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日( )

2025年5月31日()  寒くて昼間から焼酎を飲んでしまった
 昨日は終日雨だった。気温が低く寒かった。以前だったら気温が摂氏14〜16℃程度だったら半袖ポロシャツ一枚で過ごすことができた。しかし持病が悪化した今は摂氏20℃でも寒く感じるようになってしまった。
 寒さに耐えられず、昼間から市営温泉かたくりの湯に行って、浴槽と休憩室の間を何度か行き来して、2時間ほど過ごした。こんなに長時間市営温泉で過ごしたのは初めてのことだ。休憩室ではKindleで随筆を読んだり、LISPの勉強をした。
 帰宅してしばらくすると、再び体がすっかり冷えてしまい、焼酎を飲んで内部から体を温めた。肴には鶏の肝を醤油で煮たものやトマトなどをあてた。酔が回って読書や勉強はできず、ぼんやりとテレビやビデオをみて過ごした。
 夕方体組成計に乗ると、前日より3Kgも増えていた。体を動かすことなく、昼間から呑んだり食ったりした怠惰な生活のツケがもろに現れていた。


2025年5月30日(金)  濃霧の霧降高原散策
 昨日霧降高原の丸山から赤薙山にかけて歩いた(a)。きすげ平に着いたのはam7:10頃、気温は13℃で(b)、丸山は見えていた(c, d)。ヤマツツジ(e)、シロヤシオ(f)、トウゴクミツバツツジ(g)が遊歩道の両側を覆っていた。
 八平ヶ原(h)を過ぎ、丸山の急斜面を登り始める頃から俄に霧が濃くなってきた。丸山の山頂(i)はすっかり霧に包まれて周囲は何も見えなくなった。丸山を下りて、赤薙山との分岐(j)までくると視界はさらに悪くなった。
 赤薙山の山頂に近づくと霧はさらに濃くなり(k)、山頂(l)では濃い霧に包まれて数メートル先まで見えなくなった。やがて雨も降り出したので、すぐに下山にかかった。小丸山(m)まで来ると、雨はやんだが赤薙山方面は全く見えなくなっていた。
 展望台には誰もいなかった。手元の温湿度計は13.2℃、湿度93%を示していた。長い階段を下って(p, q)、am11:00少し過ぎに車に戻った(r)。この日はずっとジメジメした陽気で、衣類が体にまとわりついてとても歩きにくかった。
 
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 日光だいや川公園の屋外ベンチで昼食をとり、市営温泉かたくりの湯で汗を流してから帰宅した。衣類はすべて濡れていた。


2025年5月29日(木)  トイカメラをお供に:篠井連峰
 昨日子どものもり公園から篠井連峰を歩いた(a)。駐車場までは自宅から25分程の距離にある。am8:20頃着くと多くの車があった(b)。歩き始めるとやがて展望台(d)、その先は岩の急斜面(d)。榛名山(e)、男山(f)、本山(g)はそれぞれすぐ近くにまとまっている。
 少し緊張する岩場(h)を下りると飯盛山が見えてくる(i)。この山は山頂近くがとても急だ(j〜l)。富屋連峰の高館山に向かう峠(m)あたりで、面倒くさくなりここから下山した。
 この日はとても小さなトイカメラをメインに使った(n)。田園地帯からは左側に半蔵山がずっと見えている(o)。田んぼにはサギがあちこちで見られた(p)。麦はすっかり大きく実っている(q)。12:20頃車に戻り、車内で昼食をとった(r)。
 
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 帰宅する頃、にわか雨に見舞われた。やがて少し青空も見えた。


2025年5月28日(水)  奥日光で菌類観察散策:寒かった
 長女と二人で奥日光に上がり、地衣類と菌類の観察(鑑賞?)をした。am8:00前に湯元温泉に車を駐めた。深い霧で気温は9℃。風は弱かったが肌寒かった。
 久しぶりに足湯につかった(a〜c)。足が温まると体もなんとなく暖かくなった。湯元をしばらく散策したあと、三本松園地、歌ヶ浜から中禅寺湖南岸の遊歩道などを歩いた。途中で出会った人の大部分が釣り師だった。歌ヶ浜駐車場はかなり混み合っていた。
 今年はきのこの発生が遅れているが、早くもコガネヌメリタケが出ていた(d, e)。アミガサタケには今シーズン初めての出会いだった(f, g)。三本松園地では複数種のきのこに出会った(h〜j) (k, l)。ほかにもアシナガタケ、カンバタケなども出ていた。
 
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 この日はまともなカメラは家に置いたままで、トイカメラをポケットにいれて歩いた。きのこに出会った時、しまったと思ったが後の祭り。アミガサタケはいくつか採取して、帰宅後に軽く湯通しをして、わさび醤油で刺し身にして酒の肴にした。シャグマアミガサタケほどの旨味はなかった(雑記2025.4.22)。


2025年5月27日(火)  高山経由千手ヶ原の散策
 昨日龍頭の滝上駐車場に車を駐めて、高山から中禅寺湖畔の熊窪に下り、千手ヶ原を散策した(a)。西ノ湖入口停留所しゃくなげ橋までバスに乗った。
 5月26日はカミコン(亡妻)の8回目の祥月命日。遺骨の眠る山ではなく、カミコンと二人で最もよく歩いたコースをそのまま再現して歩いた。カミコンお気に入りのきのこ観察コースだった。いつも戻りはハイブリッドバスだったので、この日もバスを利用した。
 am6:10頃駐車場に着いた(b)。気温は9℃。歩き出すとすぐにカバノアナタケの菌核に出会った(c)。急斜面を登り(d)、尾根に出るとオオシャグマタケに出会った(e)。左下に中禅寺湖を眺めつつ歩き(f)、am7:40頃高山の山頂に着いた(g)。
 スタート地点から高山までもシロヤシオ、トウゴクミツバツツジ、シャクナゲがよく咲いていたが、山頂から熊窪分岐点の峠(幕張峠ともいう)までの道筋では、ずっとシロヤシオとトウゴクミツバツツジが屏風の如く続いている(h〜m)。
 
(a)
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 千手ヶ原(n, o)ではいつもきのこを探して二人でウロウロしたものだった。西ノ湖は比較的水量が多かった(p)。千手ヶ原から西ノ湖では、きのこを探してみたが、オオワライタケ(q)と乾燥気味のヒラタケしか見つけられなかった。
 am10:40頃西ノ湖入口の東屋昼食をとり、11:24のバスにしゃくなげ橋まで乗り、その後トウゴクミツバツツジを楽しみつつ、正午頃車に戻った。駐車場は満車だった(r)。
 
(m)
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 カミコンと奥日光から下りたときは、いつも市営温泉やしおの湯で疲れを癒やしてから帰宅していた。この日も温泉でのんびりしてから帰宅した。


2025年5月26日(月)  霧雨の長距離散歩:日光駅へ
 昨日自宅から日光駅までおよそ23Kmほど歩いた(a, b)。終日霧雨が降り続いていたが、傘をさすほどではなかった。スニーカーではなくチロリアンシューズで歩いた(c)。自宅を出て城山方面を眺めたが山は雲の中だった(d)。
 以下JR日光駅(l)、東武日光駅(m)、神橋(o)、滝尾古道入口(p, q)、東照宮(r)まで随所で気まぐれに撮影した画像を並べた(e〜r)。日光だいや川公園の直売所では、米は売切れ(i)、白菜の大玉が200円(j)で並んでいた。前日ろまんちっく村で1/2カット200円で買ったのが恨めしかった。3万5千歩、6時間10分ほどの長時間散歩だった。
 
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 今日はカミコン(亡妻)の8回目の祥月命日。遺骨の眠る山に登るつもりだったが中止した。今年は残雪がとても多く、いまだピッケルとアイゼンが必要なことが分かった。今の体力と持病の状態では100%安全とは言い切れないためだ。そのかわりに、カミコンと最も頻繁に歩いた千手ヶ原をのんびり歩くことにした。これから出発だ。


2025年5月25日()  朝の散歩は古賀志山にした
 昨日はそれ以前の天気予報と打って変わって、夕方まで曇りで雨は降らないという。早朝から空はどんより曇って、今にも降り出しそうに見えた。しかし、天気予報を信じることにして、朝の散歩コースを城山ではなく宇都宮森林公園の古賀志山にした(a)。
 am7:30頃大駐車場に着くと、開門したばかりでまだ車の数はいたって少なかった(b)。ダムの堤から古賀志山は見えていて、湖面が美しい青緑色だった(c)。一般ルートの北コースから山頂に向かうと、毎朝の常連たちが早くも次々と下山してきた。
 am8:35頃山頂(d)に着いた。展望はほとんど得られなかった。人の姿も少なかった。南コースを下る途中でナラタケを採取した(e, f)。次々と登ってくる人に出会った。
 am9:40頃車に戻った。大駐車場は満車状態で、ふだんほとんど利用されていないダム下の草地の駐車場まで車で埋まっていた。なにか大きな行事でもあるようだった。
 
(a)
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 ナラタケは夕食の鍋具の一部として胃に収めた。


2025年5月24日()  戊辰の道はヒルの道:霧降高原大山
 昨日霧降高原の大山に登った(a)。この日は早朝まで雨が降っていた。朝は歯医者の検診日。検診を終えてから霧降の滝駐車場に向かった。am9:50頃車を駐めた。気温は14℃だった(b)。霧降隠れ三滝コースの先から戊辰の道を選んだ(c)。
 気温の高い日が続き、前日は終日雨だったこともあり、ヤマビルが大量発生していた。戊辰の道は濡れた落葉が降り積もり(d)、そこにはヒルがウヨウヨしていた。ヒル襲撃は凄まじかった。20〜30歩ほど歩く都度、足、ズボン、腕に食らいついたヒルをむしり取らねばならなかった。いくらむしり取っても、次々に這い上がってくる。
 途中渡らねばならぬ沢は意外と水量が多く、渡るのに難儀した(e)。合柄橋(f)を過ぎ、ヤマツツジの咲き乱れる中を霧降牧場に向かった(g, h)。狭い柵を通り抜け(i)、大きく開けた斜面を登りきったところが大山の頂だ(j)。
 この日はずっと今にも雨が降り出しそうな空模様で、山頂からの雄大な展望はすっかり失われ、霧降高原キスゲ平方面は雲の中だった(k)。山頂の東屋で昼食をとり、下山の途に着いた。pm2:30頃に車に戻った(l)。脚や腕、首には多数の血痕ができていた。
 
(a)
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 ヒル疲れの山歩だった。市営温泉やしおの湯でくつろいでから帰宅した。


2025年5月23日(金)  大転換:山歩きで水分を取ることにした
 昨日の中禅寺湖一周の日誌にも記したが、山を歩く時に水分をとることにした。ここ数十年間山歩きでは行動中一切水分をとることはなかった。万一用に小さなペットボトル茶を一本リュックには忍ばせてあるが、これを飲むことは全くなかった。だから、行動中の水分摂取は長年の習慣の全面的変更だ(たわごと2021.9.13 山歩きのこと(4)」)。
 水分をとらなかった最大の目的は荷物の軽量化だった。幼い頃の怪我と病気で重い荷物を背負えなくなり、リュックの中身の軽量化は深刻な問題だった。登攀具は軽量化が困難だ。そこで軽量化対策として、衣類と食料、水分をターゲットにした。
 そのため日常的に訓練も続けてきた。通年薄着で過ごす。毎月5〜7日間絶食する。このとき2日間は水分も一切とらない。精神的にだけでなく肉体的にも、これらの訓練の成果として、薄着にも水分にもかなり耐えられる体になっていた。

 方針変更の最大の理由は持病の悪化だ。ちょっとした寒さにも耐えられなくなってきた。深呼吸ができなくなった。絶食も5日間を超えると障害が出るようになってきた。日常的な歩行速度が極度に遅くなり、同世代の人たちにさえ遅れをとるようになった。
 就寝中にこむら返りが起こりその痛みで目が覚めたり、頻尿が激しくなり、ときには一晩で5〜6回ほど目が覚めることもしばしば起こり始めた。下山時に膝の関節がこわばって危険な思いをしたり、全身のバランス感覚が極度に鈍くなってきた。歩行中に高い頻度で脚のこむら返りを起こすようになってきた。

 そこで今年の冬場から耐寒生活を止めた。少しでも寒さを感じればさっさと上着を着ることにした。また絶食期間も一月に2〜3日だけにした。山歩きにコーヒーを持っていくことにした。朝豆から挽いて保温ポットに容れて持つ。さらに昨日の中禅寺湖一周の折には180mLのペットボトルを持ち、行動中に水分補給をした。
 これらの一連の全面的変更で、足のこむら返り発生の減少、慢性的疲労感の緩和、膝関節の若干の改善など。すこしでも快適に日常生活をおくり、山歩きでも疲労感のすくない歩行ができるようになるとよいと思っている。



2025年5月22日(木)  ツツジ類を満喫:中禅寺湖一周
 昨日中禅寺湖を一周した(a)。am6:30頃二荒山神社の駐車場に車を駐めた。気温は13℃だった(b)。ここを起点に湖を右回りに歩いた。歌ヶ浜の駐車場は早朝からほぼ満車状態だった。大半が釣り人の車のようだった(c)。
 遊歩道を歩くにつれ男体山の山容が変化して興味深い(d〜f)。中禅寺湖唯一の島である上野島(g)を眺めたりして、ツツジ仲間の花を楽しみつつ湖畔の遊歩道を歩いた(h〜k)。pm3:30頃二荒山神社に戻った。気温は24℃、歩数は4万3千歩に及んだ(l)。
 
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 湖畔では全コースにおいて、至るところでトウゴクミツバツツジ(m, n)、シロヤシオ(o)、ヤマツツジ、シャクナゲ(p)が遊歩道の両側に咲き乱れ、たっぷり堪能した。歌ヶ浜ではヒナソウ(q)の大群落が見られた。湖の北側国道脇の遊歩道ではマイヅルソウが咲き始めていた(r)。昼食は千手ヶ浜でとった。
 
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 これまでは山などを歩く時、どんなに長時間歩行となっても、終日一切水分は取らなかった。しかし昨日はこれまでの習慣を大きく変更して、歩行途中で水分をたっぷり取った。その内容は180mLのペットボトル1本、300mLのコーヒーだ。
 最近持病の悪化がかなり進行して、寒さに対して極端に弱くなったり、足腰の筋力がかなり弱くなったり、関節の動きが悪くなっている。それもあり、容易に手足のこむら返りが起こるようになった。とりあえず対策として水分を取ることを試みた。


2025年5月21日(水)  雪は殆ど消えていた:男体山
 昨日二荒山神社から男体山に登った(a)。真夏のように暑くなるとの天気予報、前2日間の運動不足、首の筋違いのリハビリ、以上の3点を考慮して男体山を選んだ。
 猛烈に首が痛くてam2:30頃に目が覚めた。前日にやってしまった筋違いは意外と重症だった。特に右側の痛みが激しかった。そこで上述のように高いところに行くことに決めた。女峰山、日光白根山も考慮したが、男体山に決めam5:00前に自宅を出た。
 am5:40頃二荒山神社の登山者専用駐車場に車を駐めた(b)。既に空きはわずかだった。am6:00に開門。登拝料1,000円を払って歩き出した(c, d)。急斜面を登る(e)。四合目の石の鳥居が実質的な登山口となる(f)。気温は12〜14℃、登山道は次第に急になり(g, h)、八合目(i)を過ぎるとわずかに雪が残っていた(j)。
 
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 山頂直下の火山礫の斜面(k)を登り切ると山頂だ(l〜n)。am8:55頃に着いた。遠くはやや霞んでいたが、日光白根山(o)、女峰山(q)を仰ぎ見ることができた。下を見ると中禅寺湖(q)。山頂で5分ほど過ごしてから、am9:00頃下山にかかった。
 持病の悪化で脚の筋肉に力が入らず関節も痛く、バランスを取るのが難しかった。さらに前日にやってしまった首の筋違いのため、わずかな振動でも痛みがズキンズキン走る。とにかくゆっくりと慎重に慎重に下山した。am11:30頃車に戻った(r)。
 
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 いろは坂を下り、市営温泉やしおの湯で疲れを癒やした。首が猛烈に痛かった。でも、起床時に比べると多少左右に動かせるようになっていた。


[節目]

2021年6月20日庚申山にて遭難:自力で生還 (たわごと 2022年6月15日)
2018年5月26日浅井淑子 交通事故に遭い死亡

 
2017年1月
 
きのこ雑記 を廃して、日々の雑記 として再出発
 「きのこ雑記」は「こけ雑記」と並ぶサブ・サイトとした
2017年1月こけ雑記 再開
2015年6月26日福島県いわき市から栃木県日光市 へ転居
2012年1月26日埼玉県川口市から 福島県いわき市へ転居
2006年7月こけ雑記 開始 (2011年8月 中断)
2001年4月今日の雑記 開始
2000年11月きのこ雑記 開始

[過去の雑記]

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