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| 家族揃って戦場ヶ原散策 | |||||||
| 娘家族と4人で戦場ヶ原を散策した(a)。先日の大雪(雑記2025.12.5)のあとほとんど雨も雪も降っていないので、雪はかなり消えた。遊歩道の雪はすっかり踏み固められ、硬く凍り付いたり、すっかり解けた場所もかなりあった。 am9:20頃赤沼駐車場に車を駐めた。気温は−1℃。ここから自然研究路を孫のペースに合わせて北西に向かった(b〜d)。遊歩道の木道脇や戦場ヶ原はまるで早春のような景観だった。戦場ヶ原は黄褐色の絨毯を敷いたような姿(e)。 遊歩道で氷塊を蹴りながらサッカーモドキを楽しみながら歩いて、泉門池に着いた(f)。ここで昼食にした。よく晴れて暖かった。午前中は時折風が吹いて少し寒いこともあったが、午後になると穏やかな陽気になった。同じ道をサッカーモドキをくり返しながら戻って、pm2:00頃車に戻った。孫はたっぷり楽しんだようだ。 |
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| とても疲れた一日だった | |
| 昔から親しかった友人のSさんがつい最近亡くなった。数年前から体調を崩してはいたが、急に亡くなるような兆候はなかった。ただ体力がかなり落ちていたようだ。インフルエンザにかかると、あっという間に症状が悪化して亡くなったという。 Sさんの葬儀は今月初めの頃だった。葬儀には出られなかったので、今日友人のMさんと二人で、埼玉県上尾のSさん宅にいって焼香してきた。JR宇都宮線で大宮まで出て、そこから高崎線に乗り換えて上尾駅で下車。25〜30分ほど歩いてSさん宅に行った。スマホアプリによる道案内。頻繁にアプリを見ながら歩を進めた。 Sさん宅を後にしてから、入院中の親しい友人Nさんを見舞うことにした。急遽決めたことだ。場所は東京九段下、上尾からだとかなり遠い。面会時間に合わせて昼食をとってから病院に入った。久しぶりに会ったNさんは意外と元気だった。九段下を後にしたのち、秋葉原に出て線路下の飲み屋でMさんと2時間ほど過ごした。 上野駅でMさんと別れてひとり宇都宮線に乗った。この時点で歩数計は24,000歩を示していた。歩いた距離よりも、都会の喧騒と長時間の電車はかなり辛かった。早朝から夜暗くなるまで、慣れないことをしてとても疲れた一日だった。 |
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| 「ぷろふぃいる」のMONOLOGUEに駄文を追加 | |
| 今月24日付けで「ぷろふぃいる」のMONOLOGUEに新たな駄文を追加した。その内容はさる12月23日の雑記を踏まえたものだ。 それと併せてぷろふぃいる本体から「所属団体」「日常の撮影」「顕微鏡など」「顕微鏡撮影」といった項目も削除した。[画像左=旧、画像右=新]
25年以上前から随時購入してきたコンパクトデジカメは、故障したもの以外は多くが小型の団ポール箱に収めてあった。それらのカメラは機能チェックも兼ねてとっかえひっかえ使ってきた。雑記の画像もそれらのいずれかを使用してきた。だから日常の撮影という項目に特定の機種を掲載するのは不適切なので省いた。 |
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| ずっと氷点下の気温:葛老山 | |||||||||||||
| 湯西川道の駅の裏手に聳える葛老山に登った(a)。早朝散歩から戻ると、握飯を作って自宅を出た。am10:10頃道の駅の駐車場に車を駐めた。気温は−1℃だった(b)。3〜5cmほどの積雪があり、全体にかなり凍り付いていた。そこでチェーンスパイクを装着した。最初の20分間ほどはとても急な斜面に丸木の階段が続く(c, d)。 誰も歩いていなかった。送電鉄塔の周辺では雪は殆ど消えていたが、足元は凍っていた(e)。山頂までには木製の七福神像がある。しかし大黒天像は消えていた(f)。再び九十九折れの雪道が続く(g)。異形のミズナラが出てくると山頂は近い(h, i)。 山頂の東屋で昼食にした(j)。この日は終始−4〜−2℃の低温が続いたが、日向の直射日光下では+2〜3℃になった。こういった場所では靴底がたちまち雪団子になる。登りはまだしも、下りの雪団子は危険だ。頻繁に止まっては雪団子を落としながら下山した。登山口近くの駐車場では車は増えていなかったが(k)、表通りに面した駐車場にはかなりの数の車が見られた。道の駅の二階の市営温泉で冷えた体を温めた。 |
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| 下山した時道の駅では4℃だった。川治の肉屋坂文でコロッケを買って、車内で食べながら車を走らせた。帰宅すると玄関の寒暖計は3〜4℃を示していた。一日中低温の寒い一日だった。 | |||||||||||||
| きのこ標本をすべて廃棄処分した | |||||||
| 今朝はこの冬一番の冷え込みだ。am6:00の時点で屋外−7.2℃/室内0.1℃。am4:30にエアコンを20℃に設定してオンにしたがam6:00の時点で未だに10.0℃。 昨日は終日北西の風が猛烈な威力で吹き荒れた。時に凄まじい突風が吹いた。朝の散歩の折には城山の稜線で何度も吹き倒されそうになった。その都度、立ち止まって樹木にしがみついて、突風の収まるのを待たざるを得なかった。城山では誰にも会わなかったし、登山起点の駐車場には一台の車も見られなかった。
今年の夏ころから少しずつ処分してきたきのこ標本だが、まだ大型の密閉プラスチックケースに2箱残っていた(a)。ありふれたきのこはほとんどない。これまで各地の博物館や菌類関係団体などに照会してきたが、いずれの施設でも不要ということだった。 |
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| 蘚苔類標本も1,300点ほど残っているが、これも近日中に処分するつもりだ。 | |||||||
| 恐怖の濡れた落葉の急斜面 | |||||||||||||
| 塩谷町の鶏岳に登った(a)。気温の高い朝だった。今にも雨が降りだしそうな空だった。am10:20頃林道の登山口に車を駐めた。この時期に気温は9℃もあった(b)。 ここから濡れた落葉の道を歩き(d)、岩場からはロープを頼りに山頂に向かった(e, f)。山頂にはam11:10分頃に着いた(g)。山頂からは男体山(h)、女峰山群(i)、高原山(j)が見えていた。しかしこの直後から急激に雲が低くなりやがて雨になった。 濡れた落葉が厚く堆積した急斜面はとても滑りやすくなっていた(k)。2回ほど足をすくわれてロープにしがみついた。正午少し過ぎた頃に車に戻った(l)。下界に戻るとまだ雨は降っていなかった。市営温泉かたくりの湯で体をほぐしてから帰宅した。 |
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| かたくりの湯から戻る頃には日光連山は完全に雲の中に隠れてしまった。pm2:00頃から雨が降りだした。 | |||||||||||||
| レインハイキングのつもりだったが・・・ | |||||||
| 昨日は終日雨の肌寒い一日だった。暖かい季節には終日雨でもしばしば雨天用のザックと雨具を着て、年間7〜8回ほどレインハイキングをしていた。寒い季節には原則として雨天や降雪の日は外歩きはしない。しかし持病悪化の条件が揃ったときは例外だ。 このところ体脂肪率や内臓脂肪の指標がかなり悪化し体重も増えっぱなし。持病が悪化する恐れがある。だから十分な防寒対策をしてレインハイキングに出るつもりだった。しかし早朝色々な雑事が発生し、気がつけば午前11時を過ぎていた。ハイキングは中止した。その分夜はアルコールを少し控えることにした。
雨天用ザックはビニール製(a)、ショルダーポーチもビニール製(c)、晴天時のもの(b)は雨天時には使わない。カメラも濡れに強いアクションカメラを持つ(d)。ふだんの非常用雨具はビニール製の安物だが(e)、レインハイキングの時は、万一用に目立つ赤色のナイロン製を着る(f)。これは40年以上前に購入したものだ。最近のゴアテックス製の高級雨具はあまりにも高価で指をくわえて眺めるばかりだ。
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| かなり雪が残る:霧降高原丸山 | |||||||||||||
| 霧降高原の丸山を歩いた(a)。朝出発直前にトラブル発生で出発が2時間以上遅れた。当初丸山経由で赤薙山に登るつもりだった。しかし時間的に厳しいので、丸山だけにした。 霧降高原きすげ平に着いたのはam9:30を過ぎていた。気温は−4℃だったが快晴無風で絶好のハイキング日和だった(b)。駐車場から見える赤薙山も丸山も随分雪が減った(c)。丸山の登山口には雪はない(d)。しかし数分も歩かないうちに雪と凍り付いた斜面になった(e)。そこでチェーンスパイクを装着して歩き始めた(f)。 |
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| 丸山へのコースはツボ足では大半が少々危険な道だが(g)、日向の岩場では雪のない場所もあった(h)。八平ヶ原から見ると丸山には斑に雪が見えた(i, j)。樹林の中の登山道はずっと雪道(k)。階段は凍り付いていた(l)。尾根に出ると、すぐ先の下の方に大山の斜面が見えた。雪は殆ど見えなかった(m)。高原山や栗山ダムも展望できた(n)。 山頂の雪は消えていた(o, p)。ここで昼食をとった。小丸山までの道はずっと凍り付いた雪道になっていた。展望台の周囲もすっかり凍り付いていた(q)。しかし、長い木製階段からは殆ど雪は消えていた(r)。昼の12:30頃車に戻ると観光客の車が少し増えていた。直射日光下では気温は1℃だったが、走り出すとたちまち−4℃に下がった。 |
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| 菌類と蘚苔類の学会などから全面撤退 | |
| これまで長いこと日本菌学会、同関東支部、千葉菌類談話会、菌類懇話会、日本蘚苔類学会、岡山きのこの会などに所属して、いろいろな行事に参加してきた。これらすべての会を今年度を最後に退会することにした。 菌類、特にきのこ研究・観察に関連する文献・資材・資料などに関しては、昨年あたりから徐々に処分してきた。今はひと頃の半分ほどになった。蘚苔類関連の文献・資料についても同様だ。それでも今現在、自宅の書棚ではこの2分野の書籍が50〜60%程を占めている。来年3月頃までにはこれらの大半がなくなることになる。 顕微鏡とその関連資材であるスライドグラス、カバーグラス、ミクロトームなども大半を処分する。試験管、シャーレ、培地、採集袋なども今現在かなり残っている。この数ヶ月、多くをゴミとして出してきたが、まだまだ多量にある。 大量にあった菌類標本の大半は2016年までに国立科学博物館の収蔵庫に収めたので、手元にはそれ以降に採取した200点強が残っていた。各地で採集したコウボウフデやセンボンキツネノサカズキといった希菌もある。しかし、いくつかの博物館や収蔵庫に問い合わせたが、不要ということだった。そこで少しずつ肥料として庭に埋めてきた。淋しくもあるが、今後ほとんど用のない物を多量に抱え込んでもしょうがない。 |
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| 宇都宮市の写真スタジオで家族写真 | |||||||
| 昨日は深夜から早朝まで雨。気温がずんずん上がり、12月半ばとは思えない暖かな朝になった。外は一面濃霧に包まれていた(a〜d)。この日は午前中に娘家族と一緒の写真を宇都宮のフォトスタジオで撮った。久しぶりにJR日光線に乗って宇都宮に出た。 昼頃に車で自宅まで送ってもらい、一人で昼食をとっ(e)た。この後も恒例の散歩はせず、午後からユーチューブでビデオを見ながら焼酎を飲んだ(f)。ほとんど体を動かさなかった一日だった。今朝は先週より2Kgも体重オーバー。怠惰のツケだ。 |
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| コウボウフデが今頃発生:龍王峡 | |||||||||||||
| 川治の市営温泉薬師の湯の駐車場に車を駐めて、鬼怒川遊歩道を龍王峡まで歩いて戻った(a)。am9:35頃車を駐めた。気温は3℃だった(b)。黄金橋(c)を渡り遊歩道をむささび橋まで歩いた(d, e)。むささび小屋は既に冬季閉鎖になっていた(f)。 ここからは龍王峡の鬼怒川左岸の遊歩道を歩いた。途中で渓谷に沿った急斜面に新鮮なコウボウフデが出ていた(g〜i)。今頃発生するなんて、まるで冗談そのものだ。今年初秋に発生したコウボウフデは既にミイラ化がかなり進んでいた(j)。 龍王峡駅から野岩鉄道の列車で川治湯元駅まで戻るつもりだった(k)。ところが列車は出たばかりで、次の列車まで80分以上待つことになる(l)。そこでバカバカしいので徒歩で戻ることにした。 |
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| 国道をしばらく歩くと「川治温泉へ一里」という標識があった(m)。長いトンネルを歩き(n, o)、小網ダムの上を歩いて(p, q)、pm1:20頃車に戻った。陽射しに照らされ車内の温度計15℃を示していた(r)。日がかげるとたちまち9℃に下がった。 9月頃からハイキングで履いていたモンベルの靴底がしばしば剥がれかけていた。そこで接着剤で補修をしてきた(補修した靴)。、昨日はついに底全体が剥がれて、爪先部分と踵部分だけが繋がった状態になってしまった。いよいよご臨終だ(底全体が剥離)。もはやこれ以上履いて歩くことはできない。諦めてゴミとして出すことにした。 |
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| 今日は孫家族と宇都宮のスタジオで家族写真を撮る予定。JR日光線を利用する。 | |||||||||||||
| 〇 | 2021年6月20日 | 庚申山にて遭難:自力で生還 (たわごと 2022年6月15日) |
| 〇 | 2018年5月26日 | 浅井淑子 交通事故に遭い死亡 |
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2017年1月 | きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした |
| 〇 | 2017年1月 | こけ雑記 再開 |
| 〇 | 2015年6月26日 | 福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居 |
| 〇 | 2012年1月26日 | 埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居 |
| 〇 | 2006年7月 | こけ雑記 開始 (2011年8月 中断) |
| 〇 | 2001年4月 | 今日の雑記 開始 |
| 〇 | 2000年11月 | きのこ雑記 開始 |
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