HOME | since 2001/04/24 | back |
ツツジの花街道を歩く:薬師岳から夕日岳 | |||||||||||||
日足街道の旧道を走り細尾峠に車を駐め(a)、薬師岳から夕日岳までツツジで彩られた遊歩道を歩いた(b)。細尾峠に至る旧道は道幅が狭く急で、至る所に木の枝が落ちていて車の底に引っかかって不快な音を出し続けた。 細尾峠の周辺だけ道幅が広く(c)、ここで道脇に車を駐めた(d)。標識に従って(e)薬師岳の登山道に入ると、東国ミツバツツジ(g, h)、シロヤシオ(i, j)、ヤマツツジ(k, l)に彩られたとても気持ちの良い小径が薬師岳まで続いていた(f)。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
アカヤシオは完全に終わって、小径の両側はトウゴクミツバツツジが咲き誇っていた。シロヤシオは咲き始めたばかりで、随所にミツバツツジと隣り合って花を咲かせていた(m, n)。薬師岳に至る遊歩道からは奥日光の中禅寺湖スカイラインや半月山(o, p)、皇海山(o, q)、庚申山などを仰ぐことができた。薬師岳からは男体山が立派に見えた(r)。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
薬師岳から先もトウゴクミツバツツジが咲き誇る道が続いていた(s)。三つ目から夕日岳への小径ではアカヤシオが主たるツツジなので、花季が終わり淋しい状態の場所が多かった(t, u)。つい先々週までのアカヤシオ街道が嘘のようだ。夕日岳(v)から引き返して、薬師岳で昼食をとり(w)、再び三色のツツジの道を細尾峠まで引き返した(x)。 よく晴れて風も弱く、とても快適なツツジ鑑賞コースを楽しんだ。やしおの湯で汗を流してから帰宅した。 |
|||||||||||||
庭の迷惑岳の真竹を煮物に | |||||||
真竹はわが家にとっては迷惑そのもので、茶室の周りや狭い庭に断りもなしに出てきて、いつの間にか大きくなっている。小さなタケノコ状態の時に気が付いたときは、その場で折り取って庭に捨ててきた。 今年は趣向を変えて、タケノコの時に食ってしまうことにした。今は10cm前後のものが10数本出ている(a)。こん畜生とばかりに折り倒した。そのうちから7本ばかりを調理することにした(b)。炊飯器に米ぬかと一緒に入れてスイッチオン(c)。 炊飯器は便利な圧力鍋だ。一旦スイッチオンにしておけば、その場を離れても、火にかけていたことを忘れても、勝手に仕上げてくれる。日常煮物では結構頻繁に利用している。茹であがったタケノコ(d)に他の野菜とコンビーフを加えて、適当に味付けして煮物を作った(e, f)。案外美味い煮物になっていた。 |
|||||||
|
|||||||
昨日午前中は雨、昼過ぎに晴れ間もでたので、バッテリなしの電動アシスト自転車で今市の中心街まで調味料などを買い出しに行った。強い北風が吹きまくって、往路は向かい風のためペダルがとても重く、しばしば吹き倒されそうになった。復路は追い風だったので、後ろから風が押してくれるてペダルがとても軽かった。 今朝はとてもよく冷え込んでいる。am5:30の外気温摂氏4℃、室温8℃。寒い。 |
|||||||
やはりまた大きな空洞ができた:生米パン | |||||||
昨日は終日よく雨が降り続いた。フィールドには出られないので、この機会に散髪することにした。安売り床屋「カットハウスひかり(a)」にスマホアプリからam9:00に予約を取った。都会ではひところ千円床屋が流行り、日光市にも数件できたが、今はこの店だけが残っている。現在は1,300円になったが、予約ができるようになっている。 開店時刻のam9:00前に店に着いた。予約客優先なので車の中で開店を待った。あらゆる商品価格が上昇しているので、多少杜撰でも安価な理髪店を利用する人が増えている。既に7〜8人の客が並んでいた(b)。予約しておいてよかったと思った。 |
|||||||
|
|||||||
昼過ぎに生米パンを焼いた。前回、前々回と2回続けて、出来上がったパンの内部に大きな空洞ができていた。今回はその対策として素材の割合を替えてみた。生米二合に塩、砂糖、イースト等を加えて、ミキサーで液体状にし(c)、40℃で30分間ほど発酵させると2倍ほどの容量になった(d)。それを180℃で30分間ほど焼いた。出来上がりは上々だったが(e)、切って見るとやはり空洞ができていた(f)。なかなか思い通りに行かない。 | |||||||
早朝散歩は古賀志山:岩のゲレンデでのんびり | |||||||||||||
昨日の早朝散歩はふだんの城山ではなく、宇都宮市の古賀志山にした(a, b)。登山やハイキングではなく、散歩なので荷物はデジカメひとつだけ。靴もいつもの散歩用。 自宅を出たのはam6:35頃、登山者専用駐車場に着いたのはam7:00頃。第一駐車場は5〜6台の車があったが、第二、第三駐車場はがら空きだった。途中の城山西小学校からは赤岩山から古賀志山に連なる切り立った岩壁が間近に迫る(c)。 大日窟の側から登るマイナーなコースを進んだ(d〜g)。ロッククライミングのゲレンデ下で一般コースと合流する(h)。早朝ゆえまだクライマーの姿は少ない(i, l)。ゲレンデには何本もあるルートの要所要所にハーケンが撃ち込まれ(j)、上部には沢山のビレイポイント(確保用の支点)がある(k)。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
東京に住んでいた若いころには、三つ峠の屏風岩や奥多摩の越沢バットレス、馬頭刈尾根のつづら岩などでクライミングを楽しんでいたので、何とも懐かしい。ここで登攀準備をする人たちと会話を交わしながらしばらくのんびりした。
|
|||||||||||||
|
|||||||||||||
御嶽山は北から西方向の展望が開けている(m)。山名表示板がある(n)。馴染みの山々をしっかり確認できた(o)。古賀志山の頂に続く尾根上の赤い鳥居が倒れていた(p)。根元が腐っていた。am8:50頃古賀志山の頂に着くと(q)、山頂広場は閑散としていた。 絶壁の裾(r)に狭い幅で細々と続く小径を通って、am9:40頃車に戻った。さすがにこの時刻になると駐車場はすっかり車で埋まっていた。 |
|||||||||||||
大型連休中の山はよく賑わっていた:釈迦ヶ岳 | |||||||||||||
昨日久しぶりに八方ヶ原の大間々台から釈迦ヶ岳を往復した(a)。朝8:00頃に大間々台駐車場に着くとすでにほとんどのスペースは埋まっていた(b)。午前中はよく晴れていた。八海山神社(c)、矢板市最高地点、剣ヶ峰(d)を越えると、痩せ尾根の両側50mほどにわたってアカヤシオが咲き誇っていた(e, f)。 山頂に着いたのはam10:30頃だった。7〜8組の登山者の姿があった。近くの女峰山や男体山は比較的明瞭に見えた。遠くは霞んでいたが、日光白根山(h)、燧ヶ岳(i)、東北南西部の山々(j)などを仰ぐことができた。山頂で早めの昼飯をとり(k)、30分間ほど昼寝をしてから下山の途に就いた。駐車場に入れない車が車道を埋めていた(l)。 大間々台から山頂に至るまで、足元にはタチツボスミレの仲間がいたるところに多数咲いていたが、他に花はほとんどなかった。歩行中には多くの登山者と行きかった。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
今朝am4:00 スマホ連動の体組成計に乗ると、体重52.0Kg、体脂肪率16.0%。理想的な数値だ。活動量と食物摂取量のバランスが良かったということか。 | |||||||||||||
長女家族と龍王峡に遊んだ | |||||||||||||
昨日長女家族3人と早朝龍王峡で落ち合った。am7:20頃の駐車場には車はまだとても少なくがら空きだった。4人で連れ合って龍王峡の遊歩道を歩いた。 クリンソウが花盛りだった(a)。クロサンショウウオの棲息する池ではつい最近まで卵のうが多数浮かんでいた。昨日はこれらすべてが孵化し終えて、オタマジャクシ型の幼生がひしめき合っていた(b, c)。きのこは少なく、乾燥しきった小さなチチアワタケがひとつだけあった。カンムリタケは相変わらず数ヵ所で発生を続けている(d)。 龍王峡の遊歩道を一巡りした後、特急AIZUマウントエクスプレスに乗って(e)、川治湯元に行き昼食にした。食後黄金橋(f)に上がるとカヤックの一団が見えた(g)。その後特急リバティ会津(h)に乗って正午近くに龍王峡に戻った。この時刻になると観光客の車が溢れかえっていて(i)、芝生広場まで開放して駐車場になっていた(j)。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
長女の家族とは龍王峡で別れた。鬼怒川公園岩風呂で汗を流してから帰宅した。なお、昼食は朝炊いた米と前夜の残り物をワッパ弁当につめて持っていた(l)。これだけではなく、長女家族の準備してきた炊き込みご飯をたっぷり食べた。ふだんの昼食の2.5倍ほどの量になる。そして帰宅後に今シーズン初めてビールを飲んだ。 | |||||||||||||
昔からの登山道から山頂へ:鶏岳 | |||||||||||||
昨日早朝は城山には登らず平地を8Kmほど歩いた(a)。昼食を塩谷町の鶏岳の頂で食べることにして、帰宅後に米を炊いていつものように握り飯を作った。 昼食をナップザックに収めて、散歩時と同じくgoro製のチロリアンシューズを履いて(b)、車で鶏岳の昔からの登山口を目指した(c, d)。鳥居の傍の道脇に車を駐めた(e)。ここから鶏岳に登るのは一年ぶりのことだ(雑記2022.2.26)。 いちいち害獣よけ柵を開け閉め(g, h)しなくてはならないこと、さらに不安定な転石伝いに川を渡らねばならず、面倒なので、途中の林道登山口から登ることが多かった。ストックを2本持たない人のために川岸には枯木の杖が何本も置いてある(j)。かなり不安定だった転石も多少良くなっていた(i)。枯木杖を利用して対岸に渡った(k)。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
本来の登山道よりさらに川一本隔てた尾根から観音堂を観て(l)、再び川を渡り直して岩壁途中にある石像を拝んだ(m, n)。登山道の途中で久しぶりに「二合目」という標識に出会った(o)。ふだんは「三合目」しか見ることがないから新鮮な気持ちになった。 いつものようにロープを頼りに急斜面を登りきって山頂に着いた(p)。ここでのんびり展望を楽しみながら(q)。昼食にした(r)。その後山頂で30分ほど昼寝をしてから下山した。最後に再び枯木杖を頼りに川を渡り、柵を開け閉めして車に戻った。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
ミツバツツジのトンネルの中を歩く:三ノ宿山 | |||||||||||||||||||
鳴虫山の南西方向に聳える三ノ宿山に登った(a, b)。早朝6:30頃に市営温泉やしおの湯の駐車場に車を駐めた(c)。気温は9℃だった。三ノ宿山への登山口はやしおの湯入口の前で、道路の反対側の電柱の脇に目立たない小さな標識がある(d)。ヤマツツジに囲まれた登山道(e)で高度を上げていくと(f)、眼下には古河電工の全貌も見下ろせる(g)。 やがて道の両側はトウゴクミツバツツジ(h, i)とシロヤシオ(j, k)ばかりとなる。ミツバツツジの合間から男体山を眺めつつ進むと(l)、やがて山頂だ(m, n)。山頂は南北に長い台地状で南側はミツバツツジのトンネルになっている(o)。登りの途中で、ツチダンゴ(p)とクヌギタケの仲間(q, r)にであった。 この山には整備された登山道はなく、高度のルートファインディングの能力が要求される。一応テープの標識が随所につけられてはいるが、迷いやすい場所がとても多い。山頂に着いたのはam9:30頃だったが、下山時は強い西風に悩まされた。 この日は体調が芳しくないので、同じ道を引き返して、やしおの湯で温まってから帰宅した。入浴後休憩室で、朝炊いて作った握り飯を食べた。 |
|||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
早朝は順調にやしおの湯に到着したが、帰路は予想通り神橋の渋滞に巻き込まれた。 | |||||||||||||||||||
キンラン・ギンランが大繁盛:日光だいや川公園 | |||||||||||||
ゴールデンウィーク2日目の昨日朝9時頃、日光だいや川公園に行ってみた。平日の月曜日ということもあってか、大駐車場にはまだ車は少なかった(a)。 公園内をのんびりと散歩した。自宅近くの城山と同じくチゴユリやユキザサがよく咲いている。城山と違ってキンラン(b, c)やギンラン(d, e)が園内いたるところで沢山咲いていた。マムシグサに至ってはほとんどすべての緑地に大量に花を咲かせている。花の色も緑から黒に近い色までいろいろある(f〜h)。カラスビシャクはまだ少ない(i)。 きのこの姿は殆どなく、この日は2種類だけに出会った。乾燥気味のヒメヒトヨタケの仲間(j)、そしてミイノモミウラモドキと思われるイッポンシメジの仲間(k, l)。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
午前中はよく晴れていたが、午後3時頃からは雷鳴が響き渡り、4時過ぎには激しい雷雨となった。雷雨は夜遅くまで続いた。 | |||||||||||||
里芋の親芋は予想以上に美味い | |||||||
土曜日(4/29)の補足から。憾満ヶ淵の駐車場のトイレは、少し前まで囲いをされていたために改築工事の進捗状態が不明だった(雑記2023.4.21)。土曜日には囲いがすべて取り外され新たなトイレが姿を現していた(a)。工期は5月20日までという(b)。 また日光二荒山神社や東照宮の周辺では、いたる所でヒナソウの大きな群落が見事だった(c, d)。4月22日に中禅寺湖畔の歌ヶ浜駐車場でも、ヒナソウが一面に咲いていたことを思いだした(同2023.4.23)。 親しい農家から里芋の親芋(e)をもらった。農協直売所などにたまに並ぶこともあるが、これまで買ったことも口にしたこともなかった。ふだん里芋を煮るときと同じように調理してみた(f)。ふつうの里芋と変わりない美味しさだった。 |
|||||||
|
|||||||
毎朝の散歩時に持つカメラをNIKON1 J5からSONY α33に変えた。嵩張るし重いが操作が楽で、ファインダーがあるのでピント合わせも楽になった。このあたりの経緯は「ぷろふぃいる」に記した。しばらくはこの重いカメラを使ってみよう。 | |||||||
〇 | 2021年6月20日 | 庚申山にて遭難:自力で生還 (たわごと 2022年6月15日) |
〇 | 2018年5月26日 | 浅井淑子 交通事故に遭い死亡 |
〇 | 2017年1月 | きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした |
〇 | 2017年1月 | こけ雑記 再開 |
〇 | 2015年6月26日 | 福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居 |
〇 | 2012年1月26日 | 埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居 |
〇 | 2006年7月 | こけ雑記 開始 (2011年8月 中断) |
〇 | 2001年4月 | 今日の雑記 開始 |
〇 | 2000年11月 | きのこ雑記 開始 |
|