HOME | since 2001/04/24 | back |
娘家族と4人で中禅寺湖遊覧船に | |||||||
昨日は早朝娘夫婦が孫を伴ってやってきた。一日をどこで過ごして楽しもうか相談した結果、中禅寺湖で遊覧船に乗ることにした。曇り空で天候は芳しくないが、自宅周辺からも日光連山はくっきりと見えていた。 今年の4月末から有料化された歌ヶ浜駐車場に車を駐めて(a)、地衣類などを観察しながら周辺を散策したあと、遊覧船(b)の乗客となった(d)。孫は船に乗るのは初めての経験だった。水位不足のため立寄り桟橋は減ったが、風もなく湖面はとても穏やかだった。 遊覧船の乗客は半分ほどが外国からの観光客だった(c)。湖上から仰ぐ男体山は美しいコニーデ型火山の典型のような姿をしていた(e, f)。船のデッキは意外と寒かった。 船を降りた後、日光湯元温泉に行き、主に源泉周辺で楽しんだ。この日は源泉の噴気が普段よりかなり少なかった。楽しい良き一日だった。 |
|||||||
|
|||||||
釈迦ヶ岳は大賑わい | |||||||||||||||||||
日塩道路の赤い鳥居から高原山の鶏頂山と釈迦ヶ岳に登った(a)。am7:50頃駐車場に着くと既に7〜8台の車があった(b)。鳥居をくぐってゆっくり歩きだすと、二人ほどが追い抜いていった(c〜e)。大沼からは鶏頂山を仰ぐことができた(f)。 弁天沼(g)までは緩やかな登りが続く。ここで道は二手に分かれる。右の道から鶏頂山に登った(h〜j)。山頂からの日光連山はやや霞んでいた(k)。尾根筋を歩いて(l)、高原山の主峰釈迦ヶ岳に着くと大勢の人がいた(m〜o)。ここで昼食にした(p)。 下山時前方には雪を帯びた東北の山々が、青空の下とても鮮やかだった(q)。12:40頃駐車場に着くと、20台以上の車があった(r)。多くの人が高原山に登ったようだ。朝見た車も大部分そのままだった。市営温泉かたくりの湯で汗を流してから帰宅した。 |
|||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
下界ではかなり気温が上がって暑かったようだが、山の上はさほど気温が上がらず14〜18℃で、駐車場に戻ったときでも車内の温度計は24℃ほどだった(r)。 釈迦ヶ岳の頂にいた人々は、多くが大間々台からやってきたらしかった。彼らの会話からは鶏頂山には立ち寄らずに戻る人が大部分だった。 |
|||||||||||||||||||
好天だが風が強かった:男体山 | |||||||||||||||||||
日光二荒山神社から男体山に登った(a)。am6:05頃登山者専用駐車場に着くと既にかなりの数の車があった(b)。靴を履き替え登拝料1,000円を払い手続きを済ませam6:20頃歩き始めた(c)。登山は階段から始まる(d)。 中禅寺湖や社山を眺めつつ進み(e)、4合目鳥居へ(f)。ここが実質的な登山口だ。狭いつづら折れの道(g)や急な岩場(h, i)を歩き、am9:10頃山頂台地に着いた(j, k)。息切れしない速度で休むことなくゆっくり歩いた。30組ほどの先行者を追い抜いて、3時間弱で山頂に着いた。遠くからでも山頂の巨大剣はよく分かる(l)。 午前中は風がとても強く防止を押えながら歩いた。山頂の気温は摂氏2〜3℃で寒かった。しかし展望は素晴らしかった。女峰山(m)、日光白根山から皇海山(n)、遠く霞んではいたが筑波山(o)。眼下には中禅寺湖(p, q)が広がっていた。 am9:25頃山頂を後にした。次々に登ってくる人と挨拶を交わしながら、am11:20頃駐車場に戻った。車の数はかなり増えていた(r)。市営温泉やしおの湯で体をほぐしてから帰宅した。体調は芳しくないが、標準タイムの八割ほどの時間で往復できた。 |
|||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
ヤマビルの大発生が始まった:龍王峡 | |||||||||||||
昨日は終日不安定な天気で、早朝から昼過ぎまで、小雨になったり霧雨になったりしながらずっと雨が降っていた。夕方になってようやく雨は止んだ。 昼を挟んで龍王峡を歩いた(a, b)。雨のため観光客の姿はとても少なかった。渓谷は新緑に包まれてとても美しかった(c, d)。駐車場ではトチノキが花を咲かせていた(e)。ヒトリシズカが終わり、フタリシズカが咲き出した(f)。水芭蕉群生地は今年も絶望的だ(g)。鹿の食害はますます激しくなっている。今はクリンソウが最盛期だ(h)。 カンムリタケは終わりを告げ(i)、松混じりの杉林ではキシメジ科らしききのこが群生していた(j)。コウボウフデのミイラは相変わらずだ(k)。 ちょっと立ち止まるとたちまちヤマビルがすり寄って来る。花やきのこを撮影しようとしゃがむとすぐに腕や首に吸い付いてくる。車に戻って長靴を脱ぐと、中に数匹のヒルがいた。また手を開くとそこにもヒルの姿があった(l)。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
今年初の中禅寺湖一周 | |||||||||||||||||||
昨日中禅寺湖を一周した(a)。これまで年に一度は湖を周回していて、今年はこれが初めてだ。周辺の駐車場が軒並み有料化されたので、どこを起点にしようか迷った。そこで昨日は二荒山神社の男体山登山者専用駐車場を使わせてもらった(b, c)。 平日のためam7:15頃には登山者専用駐車場にはまだ空きがあった。歌ヶ浜までは30分以上歩いた。歌ヶ浜からは男体山(d)、社山(e)などが青空の下、とても印象的だった。日光白根山の雪が随分減っていた(f)。湖面はどこも釣人が多かった(g, h)。 湖の南側(北面)の道は、国道と並行する北側と違って、道は狭く起伏も多い(i)。今年は湖の水量が極端に少なく、至る所で湖面の縁があらわになっている。いずれも岩だらけだ(j, k)。上野島は今にも陸続きになりそうに見える(j)。 千手ヶ浜で昼食にした(l)。この頃には風がとても強く寒かった。コース全体を通じてツツジが鮮やかで見事だったが(m, n)、シャクナゲは花が少なく(o, p)、まだ開花していないのか、あるいは既に花季を終えてしまったのかわからなかった。 千手ヶ浜では、Entoloma(イッポンシメジ属)と思しき暗褐色のきのこが多数出ていた(q)。駐車場に戻る頃にはpm3:30近くになっていた。登山者の車はまだまだ多数残っていた(r)。とても疲れた一日だった。帰路市営温泉やしおの湯で体をほぐした。 |
|||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
このところの夕食を振り返ってみた | |||||||
最近何を食べているのか振り返ってみた。耄碌しているせいで、前夜何を食べたのか思い出せない体たらく。そこで可能な限り食事前に撮影して記録として残しておくようにしてきた。ところが最近は食事内容を撮影することを忘れてしまって、食べ終わってからそのことに気づくことが多くなった。 以前から朝食がワンパターンで毎日ほぼ同じような内容だとは思ってきた。さらに野山に出かけたときの昼食もほぼワンパターンだ。夕食はどうだったのか、ほとんど思い出せないので、画像を引っ張り出してみた(a〜f)。 あらためてよく見れば夕食も連日似通ったものだと気づいた。主食としての茶碗一杯の米飯、具沢山の味噌汁、その他一品から二品。ときに味噌汁を作らずカレーを作ってみたりはしても、具の内容は味噌汁のそれとあまり変わりない。 |
|||||||
|
|||||||
上に並べただけで収めておけば、体重や血圧などの大きな変動はないと思う。しかし、これらの他に3時のおやつ、夕食後のアルコールと肴が馬鹿にならない。ちょっと見には、比較的健康的な食生活に見えるが、おやつの取り過ぎ、アルコールの飲み過ぎが、血圧や体組成にかなり悪影響を及ぼしているようだ。 | |||||||
粉骨を済ませとりあえず一段落 | |||||||
昨日は朝7:00前に亡妻の遺骨を乗せて自宅を出た。雨風が激しく視界が悪い中、埼玉県川口市の粉骨業者の元に向かった。120Kmほど走り到着したのはam10:30頃だった。10分ほどすると、娘が別途電車で事務所に到着した。事務処理手続きを済ませ、11:00前には眼の前で粉骨作業が始まった。 遺骨の重量を計測するところから始まり、遺骨以外の夾雑物を取り除き、粉状にする一連の作業に、最初から最後まで二人でずっと立ちあった。およそ1時間40分ほどかかって作業は終了した。桐箱や骨壺は業者に処分してもらった。手元に戻った遺粉は思いの外密度が高く、ずっしりと重かった。これでいつでも散骨をできる状態になった。とりあえず散骨という葬儀に向けての第一歩が始まった。 昨夜は深夜まで、娘と二人でよもやま話をして過ごした。今日は奥日光に上がってのんびりした。穏やかによく晴れたやや肌寒い中、湯の湖畔で昼食にした。下今市の駅で娘と別れて帰宅した。心の重荷が一つ軽くなったような気がした。 |
|||||||
|
|||||||
妻の遺骨:散骨の準備を始めた | |
亡妻の遺骨の話。彼女が亡くなって既に6年。これまで遺骨は自宅の居間に置かれていた。本人は生前によく言っていた。自分の遺骨は、実家の墓に入れるとか新たに墓を作ることは決してしないで欲しい。強く印象に残っている思い出の山など、特に気に入っていた山域に散骨して欲しいと。そして候補の山をいくつか挙げていた。 かつて20〜30歳の頃には、四季を通じて二人でよく山歩きをしていた。厳冬期の雪山にも何度も登った。その後、数十年間は二人とも山登りとは無縁の生活をしていた。ただ、山菜採りやきのこ採りのための山歩きは冬場以外は毎月頻繁に行っていた。山菜やきのこが少ないときには、山登りに切り替えることもしばしばあった。
二人で何度も話し合って、お互いに亡くなったときには、残された者の手で散骨しようと決めた。またその時のためにも、無理なく安全に山登りができる体力を維持しておこうと約束した。しかし、まさか彼女が先に亡くなるとは思いもしなかった。 散骨するためには、まず粉骨しなくてはならない。今日は遺骨を持って埼玉県川口市の粉骨業者の元に出向くことになっている。あいにくの天候だ。 |
|
新緑の薬師岳から夕日岳と地蔵岳 | |||||||||||||
昨日細尾峠から薬師岳に登り、新緑の尾根を三つ目まで歩き、そこから夕日岳と地蔵岳を往復した(a)。アカヤシオは大連休のうちに終わり、シロヤシオはまだだった。 朝7:50頃細尾峠に着くと、道の両側に既に10数台の車が駐まっていた(b)。アカヤシオやトウゴクミツバツツジが僅かに残る遊歩道を薬師岳に向かった(c, d)。快晴無風の快適な陽気のなか、新緑が目に眩しかった。ヤマツツジの蕾が随所に見られた(e)。気持ちの良い青葉の下をのんびり歩き三つ目に着いた(f, g)。 三つ目を起点に夕日岳(h)、地蔵岳(j)を往復した。稜線からは日光連山を楽しめた。日光白根山にはまだ雪がたっぷり残っていた(i)。正午頃に薬師岳に戻ったので、ここで昼食をとって展望を楽しんだ(k)。pm1:00頃車に戻ると、大部分の車は朝のままで、この他さらに車が増えていた(l)。市営温泉やしおの湯で汗を流してから帰宅した。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
暑い一日だったらしいが、山は快適だった。帰宅後のビールがとても美味かった。 | |||||||||||||
ツツジは既に終わっていた:鳴虫山 | |||||||||||||
昨日觀音寺薬師堂(瑠璃殿)の側、旧日光市役所庁舎の裏手から合峰に登り鳴虫山から神ノ主山を経て下山した(a)。終日よく晴れたが朝は気温が低く、am4:00には屋外4.9℃/室内11.8℃だった(b)。上鉢石駐車場に車を駐め(c)、am7:00頃歩き始めた。 旧日光市庁舎裏手の墓地から廃道となっている登山道に入った(d, e)。高圧線鉄塔(f)の手前で觀音寺千手堂からの旧道(廃道)と合流した。ここから合峰への道は手がかりや足がかりの乏しい急斜面をいくつも登る(g)。途中でヒラタケを採取した(h)。 合峰(i)にも鳴虫山(j)にも誰もいなかった。適度に展望を楽しんで神ノ主山(k)に向かった。期待していたアカヤシオはすっかり終わって、わずかに足元に花びらが虚しく残っているだけだった。am11:30頃車に戻り、市営温泉やしおの湯で汗を流して帰宅した。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
〇 | 2021年6月20日 | 庚申山にて遭難:自力で生還 (たわごと 2022年6月15日) |
〇 | 2018年5月26日 | 浅井淑子 交通事故に遭い死亡 |
〇 | 2017年1月 | きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした |
〇 | 2017年1月 | こけ雑記 再開 |
〇 | 2015年6月26日 | 福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居 |
〇 | 2012年1月26日 | 埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居 |
〇 | 2006年7月 | こけ雑記 開始 (2011年8月 中断) |
〇 | 2001年4月 | 今日の雑記 開始 |
〇 | 2000年11月 | きのこ雑記 開始 |
|