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暇に任せて玄米で炒めご飯 | |||||||
昨日は早朝散歩から戻る途中から空模様が怪しくなってきた。奥日光に上がるつもりだったが、中禅寺湖畔では強い雨が降っているとの情報を得たので中止した。何とも中途半端な気分になって何もやる気がしなかったので、妙なことを思いついた。 冷蔵庫に残っている野菜類と玄米で炒めご飯を作ることにした。独りで調理をするようになってからはまだ一度も炒めご飯を作ったことはなかった。昼までは時間がたっぷりあったので、am11:00頃から野菜や生ワカメを刻み始めた。 大根、生姜、ネギ、玉ねぎ、油揚げ、キクラゲ、唐辛子を細かく刻んだ(a)。そしてフライパンにオリーブオイルを敷いて玄米を1/2合を入れ(b)、中火で10分ほど炒めた(c)。そこに野菜類を加えて(d)、日本酒を100ccほど注ぎコンソメ粉(e)を小さじ2盃ほど加えて軽くかき混ぜてから、蓋をして15分間ほど弱火にかけた。途中で2回ほどしゃもじで軽くかき回した。蓋をはずして30秒ほど強火にかけた。 出来上がった炒めご飯と豆腐が昨日の昼飯だ。生ワカメは予め塩抜きをしたが、残った塩気とコンソメが妙にマッチして思いの外美味かった。 午後はずっと断続的に強い風雨に見舞われて外出はできなかった。 |
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6月20日の怪我で右腕を自由に動かせない状態はいまだに続いているが、この間ずっと即席めんや総菜類には一切頼らず、食事は自分で調理してきた。その都度いつも右腕が使えないということが如何にあらゆる作業を困難にするかを痛感してきた。フライパンを使うにあたって、今回は特にその不自由さを強く感じた。 | |||||||
てっきり平日だと思っていた | |
今日が「山の日」の振替休日だということは先週の土曜日になって初めて気づいた。無理矢理強硬されたオリンピックのため祝日が変更されたことは分っていたつもりだった。しかしつい最近まで8月11日(水)は「山の日」で祝日だとばかり思っていた。 先週金曜日の天気予報で週末の連休は云々という言い方をしていたので、変なことを言うなと思って手元のカレンダーを見た。連休などどこにもない。そこでスマホのカレンダーを開いてみた。月曜日は赤色で休日になっていた。確かに連休だ。そこでようやく休日が変更になったことを思いだした。 まさか9日(月)が振替休日になっているとは思いもしなかったので、宇都宮に出て役所と銀行に寄るつもりだった。宇都宮に出るのは明日以降に変更だ。 |
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太極拳、食パン専門店 利 | |
今朝も蒸し暑く強い雨。朝の散歩は中止。昨日もとても蒸し暑い一日だった。早朝はまだ曇り空だったので城山コースを散歩することができた。昼頃から激しい雷雨が降りはじめ、断続的に強くなったり弱くなったりして夜まで降り続いた。
一昨日(第一金曜日)はam9:30から歯医者の予約日だった。6月20日に右肩に大怪我をしてからずっと太極拳サークルを休んでいる。毎月第一・第二・第四金曜日はam9:30から太極拳サークルの日なのだが、会場には車が一台も止まっていなかった。
一方Facebookに食パン専門店 利(とし) から「大切な大切なお客さまへ」として、思いがけないお知らせが入っていた。文面の冒頭には以下の文が記されていた。 |
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猛暑の中の龍王峡 | |||||||||||||
昨日昼前に鬼怒川渓谷の龍王峡を歩いた。駅前駐車場に車は比較的少なかったが、自分の車以外はすべて首都圏ナンバーの車だった(a)。木陰は適度に風もあって涼しかったが、日向は猛烈に暑かった。ここは標高450mほどなので、自宅周辺とあまり変わらない。奥日光とは違って気温は高い。 10数種ほどのきのこが見られた。ベニタケ属(b, c)、ミドリニガイグチ(d, e)、ヒロハシデチチタケ(f)、イグチ類(g, h)、チダケ(i)、キイボカサタケ(j)などを撮影した。たっぷり汗をかいたので、鬼怒川公園岩風呂に寄ったところ休館だった(k)、コロナ感染者の拡大に伴って公共機関は今月いっぱい休館になっているらしい(l)。 |
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右腕が肘から先しか使えず、柄の長い草刈りハサミを使えない。今や庭の畑は雑草や竹が生え放題で、とても畑には見えない。今シーズンはすべて諦めだ。 | |||||||||||||
大入道から剣が峰へ:高原山八方ヶ原 | |||||||||||||||||||
昨日高原山の小間々台を起点に大入道と剣が峰を散策した(a)。早朝既に28度もあったので散歩はやめて、通勤ラッシュの終わったam8:30頃家を出発して、高原山の八方ヶ原に聳える山々を歩いた。標高1,100〜1,600mで、総行程は9Kmほどだった。 右肩は相変わらず触れると猛烈な痛みが走るし、リュックは断裂した腱盤の自然治癒をもろに妨げるのでまだしばらく使えない。そこで前日と同じく荷物はカメラバッグだけ。中身はコンデジ、スマホ、マスク、簡易合羽、ミニ灯火だけだ。 昨日は途中のコンビニで納豆巻とお握りを買ってバッグに収めた(b)。いつも通り水は持たない。小間々台の駐車場はガラ空きだった(c)。ここに車を駐めて歩き出した(d)。この時の気温は25度だった。出っぱなから倒木に道を遮られた(e)。歩く人が少ないから消え入りそうな道も多く赤テープが頼りだ(f, g)。大入道に着くまでずっと雷鳴に見舞われた。高原山主峰の釈迦が岳方向には雲が垂れこめていた(i)。 縄文××といった標識(j)を経て剣ガ峰に着いたが(k)、展望は全くなく相変わらず雷鳴が響いていた。矢板市最高地点(l)や八海山神社(m)を過ぎ、ガラ場(n)や樹林の中の道(o)を経て、鳥居(p)をくぐると林道となりやがて大間々台駐車場に着いた(q)。遊歩道をのんびり下り、小間々台に戻ると我が車以外一台もなかった(r)。幸い雨には降られずに済んだ。歩行中気温はずっと26度前後だった。 |
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帰宅したのはpm4:00頃だった。車から外に出るとあまりの暑さにビックリした。玄関の温度計は35度を示していた。どうやら前日に続いて避暑は成功したようだ。 前日同様にベルトに装着したAquos sense4のGeographicaで時折現在地の確認をした(雑記2021.5.31)。上記(b)の撮影もこのスマホによる。 |
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奥日光千手ケ原を歩いた | |||||||||||||||||||
昨日は早朝から気温も湿度も高かった。そこで避暑を主目的に奥日光に上がって千手ケ原から小田代ヶ原を歩いた(a)。総行程は17Kmほどで、思いの外涼しかった。 右腕を何とかハンドルの支え程度には動かせるようになったので、いろは坂を上がることを試みた。結果としてはほとんど左手だけで運転して、右手は補助的に支えに使った。ずいぶん久しぶりの奥日光だった。歌が浜駐車場からは男体山が見事だった(b)。 右肩の腱盤断裂が悪化するのを防ぐため、リュックは背負わずショルダー型の小型カメラバッグにコンデジ、灯火、簡易雨具、スマホだけを持って歩いた。食料と水分は持たなかった。外見は、バスでやってきた観光客の散策姿と変わらない。 この辺りは標高1250〜1450mだが、直射日光下こそ暑かったが、樹林の中や日陰は汗をかくこともなく快適な歩きを楽しめた。いろいろなキノコが出ていたが、予測していたより少なかった(g〜l, n〜q)。西ノ湖にはたっぷり湖水があって対岸には渡れなかった(m)。遊歩道にはヤマオダマキがやたらに多かった(r)。 |
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朝自宅を出たのはam6:10だったが、奥日光では途中何度か昼寝をしてのんびり歩いたので、帰宅したのは午後3:15を過ぎていた。なお、午前中はよく晴れていたが、午後2:30頃から雷雨になった。いろは坂を降りると今市地区は晴れていた。 | |||||||||||||||||||
あまりの暑さに自宅でお勉強 | |||||||
昨日は夜中から降り続いていた雨が6時半を過ぎてもまだ降り止まなかった。7時頃になってようやく雨がやんだ。路面が乾くのを待って8時半過ぎに散歩に出た。 歩き始めた頃に上空には青空が広がっていたが、女峰山(a)や高原山(b)は雲に隠れていた。城山の頂きからも日光連山や高原山は雲の中で、かろうじて鶏鳴山が見えるだけだった(c)。7Kmほど歩いて10時半過ぎに帰宅したが、非常に蒸し暑くなった。 気温も湿度も高かったので午後は外出するのは止めて、久しぶりにスクリプト言語の復習をして雑記のコードを一部書き換えた。世間では今やPythonが主流で、RubyもPerlもかなり下火になったが、昨日学び直したのは主にPerlだ。基本を詳細に記した初歩的教科書(d)を読み返し始めた。忘れていることや記憶違いが結構多くて、その都度V.5.8までは分厚い基本書(e)で、Ver5.10以降の内容はネットで再確認した。30年ほど前に英語で初めてPerlを学んだときとちがって、日本語で学べるのが非常にありがたい。 雑記のインデックス作成等のプログラムは、Perl 50%、Ruby 10%、残りはPythonで書かれている。ところがPythonも基本を忘れているので、昨日は初歩的な教科書を再読し始めた(f)。Rubyで書いてあった部分は昨日すべてPerl(V.5.14準拠)で書き換えた。書き換えにあたってはポケットレファレンス(すべて英語)がとても役にたった。 |
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あらためて自分にはPythonではなくPerlが性に合っていることを痛感した。Pythonは何かをする場合やり方が決まっていて誰が書いても同じようなプログラムになる。一方Perlは同じことをするにも決まったやり方はない(雑記2017.1.30)。 | |||||||
「高級食パン」を謳うブーランジェリ | |||||||
日光市には「高級食パン」を掲げる食パン専門店が数軒ある。中でも定評があるのは、利(とし)とbrivory(ぶらいぼりー)で、いずれもフランスでいうブーランジェリだ。ブーランジェリ(Boulangerie)というのはフランスで「職人自ら小麦を選び、自ら粉をこねて、自ら焼いたパンを、その場で売る店」と法律で定義されている。 前々から利とbrivoryの食パンは、一度は食べてみようと思っていたが、あまりにも高価格なのと事前予約が非常に面倒なこともあって、これまでは一度も買ったことはなかった。それほどの金銭を出すくらいなら、Signifian Signifie(シニフィアンシニフィエ)の高級食パンを買うほうがはるかによいと思い、年に数回この店から買っていた。 利で食パンを買うには、予約販売にせよ通信販売にせよInstagramとFacebookでの告知に基づく電話予約が原則で、これがなかなか繋がらない。さらに店を開けるのは土曜日だけで、非予約販売の量はとても少ない。だから開店日には長い行列ができてすぐに売り切れになってしまうので、簡単には入手できない(同2018.5.30)。開店時刻の2時間前から並んだこともあるが、買うことはできなかった。なお、利の食パンは砂糖もバターも使っている。 一方brivory(a)では購入に予約は不要だ。開業が新しいせいかここで行列は見たことがない。だからいつでもすぐに買うことができる。そこで先日食パン(b)を買ってみた。brivoryの食パンは砂糖・バター・乳製品・卵は使っていない(c)。利にしろbrivoryにしろ米国産小麦粉は使わず、国産小麦だけを使っている。 |
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利がこれほどの殿様商売をしていても経営が成り立ってきた最大の理由は、やはりその味と質だろうとは思う。全国に熱烈なファンがいるようだ。しかし所詮はパン。しかし自分で捏ねて作るパンとは確かに大きな違いがある。でもたまに極上のパンを食べたいと思ったら、今後とも躊躇なくSignifian Signifieにネット注文することだろう。 | |||||||
腕振り歩行というリハビリ | |
昨日から新たなリハビリとして、右腕を吊るのをやめて両腕を前後に軽く振って歩く練習を始めた。それまでは、三角巾などで腕を吊る代わりに、ショルダータイプの小型カメラバッグを左肩から右脇に下げて、そこに腕を置いて歩いていた。今は右肩から左脇にショルダーバッグをかけて歩いている。このため歩行にあわせて右腕が自然に揺れる。 2週間ほど前まではショルダーバッグのベルトを右肩に掛けることができなかった。右肩に多少なりとも負荷がかかると、右腕の付け根のあたりに強い痛みを感じたからだ。それが痛みはほとんどなくなり違和感だけになったので、ショルダーバッグを右肩にかけることできるようになり、右腕を振るリハビリが可能になったわけだ。 早朝散歩の折には身分証明鞘としての運転免許証や家の鍵、ティッシュ、マスク、スマホを持つ必要がある。散歩を再開したばかりの頃には、ウエストバッグを使い右手は垂らしたまま右ポケットに指先を入れて固定していた。これだと右腕の重みで肩の痛みが強いので、カメラバッグを三角巾代りに使う方式に替えた。これは我ながら上手いやり方だと思っている。三角巾などで腕を吊っていると如何にも怪我人だが、この方式だと誰が見ても自然体だ。知合いに出会ってもいちいち説明の必要はない。 歩く速度が速くなるとおのずと腕の振りが大きくなる。ある一定の幅を越えて腕を振ると急に痛みが強くなる。そこがおそらく危険領域なのだろうと思って、その直前の揺れ幅に抑えるようにしている。今は腱盤断裂からの回復期なので、軽い痛みならよいが強い痛みはリハビリが逆効果になると思っている。 |
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久しぶりの宇都宮:図書館と幸麺 | |||||||
昨日も早朝はすっかり曇っていて。城山の頂からは日光連山は全く見えなかった(a)。予約していた本の貸出準備ができたとのメールが県立図書館から入ったので、昼前に久しぶりに宇都宮に出た。昼食は味噌ラーメンの老舗幸麺でとることにした。 お絞りを前にして(b)、何を注文するか考えた。これまでこの店では激辛味噌タンメンしか食べたことがなかった。麻婆味噌らーめん(c)を超激辛仕様にしてもらった。出てきたのは真っ赤な汁と豆腐が溢れんばかりの大きなどんぶりだった(d)。辛みも程よくとても美味かった。次回は別の麺も食べてみようと思った。 手持ちのスタンプカードはまだ横一列しか印がないが(e)、スタンプ印が満杯のスタンプカードが手元にあった。これでプレゼントの味噌(オリジナル商品)を受け取った(f)。帰宅後にキュウリにこの味噌をつけて齧ってみた。思いのほか美味くて冷蔵庫に残っていたキュウリ3本はすべて胃の中に入ってしまった。 |
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これまでは歩行時にショルダータイプの小型カメラバッグを三角巾代わりにして右腕をそこに載せて歩いていた。右腕は少し前まで前後左右にはほとんど動かせなかったが、今はわずかに動かせるようになっている。そこで昨日からはカメラバッグを外して、直接右腕を垂らして軽く前後に揺らしながら歩くことを始めた。 ただ揺れ幅が問題で、少しでも大きく腕が振れると猛烈な痛みが走るので、軽い痛みの範囲で少しずつ揺れ幅を広げていくことにした。結構しんどいリハビリだ。 |
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〇 | 2018年5月26日 | 浅井淑子 交通事故に遭い死亡 |
〇 | 2017年1月 | きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした |
〇 | 2017年1月 | こけ雑記 再開 |
〇 | 2015年6月26日 | 福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居 |
〇 | 2012年1月26日 | 埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居 |
〇 | 2006年7月 | こけ雑記 開始 (2011年8月 中断) |
〇 | 2001年4月 | 今日の雑記 開始 |
〇 | 2000年11月 | きのこ雑記 開始 |
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