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日( )

2022年3月10日(木)  鶏鳴山:いつもと反対側から登った
 昨日鶏鳴山に登った(a)。早朝am5:00に外気温2.8℃/室温5.6℃と外気温が零度以上だった。そこでam6:00頃に散歩に出た。城山の頂から鶏鳴山を見て、急に登ろうというい気になった。そこですぐに帰宅の途に着き、am8:00前に戻った。
 急いで準備をしてam8:10に車で自宅を出た。準備といってもリュックを積んでコンビニで海苔巻などを買うだけだ。6Kmほど先の登山者用駐車場に着いたのはam8:20頃だった(b)。ここからふだんは下山する場所から815m峰を目指した。
 下山口のある鳴山林道分岐点には常設テントが幾つもある(c)。登山道は小さなピンクテープがあるだけで見落としやすい(d)。かつてはここに「笹目倉山入口」という標識があった。歩く人が少なく笹目倉山への道は廃道となり今は何の標識もない。
 スギとヒノキの尾根筋を登ると(e, f)、笹目倉山への分岐点の815m峰に達する。今はここには「下山道」という標識が地面に落ちたままになっている(g)。この先尾根を北上すると947峰に達する。ここからの下りはすっかり凍りついていた(h)。
 そこでこの部分だけはXアイゼンを装着した(i)。落葉の堆積する尾根を進むと(j)、やがて鶏鳴山の頂に着いた(k)。社群(l)を過ぎ急斜面になると道が凍結していたが(m)、避けて先に進めた。ロープの張られた急斜面では落葉の下が凍結していた(n)。林道跡との合流点で雪や氷は消え(o)、杉林の尾根道となった。登山道入口表示を過ぎ(p, q)、林道を2Km程進み12:15頃車に戻った(r)。
 
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 昨日は天気予報とは違って終日曇っていたが、温かな一日だった。しかし手足の指は一日中レイノー症状が続きまともに使えなかった。


2022年3月9日(水)  城山のオウレン:三脚持って出直した
 相変わらず城山の下板橋川の杉林ではオウレンの群落が一面に広がり、最盛期が続いている。この時期はたいてい花の愛好家の姿がある。昨日も水戸からやってきたという老夫婦に出会った。花の場所がよく分からないので教えて欲しいと言われた。
 先日撮影した時はやや薄暗い杉林の樹下での手持撮影だった。初心者用ミラーレスカメラのオリンパスペンに安物の標準ズームレンズを装着したもので撮影した。
 先日の写真がどうもすべてピントが甘いように思えるので、改めてレンズを30mmマクロに交換して、自転車に三脚も一緒に積んで月曜日(3/7)に出直した。薄暗い樹林の下で三脚のありがたさを感じつつ、オウレンの観察と撮影に専念した(a〜l)。
 両性花と雄花が圧倒的に多いが、たっぷり花粉を着けた雄花が目立った(l)。両性花なのか雌花なのかわからないが、雌しべが目立つもの(f, k)もある。雌雄同株もあれば異株もあるようだ。開花は昨年より1週間ほど遅く(雑記2021.2.26)、一昨年より10日ほど早い(雑記2020.3.17)。この3年間では分布域が最も広くなっている。
 
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 今朝は今年始めて朝の最低気温が零℃以上。いよいよ春が近づいた気がする。


2022年3月8日(火)  先日の石裂山ハイキングの補足
 先日登った石裂山についての補足(雑記2022.3.6)。登山道は休憩所から南北に分かれる。北側のルートは月山に、南側のルートは石裂山の南側に、それぞれ直接登るルートだ。今年は2月後半にかなりの降雪があった。その後日中はかなり気温が上がったが、早朝は相変わらず零度以下だった。だからもし残雪があれば凍りついているはずだ。
 そこで万一に備えて軽アイゼンを持参した(つもりだった!)。凍結斜面は登りより下りが危険だ。そこで南側(北面にあたる)の直接石裂山に向かうルートから登ることにした。北側(南面)の月山からのルートの方が凍結は少ないと考えられるからだった。

 この日出会った登山者は四組。登りで二組に出会った。いずれも登頂を中止して戻ってきたのだという。両組ともヘルメットをかぶりアイゼンを着けていた。完全な冬山装備に見えた。一方わが身の装備は、スニーカーに野球帽、春秋用ジャンパーに小さなリュック。彼らの目からは老齢の無謀登山者に映ったようだ。
 この日自分より前に同ルートから山頂まで登った人はいなかったようだ。というのも踏み跡が続いていたのは、一面のっぴりと凍りついた斜面の直前までだったからだ。凍りついた斜面にはピンクの標識がついた樹木が見えた。しかしその周辺には踏み跡が見当たらない。うそだろう〜と思ったが確かにそこを登らないと稜線には出られそうもない。
 すぐ下の道は狭く凍っていた。腰を降ろしてアイゼンを装着することはできない。ふと先の方を見ると、ルートからはやや外れているが、平で腰を下ろせそうな場所があった。簡易アイゼンを装着するべく腰を降ろしてリュックの中を探したが見つからない。家の玄関に置き忘れたらしい。一瞬絶望感に襲われた。
 登るか下るかの判断はすぐに着いた。これまでヒヤヒヤしながら登ってきた狭い凍結道を下るのはあまりにも危険だ。一方この氷雪面さえ登れば稜線から山頂、さらにその先は凍結も少ないはずだ。そこでこの斜面をどうやって乗り切るかを考えた。
 どこの山に出かけるにもいつも備えている6mm20mのロープを使うことにした。この紐の端に折り畳み傘を縛り付けた。この傘を7〜8m先の樹を目がけて投げた。なかなか思い通りにいかず、6回目くらいに上手くかかった。手元から紐を徐々に繰り出すと樹の反対側から傘が滑り落ちてきた。
 これに捕まって少しずつ登った。足元が滑ってなかなか上がれない。滑って転ぶとなかなか起き上がれない。やっとのことでなんとか樹木までたどり着くと、同じことを繰り返した。何度かこれを繰り返すと再び凍っていない踏み跡が現れた。ホッとしたが、脚がパンパンに張っていた。そうとう緊張したようだ。
 改めてアイゼンの威力を痛切に感じながら雪の消えた稜線を進み石裂山にたどり着いた。軽い昼食を済ませて東剣ヶ峰に向かう途中で、二人組の登山者に出会った。彼らもヘルメットをかぶりスパッツを着けていた。月山側は凍結は少ないが、梯子の前後が距離こそ短いが完全に凍結していて非常に危険だと言っていた。南側のルードは斜面が全面凍結していることを伝えると、彼らはその場でアイゼンを装着し始めた。
 この先数カ所で梯子の手前数メートルの急斜面が凍りついていた。そこで手前の樹にロープをかけてそれに捕まって梯子まで辿り着いた。その後月山までは雪も凍結も少なく快適に歩けた。月山からの下りも予測通り凍結は少なく、さしたる緊張もなく下山できた。途中で一組の高齢の夫婦に出会った。午後になれば気温が上がって凍結斜面も多少は柔らかくなっていることだろう。ふたりとも大きなリュックを背負っていた。
 帰宅して二階への階段で脚に軽い痛みがあることに気づいた。筋肉痛だと感じた。下半身の筋肉痛というものを味わったのは、ずいぶん久しぶりのことだった。最近筋肉痛といえば、畑を耕した後の腕や肩に多少感じたくらいだった。



2022年3月7日(月)  オウレンが最盛期を迎えた:城山 下板橋側
 昨日は朝遅い時刻に散歩に出て、上板橋側から城山に登り下板橋側に降りた(a, b)。というのもそろそろオウレンが花を着け始めているのではないかと思ったからだ。自宅を出たばかりの時は女峰山は雪雲に覆われていた(c)。
 休日はいつもそうだが、城山登山口の駐車場はハイカーの車が多数並んでいた(d)。山頂ではam10:30に摂氏5℃を越えていた(e)。オウレンは下板橋側の杉林の中に群生する。そこで天狗岩方面には向かわず下板橋登山口に降りた(f)。
 オウレンは最盛期を迎えていて広い範囲に群生していた(g〜l)。群生地ではカメラを持った人たちに出会った。下板橋登山口の駐車場は4〜5台の広さしかない。そこに花の愛好家を載せた車が次々にやって来ていた。
 
(a)
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(b)
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(c)
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 昨日は宇都宮方面をはじめ自宅や城山の上空にも青空が広がっていたが、次第に上空は雪雲に覆われしばしば雪が舞った。昼近くになると北西の強い季節風が吹きとても寒くなった。午後から夕方には雪雲で暗くなった。


2022年3月6日()  石裂山:アイゼンを忘れて難儀した
 昨日石裂山を歩いた(a)。am8:25頃に自宅を出て、am9:00頃に登山者用駐車場に到着すると他に3台の車があった(b)。この時の気温は摂氏2℃だった(c)。途中には警告の表示が何度も現れる(d)。確かに初級者向きの山ではない。
 沢沿いの斜面を歩き、最初の梯子(e)を上がりきったあたりから狭い急斜面が凍っていた(f)。ここで若い二人連れに出会った。ヘルメットをかぶりアイゼンを着けて本格的な装備をしていた。「アイゼンをお持ちですか?」と声をかけてきた。
 この少し先から狭い道がすっかり凍っていて怖いので登山を中止して引き返してきたという。「軽アイゼンを持っているから大丈夫」と答えて先に進んだ。狭くて急な道が凍っていて緊張を強いられたが(g〜i)、アイゼンを着けられるような場所はない。
 やがて広くて急な斜面全体が凍りついた場所が現れた(j)。踏跡は殆どなかった。なんとか停止できる場所を見つけたので、軽アイゼンを装着しようと思いリュックの中を探したが見つからなかった。どうやら家に置き忘れてきたようだった。
 先に進むか引き返すか一瞬迷ったが、引き返すほうが危険と判断して登ることにした。凍っていなければ5分もあれば抜けられる場所だが、30分以上かかった。
 東剣ヶ峰の下りも梯子の前後が凍りついていて非常に緊張した(k, l)。石裂山の頂(m)には凍った場所はなく、ここで昼食にした。空は薄曇りだったが男体山を仰ぐことが出来た(n)。ここから急な岩場にかけられた長い梯子を下って(o)、月山に向かった。月山(p)からは特に危険な凍った細い急斜面などはなく(q, r)、鎖場や梯子を慎重に通過して、苔むした谷沿いの遊歩道を下って駐車場に戻った。帰宅したのはpm2:00頃だった。
 
(a)
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(c)
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 帰宅すると数十年ぶりに腿の筋肉痛を味わった。この山は現在では梯子や鎖が至るところに整備されているが、かつては転落死する登山者が多い危険な山だった。しかしそんな頃にわが家では6歳の娘とその遊び仲間の6歳と5歳の2名を伴って歩いている。


2022年3月5日()  庭の畑を耕し始めたが
 日常生ゴミはすべて庭の畑の肥やしにしている。一旦穴に放り込んで土になるのを待って使ってきた。穴には鳥や小動物に食い荒らされないようにバケツで蓋をしている。穴が半分ほどまで埋まると予備の穴を掘って、そこにもバケツで蓋をしている(a)。
 例年バケツの氷が融ける頃に畑を耕し始めてきた。狭くて細長い庭の七割程を畑にしている(b)。手前側は幅2m奥の方は1mほどで長さ8〜10mの小さな畑だ。今年も隣家と接する奥の方から耕すことにした(c)。
 鍬を軽く振り下ろすと跳ね返された。まるで石にでもぶち当たったようだ。そこで思い切り打ち込むと、土が凍って層状の硬い塊となっていた(d, e)。20cmほどの深さまでこの状態で、それより下の土は比較的柔らかかった。
 2時間ほど作業をしてなんとか耕すことができたのはたったの2mほどだった(f)。まるで凍土のようだと思った。今年は2月半ばから後半がやたらに寒かった。例年だと比較的楽に耕せるのに、今年は難儀している。夜になって腕や肩に筋肉痛が出てきた。
 
(a)
(a)
(b)
(b)
(c)
(c)
(d)
(d)
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(f)
 ここ数日暖かい日が続いていたが、昨日am6:00には外気温−4.1℃/室温2.5℃で寒かった。昼になると12℃まで上がったが、北風が強く日陰は寒かった。


2022年3月4日(金)  やっと入歯が出来上がってきた
 川口市時代から使ってきた入歯が壊れたのは今年の1月。10年間ほど使っていた。2月始めの頃にかかりつけの歯科医院で新たな入歯を作ってもらうことになった。何度も何度も慎重に歯型や噛み合い位置を計測して型取りを数回繰り返した。
 壊れた入歯は応急修理を施しすり減った部分には上盛りされている(a)。全体が平らなので上の歯との噛み合わせが上手くいかず、食べ物を思い通りには噛み砕くことが出来ず難儀していた。新しく出来た入歯は上の歯ときちんと合う(b)。
 これまで川口市時代に何度か入歯を作ってもらっていたが、それらとは装着感や噛み合わせに雲泥の差がある。1ヶ月待っただけのことはあった。さらに入歯ができるまでの医療費と入歯の代金も安かった。おかげで食事が美味くなった。
 
(a)
(a)
(b)
(b)
 上の歯はあちこちに被せ物やブリッジはあるが、これまでのところ入歯は使わずに済んでいる。しかし下の歯は奥歯から次々に駄目になって45歳ころには入歯が必要になり、次第に入歯も大きくなっていた。15年ほど前から今の形に落ち着いている。

 歯を失った最大の原因は持病の強皮症。厚生労働省指定の難病だ。歯の手入れが悪くて虫歯や歯槽膿漏になったわけではない。全身性強皮症の診断を下されたのは35歳くらいの頃だった。いっときステロイド剤や免疫抑制剤等による対症療法を受けたが、埒が明かない上に副作用のため1年ほどで止めた。以後薬は一切使っていない。
 強皮症による各種の障害は高齢化も加わり年々悪化してきた。現在は強いレイノー症状とか爪の変形、皮膚障害、嚥下障害、低体温症、徐脈、脱肛、強い疲労感などに顕著に現れるようになった。人に話したところでどうなるわけでもないので、これまでレイノー症以外の症状についてはカミコン(亡妻)以外に知る者はいなかった。



2022年3月3日(木)  冬場の節約生活のことなど
 節約生活も3ヶ月目に入る。節約の第一はガソリン代金。これまで車を使っていた10〜12Kmの距離にはなるべく自転車を使うようになった。冬場は終日激しいレイノー症状が続き、特に手の指は蒼白になり自由が効かず痛みもある。電池式手袋やホッカイロ入り手袋を利用しているが、それでもブレーキ操作が思い通りにはできない。そこでなるべくゆっくり走るようになった。ホッカイロの消費量増加が経済的に辛い。
 車を使う場合は常に省燃費運転を意識するようになった。速度はほぼ制限速度まで、急加速や急停止は可能な限り避けるようになった。その結果いろは坂の上りはこれまでの倍以上の時間がかかるようになった。かなりストレスが溜まるが背に腹は代えられない。
 寒いからといって自宅にいると、炬燵やファンヒーターを使い続けることになり電気料金や灯油料金が馬鹿にならない。そこでできるだけ在宅時間を少なくするため外に出ることが多くなった。雨天のときは室内用自転車を漕ぐ。
 早足で歩いたり低山に登れば体もかなり温まり、おまけに老化防止にも繋がり一挙両得だ。ただ外気温が低く顔や耳、鼻が痛いのが辛い。
 図書館の読書室や勉強室も利用しているが、コロナ禍のためアキ席がなくて利用できないことも多い。対策として開館時刻に合わせて出かけるようにしている。片道7〜8Kmある日光図書館までは原則としてミニサイクルを使っている。


2022年3月2日(水)  猪倉山から観音寺山へ:ツバキンの今
 昨日猪倉山泉福寺でツバキキンカクチャワンタケの様子を確認した後、猪倉山に登りそこから尾根伝いに観音寺山へ歩いた(a)。
 朝から気温こそ高かったが、激しいレイノー症状が治まらないので早朝散歩は中止した。am10:00頃になってホッカイロ入り手袋をすれば指が意図したように動くようになったので、電動アシスト自転車で猪倉山泉福寺に向かった。2月半ばにツバキキンカクチャワンタケの微細な幼菌を確認したので(雑記2022.2.15)、その後どうなったかを知りたかったからだ。泉福寺(b)の駐車場にはまだ少し雪が残っていた。ツバキンはわずかに成長していたが、大部分はまだ小さな幼菌のままだった(c〜e)。
 ずずり石(f)の側から落葉を踏みしめて(g)猪倉山に登った(h)。ここから尾根を西に進み観音寺山に着いた(i)。ここには三角点がある(j)。北西側への下山道はない。樹に掴まりながら急な尾根を下った(k)。沢沿いの道はヒノキゴケだらけだった(l, m)。更に下ると獣柵に行く手を阻まれた(n)。なんとか出入口を見つけて仕事道に出た。
 
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 寺の駐車場に戻る途中には色々な野草が花をつけていた。福寿草はどこも最盛期を迎え(o)、ハコベは花をつけていた(p, q)。オオイヌノフグリやナバナもよく咲いていた。田圃の先の市道を猪倉山と観音寺山を眺めながら戻った(r)。


2022年3月1日(火)  久しぶりの電動アシスト自転車
 このところ手足の指のレイノー症状が激しくて自転車のブレーキ操作に難儀する日々が続いていた。ふだんなら自転車で行くところを長時間歩かざるを得ないケースが増えていた。それでも何度か自転車は使ったが、いずれもミニサイクルだった。
 昨日午後電動アシスト自転車のバッテリーを確認した。自転車に取り付けっぱなしだった影響は甚大だった。2月初旬にフル充電したのだが、昨日朝には電気残量は15%にまで落ちていた。低温による性能低下だ。
 そこで午前中ずっと充電したところ80%まで回復した。午後になると気温が12℃まで上がり、やっと指が動くようになった。昼食後にバッテリーを取り付けて出発した。電動アシスト自転車に乗るのは今年最初のことになる。
 特に目的地なく北西方向に走り出した。結果として日光だいや川公園まで行った(a)。公園では紅梅が咲き始めていた。園内を一通り歩いてから、直売所で野菜を買って帰宅した(b〜f)。往きはずっと上りだがアシストは使わなかった。帰路は一部に長い上り坂もあるが下りが続く。サイクルコンピューターによれば走行距離は23.4Kmだった。
 
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 節約生活の結果、2月の灯油代は3,510円、ガソリン代は3,030円だった。これまでの2月の出費の45〜50%に押さえることができた。でもとても寒かった。


[節目]

2018年5月26日浅井淑子 交通事故に遭い死亡
2017年1月きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発
 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした
2017年1月こけ雑記 再開
2015年6月26日福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居
2012年1月26日埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居
2006年7月こけ雑記 開始 (2011年8月 中断)
2001年4月今日の雑記 開始
2000年11月きのこ雑記 開始

[過去の雑記]

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