強さと強運を感じさせられた。 事故から4日目。今は肋骨部の鈍痛は薄れ、何もしないでじっとしている限り呼吸困難や痛みは感じない。ただ、くしゃみや咳をしたときの苦しさと痛みは全くこれまでと変わらない。鼻をかむときの痛みもそのままだ。腕や脚の腫れはかなり引いてきた。 いま最も辛いのは夜布団に転がるときと朝布団から起き上がるときだ。横になったり起き上がったりがこれほど苦痛を伴うとは思いもしなかった。そこで疲れたり眠くなっても、迂闊に横になるわけにはいかず、椅子に腰かけてウトウトするようにしている。 帰宅直後は両足や腕が腫れて、着衣を脱ぐのに苦労したが、今は早くも腫れはかなり収まってきた。腕や脚の出血は止まりかさぶたができ始めとてもかゆい。 昨日昼の暖かい時間に自宅の風呂にお湯を張って入浴した。事故後初の入浴でようやくさっぱりした。体は脂汗と泥と血糊で汚れていたらしく、風呂の湯がかなり濁った。この4日間ずっと着っぱなしだった寝巻や血糊のついたズボンや上着は洗濯した。 |
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片手運転に至った経緯 | |
事故にあった20日の午後(雑記2021.6.21)、車に戻ったとき運転席に腰掛けてしばらくは茫然としていたが、この状態で運転して帰ることはまず無理だろうと思えた。何もせずとも猛烈な痛みと胸の苦しみと疲労感で意識を失いそうだった。30分ほどすると落ち着きを取り戻し、考えるゆとりができてきた(同2021.6.22)。 そしてどうやって自宅に帰るかいろいろ思いを巡らせた。最初に思い浮かんだのは運転代行を依頼することだった。そしてスマホで検索を試みたが圏外となって全く検索できなかった。そこで国民宿舎のある登山者用駐車場まで恐る恐る片手で運転してみた。 国民宿舎でタクシー会社の電話番号はわかったので、そのうちの一つに電話してみた。なかなか通じない。今にして思えばたいした時間ではなかったのだろうが、あきらめて電話を切った。そして別のタクシー会社に電話するかどうか迷った。 短い距離だったが、左手だけの運転でなんとか帰れるように感じたので、タクシー会社に電話するのはやめた。そしてゆっくりと走って帰ることを選んだ。左手が使えるとはいえ、打撲と出血があったのでこれまで通りとはいかず、非常にもどかしかった。国道に降りるまでの狭い山道では幸い対向車はまったくなかった。 国道では制限速度マイナス10〜20Kmほどの速度で走り、後ろに車の姿が見えると直ちに左に寄って追い越してもらいながら走った。細谷大谷橋までに何十回追越しを受けたことだろう。この先は一般道を離れて自動車専用の日光宇都宮道路に入った。ここではほぼ直線で右左折はなく一定速度で走ればよい。のろのろ運転にいい加減くたびれていたので、この路線に入ってほっとした。最後に自宅の車庫に入れるのに難儀した。 玄関を開けて部屋に入るとどっと疲れが押し寄せた。全身が脂汗にまみれて衣類はグシャグシャだった。生きて帰れたことに感謝した。 |
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庚申山:下山時落石の直撃で負傷 (2) | |
梅雨の時期の庚申山に登って、コウシンソウに逢えないのは何とも悲しい。今回がまさにそういう状態になってしまった。というのも、下山時にコウシンソウが群生する岩壁に行ってそこで鑑賞し撮影するつもりだったからだ。 落石の直撃で体が跳ばされたあと、不自由な体で30分ほどかけて何とか登山道に戻り、上方に向かって「誰だ? 石を落とした奴は?」と何度か怒鳴ったが、全く反応がなかった。自然落石にしては不自然なので、人ではなく獣の仕業かもしれない。
登山道に戻ってすぐに感じたことは、この体で果たして無事に庚申山荘まで下山することができるのだろうか、だった。山荘までは距離こそ短いが垂直に近い岩壁の厳しい径が続く。右腕がほとんど使えず、指は動くが全く力が入らない。両脚は打撲で何もせずとも痛い。少し歩くとこむら返りのような状態となり突っ張ってしまう。
一の鳥居までの行程も登りの倍以上時間がかかった。その後の林道歩きは地獄の苦しみだった。危険な岩場や振動の多い山道を降りて、ほっとしたことによって全身の痛みがより一層激しくなったようだ。車に戻っても運転席に腰掛けて30分ほど呆けていた。 今回の件で単独登山の危険性を痛感したが、仲間と一緒に歩いていたとしても、下山時の苦しみは変わらない。単独で歩くということはすべてが自己責任だ。安易にヘリコプターや救急車を要請すべきではないと思っている。這ってでも動ける限りは今後とも救急要請をするつもりはない。全く動けなければそのときは人生にバイバイだ。 |
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庚申山:下山時落石の直撃で負傷 | |||||||||||||
庚申山に登ってきた。今回は上級者コースのお山巡りコースから山頂に登り、下山は一般ルートを降りた(a)。ところが下山時に狭くて急な谷を降りている途中で右肩右脇肋骨に直径30cほどの落石の直撃をうけ、かなりつらい負傷を負った。 早朝家を出るときは雨だった。日足トンネルを抜けるころから雨は止み、am7:30頃銀山平の車止め直前の道路脇に車をとめた(b)。長い林道歩き(c)を終え、一の鳥居から登山道に入った(d)。昨日は上級者向きのお山巡りコースを歩いた(e)。このコースは際どいバランスを要求される場面がいくつもあり、確かに初心者には無理だと感じた(f, g〜j)。 山頂は樹林の中だが(k)、少し先に進むと一気に展望が開け、皇海山や鋸岳を間近に展望できた(l)。ここで朝コンビニで購入した海苔巻きなどの昼食をとった。山頂をあとにしたのは昼の12:30頃だった。径は急な岩場が多く慎重さが要求される。 一般ルートとお山巡りコースとの分岐が近づいたあたりで狭くて急な谷を降りる場所がある。ここを下っている途中で、上部で岩の転がる音がした。ふと目を向けるとすぐ目の前に直径30cmほどの石が凄まじい勢いで向かってきた。次の瞬間猛烈なショックを受け体が飛ばされた。幸い10mほど落ちたところで何とか体を止めることができた。 石は右肩と右脇肋骨部にもろに直撃した。転がり落ちるときに脚やら腕をもろに岩にぶつけてしまった。凄まじい痛みが全身を襲い、登山道に戻る10mほどの崖を登るのに難儀した。右腕が全く上がらなくなり、肩から腕にかけて痛みが走った。 |
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落石を受けたあたりはまだ険しい岩壁帯でこの先も下山にはただでさえ緊張するが、全身の痛みと右腕が使えなくなったために、下山は非常に難儀しとても時間がかかった。ゆっくりゆっくり慎重に慎重に足を運び、一の鳥居まで降りたときはほっとした。さらに林道歩きはとても辛かった。少しの振動でも右腕から右脇に激しい痛みが走る。 車の運転は左腕左手のみで何とか家まで帰り着いた。どうやら右側の肩と肋骨を骨折(ひび含む)したようだ。深呼吸したり咳やくしゃみをすると猛烈に痛い。全身の打撲痛も辛い。谷底に落ちなかったこと、頭や顔を直撃されなかったのが不幸中の幸いだった。 かつて肋骨を骨折した時と痛みのパターンはよく似ている。しばらくは朝の散歩は中止して家でじっとおとなしくしているほかなさそうだ。医者に行ってもやることはわかっているのでバカバカしい。鎮痛剤を飲むつもりもない。この部位は骨折していても固定できない。肋骨が癒合する目安は3週間、肩の骨で4週間とされる。したがって一ヶ月もすれば多少の痛みはあっても以前同様に動かせるようになるだろう。 |
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〇 | 2018年5月26日 | 浅井淑子 交通事故に遭い死亡 |
〇 | 2017年1月 | きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした |
〇 | 2017年1月 | こけ雑記 再開 |
〇 | 2015年6月26日 | 福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居 |
〇 | 2012年1月26日 | 埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居 |
〇 | 2006年7月 | こけ雑記 開始 (2011年8月 中断) |
〇 | 2001年4月 | 今日の雑記 開始 |
〇 | 2000年11月 | きのこ雑記 開始 |
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