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花はまだ少なくヒカリゴケが目立った | |||||||||||||||||||
切込湖刈込湖ハイキングコースは7〜8月には多くの野草を楽しめるが、今の時期はまだ少ない。一昨日も圧倒的に多かったのはズダヤクシュ(a)。いたるところで咲いていた。次いでハルカラマツ(b)とシロバナノヘビイチゴ(c)。カニコウモリは大きく葉を広げてはいるが花はまだほとんど咲いていない(d)。もっともこの花は7〜8月が最盛期だ。国道にはベニバナツクバネウツギが多く、いまは赤色の花をつけてよく目立つ(e)。 刈込湖畔では大きなアミヒラタケが出ていた(f, g)。遊歩道の数ヵ所でヒラタケが群生していた(h, i)。逆川沿いの遊歩道では若いマスタケが多数でていた(j)。ヒラタケとマスタケを少し持ち帰った。ヒラタケは炒め物にして、マスタケは片栗粉を軽くまぶして素揚げにした(k, l)。いずれも酒の肴になった。 切込湖刈込湖の周辺の針葉樹の森では岩穴のいたるところにヒカリゴケが生息している(m〜q)。ヒカリゴケは湯ノ湖遊歩道や金精峠、男体山、女峰山、太郎山でもよく見られるが、おそらく切込湖刈込湖周辺が最も広く分布しているのではないだろうか。 湯元温泉街の日陰では数ヵ所で小鹿が暑さをしのいでいた(r)。このあたりの鹿は人馴れしているのか、触れるほどに近づいても逃げる気配はない。 |
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暑い時間帯に湖水巡りハイキング:切込湖刈込湖 | |||||||||||||||||||
昨日も早朝から気温が高かった。家の中でグズグズしているうちに早朝散歩のチャンスを失った。そこでまた奥日光に避暑に向かった。歩いたのは人気のあるハイキングコースの切込湖刈込湖。今回は光徳駐車場を起点に左回りに歩いた(a)。 自宅を出たのはam8:00過ぎ、光徳駐車場には9:10頃着いた(b)。光徳園地から歩き始め、ミズナラ林(c)、カラマツ林(d)、カンバ林(e)を抜けると山王峠(f)。山王林道脇から一気に涸沼に下る(g)。その先は専ら針葉樹林を歩き(h)、切込湖(i)、刈込湖(j)と巡る。 今シーズンは水量が多く、両湖は完全に繋がっていた(k)。刈込湖畔(l)で昼食をとり、小峠(m)を経て湯元温泉の泉源に降りた(n)。湯ノ湖畔を歩いていると(o)、上空には見事な夏雲が湧いていた(p)。湯滝下を見ると小学生の大集団が見えたので、コースを国道に変更した(q)。光徳入口からは逆川沿いの遊歩道を歩いて駐車場に戻った(r)。 |
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カニコウモリの花を多少期待していたが、まだほとんど咲いていなかった。花ときのこについては明日の雑記に記すつもりだ。帰宅したのはpm5:00頃だった。 | |||||||||||||||||||
駐車場からお気楽ピクニック:半月山 | |||||||||||||
このところ早朝散歩では全身汗まみれになるので帰宅するとまずシャワーをあびて洗濯。気温がズンズン上がり午前10時には28度を超えた。そこで再び奥日光に避暑に向かった。近くのコンビニで弁当を買ったam10:20には既に32℃あった(a)。 久しぶりに中禅寺湖スカイラインを終点まで走った(b)。途中の中禅寺湖展望台からは男体山や八丁出島を眺められた(c)。終点の半月山駐車場に腰を据えた(d)。この時気温は23℃(e)。駐車場には広い芝生の広場があり石のテーブルとベンチが幾つかある(f)。 ここからの展望は素晴らしく皇海山(すかいざん)なども手に取るように近く見える(g)。石のテーブルに持ってきたNHKラジオ語学講座のテキストとスマホや弁当を広げて(h, i)、まず腹ごしらえをした。そのあと講座テキストの復習をした。 スマホのアプリを聴きながら専ら口をパクパク。涼しくて快適なのですぐに眠くなる。そこで課を2つ終えると、半月山に登った(j〜l)。山頂までの標高差は150m程なので、早朝散歩で城山に登る程度の気分。都会用の底の平らな靴のまま、カメラだけを持って2度ほど往復した。半月山展望台からは遠くの山が広く見渡せた。 |
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中禅寺湖スカイラインは午後5時には閉門となる。そこでpm4:40頃に駐車場を後にした。帰宅途中で路面が濡れていた。下では雨が降ったらしい。朝干した洗濯物が濡れネズミ状態になっていた。夕方関東地方の梅雨明けが発表された。 | |||||||||||||
雲龍瀑までたどり着けなかった:雲龍渓谷 | |||||||||||||
昨日雲龍渓谷の入口から少し先まで歩いた。できれば雲龍瀑と黒岩滝まで行きたいと思っていた。しかし水流があまりにも多く水勢も強かったので、大事をとって雲龍瀑まで500mほど手前で諦めて引き返した(a)。初めての敗退だった。 自宅近くのコンビニで昼食を買ってam8:15頃出発した。気温は29℃だった。稲荷川沿いの林道を進みam8:40頃駐車場に着いた。ここは標高938m、気温23℃だった。他には車の姿はなかった(b)。5月のコウシンソウの時期には若干の人たちが入るが、梅雨真っ盛りの今頃雲龍渓谷に入る人はほとんどいない。 雲龍渓谷までは長い林道歩きがある(c〜e)。渓谷入口の広場(f)からは女峰山群南面の岸壁を仰ぐことができる(g)。いよいよ河原におりて渓谷を歩き始めた(h〜j)。先に進むには水流を右に左にと何度も渡り返す必要がある。ところが水量が多く勢いも強くて、次第にかなり困難になった(k, l)。雲龍瀑まであと500mほどの場所で諦めた。 |
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今回改めて感じたのは、積雪期の方が渓谷を歩くのは遥かに楽だった。アイゼンこそ必要になるが、過去には雲龍瀑や黒岩滝まで比較的楽にたどり着いている。 林道を戻りつつ、途中で昼食にした。帰路滝尾古道に寄ったところ、今シーズン初めて成菌のミヤマトンビマイに出会うことができた。帰宅したのはpm2:40頃だった。 |
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あまりの暑さに日光湯元に逃げ出した | |||||||||||||||||||
昨日早朝散歩から戻って一息ついてから奥日光の湯元温泉に車を駐めて、NHKのラジオ語学講座の復習をしたり、湯ノ湖の遊歩道を散策したりした(a)。 早朝散歩で歩いた城山の頂ではam6:30に既に25℃あった。am10:00には自宅二階では31℃に達していた。できればエアコンは使いたくない。図書館は利用時間の制限があるうえ利用できる席の数も少なく開館と同時に満席となる。そこで奥日光に上がることにした。am10:45頃出発したが既に34℃に達していた。 湯元温泉の駐車場はどこも満車。そこでam11:50頃に駐車場脇に駐めた(b)。森の中の四阿(c)に温度計(d)はじめ持ってきた学習用材を広げた(e)。コンビニで購入してきた昼食弁当を食べてから、スマホのアプリ「らじるらじる」を利用して(f)、1時間ほど学習しては1時間ほど湖畔を歩いた。夕方までこれを数回繰り返した。 |
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よく晴れ上がって遊歩道からは金精山(i)や男体山(j)も見えた。釣り人がとても多かった。遊歩道には樹木の根が作る窪みにヒカリゴケが生息している(k〜o)。ヒカリゴケは自身が光を発するわけではなく、入射光がレンズ状の原糸体(q, r)に反射して光るものだ(l, m)。配偶体は葉が左右二列に並び、葉の下部は下の葉と繋がっている(n〜p)。pm6:00頃湯元温泉を後にし、7:00頃帰宅した。 ヒカリゴケのごく一部を持ち帰り、夕食後に顕微鏡で撮影したのが画像(p〜r)だ。 |
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視界20mの濃霧とヤマビルの襲撃:鳴虫山 | |||||||||||||||||||
昨日は太極拳の練習日の予定だった。会場が参院選の期日前投票所となり練習は中止。明け方まで雨が降り、小降りになった思ったら激しい濃霧となった。 天気予報では午後からは晴れ間も覗くという。そこで鳴虫山を歩くことにした(a)。自宅を出たのはam7:35頃。まだ小雨が降っていた。am8:00頃に憾満ヶ淵の駐車場に車を駐めた。他には車の姿はなかった(b)。雨は殆ど止んだ。 濃霧のなか歩き出した。化け地蔵(c)の前では視界は30mほどあった。笑っているもの(d)や静かに瞑想しているもの(e)など、あらためて色々な表情を楽しんだ。山道に入るとこの日唯一のきのこ、オオホウライタケに出会った(f)。 この先はずっと濃い霧で視界は10〜20mだった(g)。独標(h),合峰(i)、鳴虫山(j)、神主山(k)とずっと濃霧のハイキングコース(l)を歩いて御幸町側の登山口に降りた(m)。あとは旧日光市役所記念公園として修復された記念館(n)や神橋(o)の前を通り、激しい急流(p)をながめながら憾満ヶ淵の駐車場に戻った。満車だった(q)。珍しく含満の茶屋が店を開けていた(r)。市営温泉やしおの湯に浸ってから昼の12:50頃帰宅した。 |
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鳴虫山もいまやすっかりヤマビルの群棲地になってしまった。迂闊に立ち止まろうものなら、たちまち数十匹のヒルがヒタヒタト押し寄せてくる。普通に歩いているだけでもヒルの襲撃は凄まじい。この日は結果的に10数匹のヒルに吸い付かれた。すぐに気づいてむしり取ったものはさらに多い。靴下やズボンの膝まで、更に腕や首も血で赤く染まった。いったいいつどこで吸い付かれたのか全く分からなかった。この日の衣類はすべてに血が着いていた。やしおの湯に到着した時も3匹ほどむしり取った。 | |||||||||||||||||||
JR日光線の終電は意外と早かった | |
一昨日は友人らとの昼食会のあと、中学時代以来の親友と久しぶりに上野アメ横の飲み屋でpm8:20頃まで飲んで、上野駅から宇都宮行の電車に乗った。結果としては幸いにもJR日光線の終電に間に合ったが、危ういところだった。 宇都宮駅発のJR日光線の終電時刻はpm11:00台だとばかり思い込んでいた。飲み屋を出る時刻があと10分ほど遅かったら、日光線の終電には間に合わなかったろう。日光行の終電時刻はpm11:00台ではなくpm10:48だった。上野界隈で飲んでその日のうちに今市地区に戻るには遅くともpm8:50頃には店を出なくてはならない。そしてその場合には東北新幹線を使うか東武の特急を使うしかないことも分かった。 この日は朝車で今市まで行き、その地域の駐車場に車を駐めた。下今市駅から栗橋まで東武日光線に乗り、そこからJR宇都宮線、京浜東北線で都心に出た。飲酒したので車は今市に一晩放置して、自宅には下野大沢駅から徒歩で戻った。 最寄り駅から自宅まで歩くとJR利用の場合は7〜8分、東武利用の場合は30分ほどかかる。案の定翌朝、散歩のつもりで今市の駐車場まで雨の中7Kmほど歩いて行き、車で戻ってきた。ふだんの早朝散歩がおよそ7Kmだからほぼ同じ距離だ。 昨日は終日雨だった。今日は山を歩こうと思っていたが朝から雨が降っている。 |
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北戦場ヶ原で楽しんだ花ときのこ | |||||||||||||||||||
光徳園地から逆川に沿って歩き、国道を渡って北戦場ヶ原に入り、湯滝を経由して泉門池で昼食にした。この日の最大の目的は野草の花ときのこを楽しむことだった。今回は『山に咲く花』は持たず、日光の花に特化したハンディ図鑑2冊を持って歩いた。 名を知らない、あるいはうろ覚えの花に遭遇するとその都度、目視の他、ルーペを使って花や葉の詳細な構造をていねいに観察してから、図鑑を広げて確認した。そのためふだんの散策の3倍以上の時間がかかった。 戦場ヶ原の北部にはマイヅルソウの姿は見られず、オオヤマフスマ(a, b)やツマトリソウ(c, d)が多く、ズダヤクシュ(e, f)はこの地域でも広く見られる。昨年までマツカゼソウの葉に似た背丈の高い草が気になっていた(g)。これはハルカラマツ(h)という和名だと初めて知った(h)。マツカゼソウと違って花はよく目立つ。ウマノアシガタ(i)やエゾノヘビイチゴ(j)は光徳牧場周辺に多かった。泉門池周辺ではクルマムグラも多かった。他にもスミレの仲間をはじめ白色やら黄色の花がいろいろ見られた。 |
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きのこはまだ少なく、カヤタケ(k, l)、カンムリタケ(m, n)、超大型のアミガサタケ(o)、マスタケ(q)、ミズゴケタケの仲間(q, r)、ニガクリタケなどに出会った。カンムリタケは湯滝の周辺の森に大群落がいくつもあった。 昨日は埼玉県蕨市の旧中山道にある鰻割烹の今井で友人らと昼食会をもった。久しぶりの今井のうな重はとても美味かった。その後上野の飲み屋で友人とpm8:20頃まで飲んでから帰宅した。なんとかJR日光線の終電、宇都宮発pm10:48に間に合った。 |
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光徳園地から湯滝を経て泉門池へ | |||||||||||||
昨日光徳駐車場に車を駐めて北戦場ヶ原を散策した(a)。自宅を出るときは曇り空だったが、いろは坂を上がる頃には雨になった。中禅寺湖まで上がると雨は止んでいた。 am8:20頃に光徳駐車場に車を駐めた。光徳園地(b)、光徳牧場跡地(c)、光徳沼(d)を経て逆川沿いの遊歩道(e)を進み、国道を渡った。相変わらず空は曇っていたが(f)、戦場ヶ原に入ると小学生の大集団に遭遇した(g)。 大集団というものは始末が悪い。自分たちのことしか見えていない。狭い道でもわがもの顔に道幅いっぱいに広がって通行に甚大な支障を引き起こす。この後湯滝(h)や泉門池(i)までの遊歩道でも何度も不愉快な目に遭わされた。泉門池では大集団が殆どのベンチを占拠していた(j)。かろうじてひとつ空いていたベンチに腰掛けて昼食をとった(k)。この後も駐車場に戻るまでに(l)、何度も大集団の洗礼を受けた。 大集団に遭遇するたびに不愉快なことが続くので、途中では通行止め区間を歩いた。この区間を歩いている時だけは大集団に煩わされることなく静かに歩けた。しかしその一方で何度かエテ公の威嚇を受けた。 |
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今回の散策の主目的は、花の鑑賞ときのこの探索だった。ふだんの数倍の時間をかけて歩くことになった。花やきのこの件は明日の雑記に記すことにした。 今日はこれから東京に住む友人らに会いに行く。首都圏に出るのは実に久しぶりだ。 |
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ミシンを調整してズボンの裾上げ作業 | |||||||
一昨日トラブル続発で使えなかったミシンの原因追及からはじめて、ようやくズボン2本の裾上げ作業を終えることができた。半日がかりの大仕事になった。 まず不調ヵ所をひとつひとつ潰していった。針が曲がっていた。ボビンの規格が違っていた。電球が切れていた。上糸と下糸の強度が極端に違っていた。他にもいろいろ問題があったが、幸い分解修理をしなくてもまともに稼働するようになった。 問題なく使えるようになったので(a, b)、最初に1時間ほど操作練習をした(c)。これまで裾上げテープがきかないタイプの布製ズボンは、面倒なのでホチキスで裾を留めたり、荒っぽい手縫いでごまかしていた。いずれなんとかしなくちゃと思っていた。 改めて裾をハサミで切って(d)、まつり縫いをしたあと、適切な長さに折り曲げて縫い上げた(e)。正規の規格の空のボビンがなかった。さらに糸を生地色にマッチしたものに変えるのも面倒なので、かなりいい加減な縫い方をした(f)。 |
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ミシンというものを初めて使ったのは2019年1月のこと(雑記2019.1.20)。その後は年に1〜2回ほど散発的に使う程度だった(同2021.4.18、同2020.8.10、etc.)。ずさんな管理をしてきたことが今回のトラブルの主因だった。 | |||||||
〇 | 2018年5月26日 | 浅井淑子 交通事故に遭い死亡 |
〇 | 2017年1月 | きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした |
〇 | 2017年1月 | こけ雑記 再開 |
〇 | 2015年6月26日 | 福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居 |
〇 | 2012年1月26日 | 埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居 |
〇 | 2006年7月 | こけ雑記 開始 (2011年8月 中断) |
〇 | 2001年4月 | 今日の雑記 開始 |
〇 | 2000年11月 | きのこ雑記 開始 |
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